出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
奈良県北西部の市。2004年10月新庄(しんじょう)町と当麻(たいま)町とが合体し成立した。人口3万5859(2010)。
葛城市南部の旧町。旧北葛城郡所属。人口1万9454(2000)。金剛山地東斜面の複合扇状地からなり,溜池が多い。中心は近世に定府大名永井氏の陣屋が置かれた新庄で,今も陣屋町の町割が残る。工業が盛んで,伝統的な家庭配置薬の工場やプラスチック加工,メリヤス,封筒などを製造する工場がある。JR和歌山線,近鉄御所(ごせ)線が通り,大和高田市,大阪方面への通勤者も多い。農業は稲作中心だが,野菜や花卉栽培も行われる。遺跡や文化財が多く,古墳時代中期の築造とされる前方後円墳の屋敷山古墳(史)があり,博西神社本殿,置恩寺の十一面観音立像などは重要文化財に指定されている。
葛城市北部の旧町。旧北葛城郡所属。1966年町制。人口1万5496(2000)。奈良盆地南西部に位置し,二上(にじよう)山の東麓を占める。古代から竹内(たけのうち)街道の要地であり,当麻寺の門前町として発展した。主産業は靴下などの製造業で,プラスチック製品や綿布などもつくられる。農業では菊の栽培が盛んで,山間地の露地栽培が中心であるが,近年は平地でも栽培されるようになり,温室栽培も始まった。《当麻曼荼羅》など多くの国宝,重要文化財をもつ当麻寺は染野の石光寺とともにボタンの名所としても知られる。近鉄南大阪線,国道166号線が通じる。
執筆者:松原 宏
古代の大和の地名。金剛山地の東麓,南から北に貫流する葛城川にはさまれた御所市,大和高田市,葛城市,北葛城郡にわたる地域の総称で,大和朝廷の歴史に一貫してあらわれる重要な地名である。綏靖(すいぜい)天皇の葛城高丘宮,安寧天皇の片塩浮孔宮,考昭天皇の掖上(わきがみ)池心宮,孝安天皇の室秋津嶋宮,いずれも伝承上の天皇の宮が葛城の地に選ばれた事例である。二つの氏族が葛城の地名を氏の名とした。葛城直は《日本書紀》神武2年条に葛城国造に任ぜられた劒根の裔で,《氏姓録》に高魂命5世孫とする神別の氏である。一方,葛城臣は孝元天皇の曾孫武内宿禰(たけうちのすくね)の子葛城襲津彦(そつひこ)を祖とする臣姓の氏である。襲津彦は同世代の応神天皇とともに実在性が高いと考えられている。襲津彦の女磐之媛(いわのひめ)は仁徳天皇の皇后として,履中,反正,允恭の3天皇を生み,葛城部を定められたとある。孫の葦田宿禰の女黒媛も履中天皇の妃となったと伝えられ,葛城臣が5世紀代の大王家,とくに履中系の外戚として重きをなしていたとみられる。襲津彦の孫(子ともいう)の玉田宿禰の子円(つぶら)が,安康天皇を殺害した眉輪(まよわ)王をかばったため,大泊瀬皇子(雄略天皇)によって焼き殺されたというのは,皇位をめぐる履中系と允恭系の争いの中で,葛城臣が没落したことを示す伝承である。《日本書紀》顕宗即位前紀によれば清寧天皇没後,履中天皇皇女(市辺押羽皇子の子ともいう)の飯豊青皇女が忍海角刺宮(おしうみつぬさしのみや)に臨朝秉政(へいせい)したという。葛城臣の没落後,葛城地方の豪族として残った葛城直が,葛城県を管掌していたと思われるが,新たに大王家の外戚となった蘇我氏の馬子が624年(推古32)に葛城県を本居として請うているが直轄領のため許されなかった。葛城県の名は,大化1年(645)8月詔に倭六県(やまとのむつのあがた)の一つとしてみえる。大化改新以後,葛城の地は,葛上(かつらぎのかみ)郡,葛下(かつらぎのしも)郡,忍海郡などに分割された。
執筆者:川口 勝康
能の曲名。四番目物。作者不明。シテは葛城明神の神霊。旅の山伏(ワキ)が大和の葛城山に入ると雪になった。そこへ柴を携えた女(前ジテ)がやってきて,山伏をわが家に連れて帰る。女は暖かく火を焚いてもてなし(〈クセ〉),祈禱をしてもらいたいと頼む。訳を尋ねると,自分は役行者(えんのぎようじや)の岩橋を架けよという命令に背いたために,蔦葛(つたかずら)で縛られて苦しみ続けている身だと告げて消え去る。女は葛城明神の仮の姿だったのである。夜に入って山伏が祈禱をすると,神霊(後ジテ)が現れて祈禱を喜び,大和舞(やまとまい)を舞ってみせ(〈序ノ舞〉),夜が明けて醜い顔かたちがあらわにならぬ先にと言って,岩戸の中に消えていく(〈ノリ地〉)。序ノ舞を神楽(かぐら)に変える変形の演出があり,そのときは〈大和舞〉〈神楽〉などの小書(こがき)が番組に書かれる。
執筆者:横道 万里雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「かつらぎ」とも。葛木とも。奈良県西部の古代以来の地名。奈良盆地の西端で,金剛山地・葛城山脈東麓にあたる。古くは葛城県(あがた)がおかれ,律令制下では葛上(かずらきのかみ)郡・葛下郡・忍海(おしのみ)郡にわかれた。この地を本拠とする葛城氏が大きな勢力をもっており,推古天皇のとき蘇我馬子(うまこ)は,葛城県を自分の本居として封県とすることを望んだが,天皇に拒否された。式内社に葛城一言主(ひとことぬし)神社・葛木水分(みくまり)神社(以上葛上郡。現,御所市),葛木倭文坐天羽雷命(しどりにいますあめのはずちのみこと)神社・葛木御県(みあがた)神社(以上葛下郡。現,葛城市)などがある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…歌舞伎《鞘当(さやあて)》の主人公として登場する人物。その最初は江戸の土佐浄瑠璃《名古屋山三郎》(延宝ごろ上演)で,不破伴左衛門は名古屋山三郎の友人として登場し,遊女葛城(かつらぎ)を争って山三郎の父を殺害し,親の敵として山三郎に討たれる。これと同じような内容の歌舞伎《遊女論》が江戸の市村座で上演され(延宝8年初演といわれるが座組からは貞享年間か),初世市川団十郎の不破,村山四郎次の山三郎,伊藤小平太の傾城葛城で評判となり,不破名古屋の歌舞伎が流行するようになった。…
※「葛城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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