薬局方(読み)やっきょくほう(英語表記)pharmacopoeia

翻訳|pharmacopoeia

精選版 日本国語大辞典 「薬局方」の意味・読み・例文・類語

やっきょく‐ほう ヤクキョクハウ【薬局方】

〘名〙 国の法律で国民の保健上重要な薬品の純度、強度、品質の基準を定めたもの。製法、純度、性状を記載し規定している。日本では日本薬局方。局方。
薬品営業並薬品取扱規則(明治二二年)(1889)二八条「薬局方中特に貯蔵法を示したるものは」

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デジタル大辞泉 「薬局方」の意味・読み・例文・類語

やっきょく‐ほう〔ヤクキヨクハウ〕【薬局方】

その国で使用される重要な医薬品について、一定の品質・純度・強度の基準を定めた法令。
日本薬局方」の略。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「薬局方」の意味・わかりやすい解説

薬局方
やっきょくほう
pharmacopoeia

医療に供する重要な医薬品について、その性状および品質の適正を図るため、品質、純度および強度の基準を定めたものである。単に局方ともいい、国またはこれに準ずる機関によって制定されたものが多い。また、1国だけでなく数か国共同で制定されたものもある。ヨーロッパ薬局方(EP)、国際薬局方(IP)がその例で、EPは欧州評議会(EC)加盟国間で共通して使用される規格と試験法がまとめられ1969年刊行された。IPは、法の未整備や設備・技術が十分でない発展途上国の医薬品品質管理のため世界保健機関(WHO)が制定しているもので、1951年初版が発行された。独自の薬局方を制定している国には、日本をはじめアジア9か国、中東1か国、アフリカ1か国、ヨーロッパ24か国、北アメリカ1か国(日本薬局方解説書編集委員会編『第十五改正 日本薬局方解説書』による)がある。

[幸保文治]

歴史

薬局方の歴史はヨーロッパから始まった。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は商人ギルドの働きかけもあって、当時医師が調剤を独占し、一方、薬は専門知識の疑わしい業者が利益のみを追求して製造されていた状況から、正しい治療を行うために医師の売薬を禁ずる法律を1240年に公布し、医薬分業制度を確立した。これにより、薬学知識を修めた薬剤師が薬局で医師の処方によって調剤を行うことが義務づけられた。この制度がヨーロッパに浸透するにしたがい、薬局で販売する医薬品の品質を保証する公定処方書(薬局方)の概念が必然的に発生し、1498年イタリアのフィレンツェの薬剤師協会が私的処方書である『Ricettorio』を発行した。続いて1546年ドイツのニュルンベルク市は公定の薬局方『Dispensatorium』を発行、また1618年にはイングランド王ジェームズ1世がロンドン薬局方『Pharmacopoea Londinensis』を、さらにオランダにおいて1770年ライデン薬局方『Pharmacopoea Leidensis』が発行され、引き続き1792年アムステルダム薬局方、1805年バタビア薬局方、ロッテルダム薬局方などが発行された。これらはすべて都市薬局方であり、限定された地域のみを対象としたものであるが、国で定める国定薬局方の発行を促進したことは事実である。

 国定薬局方の最初は1772年に発行されたデンマークの薬局方『Pharmacopoea Danica』である。日本薬局方は世界で第21番目の刊行である。

 日本語の局方という名称は、江戸時代の蘭方(らんぽう)医中川淳庵(じゅんあん)著『和蘭(オランダ)局方』がオランダのライデン薬局方の最初の訳書といわれ、淳庵がPharmacopoeaを局方と訳した。また、局方そのものは平安時代末期に中国(宋(そう))より渡来した医方書『太平恵民和剤局方』(通称『和剤局方』)によったと伝えられている。

[幸保文治]

日本薬局方

明治初期、欧米文化の急速な摂取に伴い医療も従来の漢方医学から西洋医学へと大きな転換が行われ、漢方生薬(しょうやく)にかわって洋薬が大量輸入された。しかし、その作用が激しく、品質の不均一による人体への危険性が増大し、さらに輸入洋薬に粗悪品や贋造(がんぞう)品(偽物)が多くなり、これを取り締まるための司薬場(国立医薬品食品衛生研究所の前身)の設置と医薬品試験の基準となるべき方書の制定が望まれた。まず、1874年(明治7)3月27日東京司薬場(日本橋馬喰(ばくろ)町)、75年2月15日京都司薬場、同年3月24日大阪司薬場が発足したが、京都司薬場は1年半で廃止(76年8月)され、かわって横浜と長崎に司薬場が新設された。当時、司薬場の監督は外国人教師が担当し、薬品試験と同時に薬学教育も行われた。そして医薬品の品質を規定した日本最初の薬局方を制定するため、1875年、当時の京都司薬場のヘールツ(日本の通称ゲールツ)Anton Geertsと大阪司薬場のドワルスB. W. Dwarsの両人に日本薬局方草案の作成が内務省より依頼された。この草案はヘールツが主体となって作成され、1877年12月に完成している。ヘールツはオランダ薬局方を中心にして、ドイツ薬局方、フランス薬局方、イギリス薬局方、アメリカ薬局方などを参照している。その後、1879年内務省に中央衛生会(会長長与(ながよ)専斎)が設置されたのを機に、80年10月6日内務卿(きょう)松方正義(まさよし)が日本薬局方選定の儀を太政(だじょう)大臣三条実美(さねとみ)に上申し、同年11月5日に太政官より聴許を得た。かくして薬局方編纂(へんさん)委員として、当時の海軍中医監高木兼寛(かねひろ/けんかん)、陸軍薬剤正兼二等軍医永松東海(1840―98)、衛生局員柴田承桂(しばたしょうけい)、司薬場教師ヘールツ、同エイクマンJ. F. Eijkmann、東京大学医学部製薬学科教師ランガルトAlexander Langgaardらが選ばれた。ヘールツの草案は1881年1月の第1回委員会に提出されたが、諸般の事情により改訂を余儀なくされた。その後、ランガルトとヘールツが分担して起草したが、ランガルトの帰国とヘールツの没後はエイクマンがドイツ語の起草原稿の修正と新原稿を独自にまとめた。ドイツ語の草稿を日本語に訳し、日本語稿本を日本薬局方案として審議し、1885年10月13日に日本薬局方の日本文、ドイツ文、ラテン文の3巻を内務卿に提出して、4年余を費やした編纂を終わった。この『日本薬局方』初版は翌1886年6月25日、官報第894号付録として発行され、内務省令第10号で「日本薬局方別冊ノ通リ創定シ明治二十年七月一日ヨリ施行ス」となった。

 初版『日本薬局方』の収載品目数は468、その内容は有機医薬品59、無機医薬品80、生薬89、油脂揮発油37、製剤177、製剤原料19、衛生材料など7である。ちなみに、『第十五改正日本薬局方』(2006)では収載品目数が1483になっている。

 初版以降、『第二版日本薬局方』が1891年(明治24)5月に、『第三改正日本薬局方』が1906年7月に、『第四改正日本薬局方』が1920年(大正9)12月に、『第五改正日本薬局方』が1932年(昭和7)6月に、それぞれ発布された。その後は第二次世界大戦の影響を受け、部分改正はあったものの全面的改正は行われなかった。戦後1947年にアメリカ薬局方が改正され、これを期に日本薬局方も改正の必要に迫られた。そしてできあがったのが『第六改正日本薬局方』で、1951年3月1日公布された。これより『第七改正日本薬局方』(1961年4月1日)、『第八改正日本薬局方』(1971年4月1日)として10年ごとに大改正が行われ、『第九改正日本薬局方』(1976年4月1日)より5年ごとの改正となり、『第十改正日本薬局方』(1981年4月1日)、『第十一改正日本薬局方』(1986年4月1日)、『第十二改正日本薬局方』(1991年4月1日)、『第十三改正日本薬局方』(1996年4月1日)、『第十四改正日本薬局方』(2001年4月1日)、『第十五改正日本薬局方』(2006年4月1日)、が公布されている。

 『第六改正日本薬局方』公布当時公定書として日本薬局方のほか、『第二改正国民医薬品集』があり、1960年に新たに制定された薬事方(現、薬事法の基)により『第六改正日本薬局方』および『第二改正国民医薬品集』はそれぞれ日本薬局方第一部および日本薬局方第二部とみなすこととなり、以後、『第七改正日本薬局方』より第一部、第二部として『第十四改正日本薬局方』まで続いた。ちなみに、『第十四改正日本薬局方』では第一部には通則、製剤総則、一般試験法、第一部医薬品各条、第二部には生薬総則、製剤総則、一般試験法、第二部医薬品各条と参照紫外可視吸収スペクトル第一部、同第二部、参考情報が収載されていた。そして、収載品目の内容は薬事法で「第一部には、主として、繁用されている原薬たる医薬品及び基礎的製剤を収め、第二部には、主として、混合製剤及びその原薬たる医薬品を納める」となっている。

第一部には、
(1)繁用される原薬となる医薬品
(2)繁用される基礎的製剤(主として単味の製剤)
(3)繁用されないがとくに治療上必要な医薬品
また第二部には
(1)混合製剤
(2)天然より生産された医薬品(主として生薬類)
(3)製剤化のために必要な物質
(4)そのほか衛生材料
などが収載されていた。薬事法の改正により、日本薬局方の収載品目(選定)に関する項目が削除され、『第十五日本薬局方』では第一部、第二部の区別がなくなり、医薬品各条は一本化し、化学医薬品と生薬等の二つに分けて収載された。これは国際的趨勢(すうせい)に沿った画期的な改変である。『第十五改正日本薬局方』の構成は、通則、生薬総則、製剤総則、一般試験法、医薬品各条、参照紫外可視吸収スペクトルおよび参照赤外吸収スペクトルとなっており、終わりに参考情報、附録として厚子量表、索引が付されている。通則は薬局方を運用するための原則となる規定である。製剤総則には、製剤全般にわたる一般的注意事項をまとめた製剤通則と28の剤形が収載されており、今回新たに収載された剤形に経皮吸収型製剤がある。貼付剤の一種で、薬物を皮膚粘膜より吸収させ、全身作用を利用するもので、貼付剤から分離して一剤形となった。参考情報はアメリカ薬局方(USP)のGeneral information(一般情報)に相当するもので、規制事項とするにはあたらないが、内容上特記するに足るものとして収載されている。参考情報には(1)医薬品の品質確保のうえで必要な参考情報、(2)日本薬局方の医薬品の適否の判定基準にあたらない試験法など、30項目が収載されている。

 薬局方の性格は、規格書であると同時に医薬品の製造および使用に関しての指導書的な面ももっている。一方、医薬品各条に調剤上あるいは取扱い上の留意点などの情報を記載してほしいという使用者側の希望もあるが、日本薬局方は現状では規格書として公的な書という性格で使用されており、別に『JPDI日本薬局方医薬品情報2006』が発行されている。

 医薬品の国際化が進むなか、日本薬局方、アメリカ薬局方、ヨーロッパ薬局方の3薬局方の調和を図る目的で、1989年、3薬局方の関係者によって薬局方国際調和会議Pharmacopoeial Discussion Group(PDG)が発足し、試験法や医薬品添加物モノグラフの調和を目ざし活動が開始され、成果が日本薬局方に反映されている。

[幸保文治]

『日本公定書協会監修『第十四改正 日本薬局方』(2001・じほう)』『日本薬局方解説書編集委員会編『第十四改正 日本薬局方条文と注釈』(2001・広川書店)』『日本薬局方解説書編集委員会編『第十五改正 日本薬局方解説書』(2006・広川書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「薬局方」の意味・わかりやすい解説

薬局方 (やっきょくほう)
pharmacopoeia
Arzneibuch[ドイツ]

重要な医薬品について,その性状,品質,製法その他の基準を定めたもので,一般に法的強制力をもつ公定書のことを薬局方,略して局方という。薬局方の英語はラテン語のpharmacopoeaにさかのぼり,その語源はギリシア語のpharmakon(薬)とpoiia(作り方)の組合せに由来する。医薬品は人の生命にかかわるものであるから,その品質を適正に保つことは,医薬品の効力,安全性とならんで医薬品の具備すべき必須条件である。したがって医薬品の規格および試験法は厳重かつ慎重に作られなければならない。日本薬局方は,薬事法41条に規定されているように,医薬品の性状および品質の適正を図るため,国が定めた規格基準書である。今日,世界では約40ヵ国が薬局方を保有しているが,各国とも薬局方といえば,国が直接制定するか(日本,イギリスなど),あるいは国が学術団体などに委託してそのでき上がったものを認証するか(アメリカ)などの手段によって作成されている。

日本における医薬品の基準書は,奈良時代に中国からもたらされた《神農本草経》《新修本草》などが始まりである。室町時代末期にポルトガル人らの渡来に伴い,西洋との直接の交わりが生じ,やがて蘭方医学が導入され,医薬品についてもオランダ薬局方の写本や訳本が出された。明治になり,1871年(明治4)陸軍は軍医薬局方を,翌72年に海軍は官版薬局方を制定し,77年には司薬場教師ゲールツA.J.C.GeertsとドワルスB.W.Dwarsによって,かりに編述されたオランダ語と日本語による日本薬局方稿本が起草された。80年10月,薬局方制定のことが衛生局長長与専斎の建議によって内務卿から太政官に具申された結果,翌年1月,編集委員の任命があって具体化し,86年6月25日,《日本薬局方》初版が公布された。

 初版は主としてオランダ人とドイツ人によって編集されたが,その後第五改正版まではドイツ薬局方およびスイス薬局方に依存するところが大きかった。しかし第2次大戦後の第六改正版以降は,アメリカ軍の日本占領に伴ってアメリカの制度の強い影響を受けて,アメリカ薬局方,アメリカ国民医薬品集,イギリス薬局方を参照するとともに,国際薬局方の性格も加味されるようになった。第七,第八改正版では,ともに続々と開発される新医薬品に対処する体制がとられ,試験法もマクロの時代からミクロの時代へと入り,機器分析の採用,標準物質を試験に導入するなどの改革が行われ,第八改正版では,収載の各条医薬品,一般試験法ともに実験に基づいて規格等を定める原則を採用した。製剤の製造技術が飛躍的に向上したため,製剤に関する一般試験法,製剤総則が薬局方のなかで重要な地位を占めるようになった。第八改正版(1971公布)では,第一部,第二部の同時改正が行われ,第九改正版(1976公布)では,第八改正版での基礎づくりに支えられて5年目ごとの改正が初めて行われ,第一部,第二部が合冊として出版された。第十改正版では,製剤に関する試験法の充実が特徴といえるが,用法・用量,効能・効果が付録として巻末に収載されたことも著しい変革といえる。これは使用者の便宜を第一に考慮したものである。

日本薬局方の改定については薬事法41条3項に規定があり,厚生大臣は,少なくとも10年ごとに日本薬局方の全面にわたって中央薬事審議会の検討が行われるように,その改定について中央薬事審議会に諮問しなければならないことになっている。中央薬事審議会は,この諮問に応じて日本薬局方の改正について審議し,厚生大臣に答申するのである。

 1996年3月《第十三改正日本薬局方》が公布されたが,その収載品目についての考え方は,〈医療上の必要性,繁用度および使用経験などから検討のうえ,医療上重要と認められ,かつその用法・用量,効能・効果などが医療従事者(医師,歯科医師,獣医師,薬剤師)にとって公知のものである医薬品であって,性状,品質が規定できるものを選定する〉ということになっている。選定された医薬品は第一部および第二部に分けられ,第一部は,(1)繁用される原薬である医薬品,(2)繁用される基礎的製剤(主として単味の製剤),(3)繁用されないが,とくに治療上必要な医薬品,第二部は,(1)混合製剤,(2)天然物から生産された医薬品(主として生薬類),(3)製剤化のために必要な物質,(4)その他(衛生材料),という考え方がとられている。薬局方の改正作業は,中央薬事審議会の日本薬局方部会の下部組織として,11の専門的な委員会が設けられ,そこで改正原案の審議および作成が行われる。すなわち,総合委員会,収載品目委員会,第一化学薬品委員会,第二化学薬品委員会,生薬等委員会,製剤委員会,一般試験法委員会,名称等委員会,医薬品添加剤委員会,物性試験委員会,生物薬品委員会の11委員会である。

 第十三改正版の収載品目数は1292品目で,内訳は第一部824品目,第二部468品目である。その構成は,通則,製剤総則,一般試験法はいずれも第一部,第二部に共通であるが,生薬総則は第二部のみ,医薬品各条は第一部,第二部に分けられ,それらの医薬品はそれぞれ五十音順に配列され,各品目について規格および試験法が定められている。医薬品各条は薬局方の中核をなす部分である。前述したように,このほかに付録が巻末についている。

日本薬局方は薬事法41条に基づいて制定されているが,法律で〈薬局方〉という場合は,最新版の薬局方のことをさしている。薬事法2条では,医薬品について〈日本薬局方に収められている物〉とし,第一に薬局方があげられていることは,薬局方こそは日本の〈くすり〉の登録簿だとする国の姿勢を示しており,医薬行政における薬局方の重要性を物語るものといえよう。近年まで日本薬局方医薬品はすべて承認を要せず,製造するための許可だけで生産販売ができた。しかし第十改正版の作業中,1979年に薬事法が一部改正,施行され,薬局方医薬品であっても,製造する場合には,厚生大臣が指定する医薬品を除いては,すべて厚生大臣の承認が必要であることが14条で定められたのである(ただし薬局方を定義づけている41条についてはなんら変更はない)。これによって薬局方医薬品であっても,(1)用法・用量,効能・効果に問題がないか,(2)製剤に配合されている製剤補助剤の安全性に問題はないか,(3)製剤の安定性および生物学的同等性に問題はないかなどが検討されたのち,その結果を待って承認されることになった。

 薬局方の規定は,直接的には収載されている医薬品に関してのものであるが,その考え方などは広く一般医薬品にも適用されるべきであるという理念がある。たとえば,薬局方外医薬品の承認の場合,その剤形や容器,あるいは規格および試験法について,その考え方の原則は薬局方にあるというたてまえが審査の際の運用基本になっている。

1772年デンマークにおいて世界最初の国定薬局方が出版され,その後,先進諸国で相次いで薬局方が制定された。そのおもなものは,フランス(1818),アメリカ(1820),イギリス(1864),ドイツ(1872),イタリア(1892)であり,そのほか,ソ連,スイス,オーストリア,中国などがある。しかし,薬局方の運用は各国ともその国の薬事制度とも関連があり,日本では取締りに重点が置かれているけれども,外国では座右の書として広く活用されるなど,薬局方に対する関心は国によって異なっている。なお1965年から71年にかけて各国の薬局方がほとんど改版されている。

 世界各国の薬局方は,その収載品目がそれぞれ相違し,各品目の規格も同一でなく,このことは相互に交渉をもつ場合には不便である。それで各国薬局方を統一して万国共通の薬局方を制定する目的で,WHOが編集した《国際薬局方》(現在第3版)が発刊されている。また1963-64年に北欧4ヵ国(デンマーク,スウェーデン,ノルウェー,フィンランド)共通の北欧薬局方が制定され,またEC加盟各国(フランス,ベルギー,オランダ,ルクセンブルク,イタリア,西ドイツ,イギリス,スイスなど)を中心としてヨーロッパ薬局方も制定されている。そのほか汎アラブ薬局方,アジア薬局方などの制定も進められており,薬局方統一の気運は今後大きく発展する方向にある。
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化学辞典 第2版 「薬局方」の解説

薬局方
ヤッキョクホウ
pharmacopoeia

医薬品の品質を保証することを目的に,公的機関によって定められた規格書のこと.各国それぞれに薬局方が制定されており,日本薬局方(JP),アメリカ薬局方(USP),ヨーロッパ薬局方(EP)などが知られている.日本薬局方は1886年(明治19年)に初版が公布され,翌年施行された.その後,たびたび改正され,現在は第十四改正日本薬局方として医療上重要な医薬品1328品目を収載するに至っている.その目的は,法的規制のための規格の確立にあり,通則,製剤総則,一般試験法,医薬品各条から構成されている.通則は,薬局方全般に共通する規定を掲げ運用原則を定めている.製剤総則は,製剤通則と製剤各条から構成され,製剤通則は製剤全般の規定を定め,製剤各条は製剤に関する剤形,製法,試験法,保存方法を規定している.一般試験法は,収載されている医薬品の試験方法のなかで共通性の高いものを掲げて規定している.医薬品各条は,収載医薬品それぞれについて名称,構造,性状,製造方法,組成,規格,試験方法,貯法などを規定している.品目によっては投与法も示されており,薬剤師,医師が医薬品を使用する際の指針にもなっている.日本薬局方の今後の重要な課題は,医薬品の国際化の観点から,USP,EPと相互に国際調和をめざした積極的な取り組みを進めることである.

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「薬局方」の意味・わかりやすい解説

薬局方
やっきょくほう
pharmacopoeia

使用度が高く評価の定まった重要医薬品について,強度,品質,純度の基準を国が定めた公定書をいう。各国とも医薬は民間の製剤,処方から出発しているが,やがてこれに統一を与える必要から発達したもので,初め都市の公共団体や医師会が制定したが,のちに国家が制定してこれに法的強制力を与えることになった。したがって,薬局方は国民の健康を保持し,正しい医療が行われるための基礎的な保障である。国際薬局方と日本薬局方がある。日本薬局方は,1886年6月 15日真贋精粗を検して,その許可,不許可を決める基準として公布され,翌年7月から実施されたものが最初である。これは世界で 23番目,東洋では最初の薬局方であった。現在,薬事法に基づき厚生大臣が制定し,5年ごとに改正される。

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百科事典マイペディア 「薬局方」の意味・わかりやすい解説

薬局方【やっきょくほう】

主要な医薬品について,その品質・純度・強度などの基準を定めた公定書。ふつう国家が制定または認定し,法的拘束力を有する。おもな目的は高品質な医薬品を供給することにある。日本薬局方は1886年公布され,第十三改正(1995年公布)では,通則,製剤総則,一般試験法,医薬品各条,生薬総則などからなっている。
→関連項目蒸留水リンゲル液

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