蜷川親俊(読み)にながわ・ちかとし

朝日日本歴史人物事典 「蜷川親俊」の解説

蜷川親俊

没年永禄12.11.14(1569.12.21)
生年:生年不詳
戦国時代の幕府吏僚。室町幕府政所代蜷川親順の子。大和守。法名道哉。若くして家督を継ぎ政所代となり,政所執事伊勢貞孝に仕えて将軍家の家産を司った。『親俊日記』は天文7(1538),8,11,18,21各年が残存し,幕領動向を伝える。主貞孝は永禄5(1562)年9月,将軍足利義輝に背き討伐されたことから失脚し,翌年9月主従15人で出羽に下り親俊もこれに同行,その地で没した。

(今谷明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蜷川親俊」の解説

蜷川親俊 にながわ-ちかとし

?-1569 室町-戦国時代の武将
蜷川親長の父。家職の室町幕府政所代(まんどころだい)をつぎ,伊勢貞孝にしたがって将軍足利義輝につかえる。晩年は出羽(でわ)におもむき,永禄(えいろく)12年11月14日村山郡(山形県)で死去連歌をよくした。「親俊日記」は当時の幕政を知る貴重な史料である。名は親世(ちかよ)とも。法名は道哉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の蜷川親俊の言及

【蜷川親俊日記】より

…室町幕府12代将軍足利義晴の時期に政所代(まんどころだい)をつとめた蜷川親俊(?‐1569)の日記。1538年(天文7)より42年までの自筆日記と49年より52年の残簡が残る。…

※「蜷川親俊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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