美空ひばり(読み)みそらひばり

精選版 日本国語大辞典 「美空ひばり」の意味・読み・例文・類語

みそら‐ひばり【美空ひばり】

歌手。神奈川県出身。本名加藤和枝。九歳でデビューし、天才少女歌手として人気を集める。「悲しき口笛」「柔」「悲しい酒」など数多くヒット曲を残した。国民栄誉賞受賞。昭和一二~平成元年(一九三七‐八九

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デジタル大辞泉 「美空ひばり」の意味・読み・例文・類語

みそら‐ひばり【美空ひばり】

[1937~1989]歌手。神奈川の生まれ。本名、加藤和枝。9歳でデビュー、「リンゴ追分」「柔」「悲しい酒」などの演歌を中心に数多くのヒット曲を歌い続けた。没後国民栄誉賞受賞。

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改訂新版 世界大百科事典 「美空ひばり」の意味・わかりやすい解説

美空ひばり (みそらひばり)
生没年:1937-89(昭和12-平成1)

第2次世界大戦後の日本の代表的人気歌手。本名加藤和枝。横浜市磯子区滝頭(たきがしら)の魚屋の長女として生まれ,天性の才能と母親の〈芸能界好き〉によって,9歳から近くの劇場に出演,1948年には横浜国際劇場,49年には日劇と,本格的な劇場への出演をはたし,笠置シヅ子(1914-85)の《東京ブギウギ》など当時のヒット曲をおとな顔負けの巧みさでこなして,〈天才少女歌手〉として評判となった。49年9月,《河童ブギウギ》に続く2枚目のレコード《悲しき口笛》をコロムビアレコードから発売,続いて10月にはこれを主題歌とする松竹の同名主演映画も公開されて(これが初の主演映画。なお映画初出演は1949年3月の東横映画・斎藤寅次郎監督《のど自慢狂時代》),たちまち10万枚を売りつくし,やがて50万枚に迫る初の大ヒットとなった。51年には《越後獅子の唄》(斎藤寅次郎監督の松竹正月映画《とんぼ返り道中》の主題歌),52年には《リンゴ追分》(ラジオドラマ《リンゴ園の少女》の主題歌,同じ年に松竹で映画化もされる)の大ヒットを飛ばしてスターの座を確かなものにするが,これらの例にもみるように,〈歌に映画に〉といった2本立て形式での大衆への浸透が,以後,昭和30年代を通じての絶大な人気を築くことになる。ちなみに,昭和32年から36年まで5年間の映画出演本数は63本,年平均12本強にも及んでいる(なお,昭和33年7月に〈ひばりに関しては1社の独占を禁ずる〉という邦画6社の紳士協定が破られて東映が専属契約,それが昭和38年12月まで続いた)。

 1962年,日活のアクション・スター小林旭(1938- )と結婚,しかし〈スター同士の結婚〉は長続きせず,64年に離婚する。翌65年,作曲に古賀政男を得た《柔(やわら)》によって初のレコード大賞(第7回)を受賞,続く66年にも古賀政男の《悲しい酒》でヒットを飛ばし,〈演歌の女王〉〈歌謡曲の女王〉としての貫禄も示すようになる。

 だが,その後1960年代末から70年代,80年代にかけては,歌謡界(そしてそれを取りまく社会)の状況の変化もあって新しいヒットが生まれず,また,弟かとう哲也のたび重なる逮捕事件,暴力団との関係が取りざたされたことなどもあって,多くの社会的批判を浴びることとなった。しかし,《悲しい酒》に典型的にみられるような日本的な心情--いとわしくもあるがまた心地よくもある〈感傷的な自己陶酔性〉--によって,かつてのヒット曲は男女を問わぬ多くの日本人に今日も親しまれており,いろいろと批判はあるものの,〈歌〉を通しての美空ひばりは,依然,〈異能のヒロイン〉として大衆の中に生き続けている。
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百科事典マイペディア 「美空ひばり」の意味・わかりやすい解説

美空ひばり【みそらひばり】

第2次大戦後の代表的歌手。本名加藤和枝。横浜市の魚屋の長女として生まれ,幼時より歌唱の才能を発揮。9歳から劇場に出演,1948年に歌手デビュー,〈天才少女歌手〉として評判となった。1949年9月に《悲しき口笛》を発売,50万枚に迫る売上げを記録。1951年《越後獅子の唄》,1952年《リンゴ追分》など歌に映画に活躍。1962年小林旭と結婚,1964年離婚。1965年《柔》でレコード大賞を受賞,1966年《悲しい酒》がヒット,〈演歌の女王〉の座を不動のものにした。1989年国民栄誉賞(死後追贈)。
→関連項目歌謡曲斎藤寅次郎島倉千代子

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「美空ひばり」の意味・わかりやすい解説

美空ひばり
みそらひばり

[生]1937.5.29. 横浜
[没]1989.6.24. 東京
歌手,女優。本名加藤和枝。子供の頃から地方劇場をまわって歌い,1948年横浜国際劇場に進出。翌 49年8月映画『踊る竜宮城』に出演し,その主題歌『河童ブギウギ』でレコード・デビューを果す。9月に初主演した映画『悲しき口笛』は,第2次世界大戦後の混乱を生抜く少女を描いて同名の主題歌とともに大ヒットした。以後日本コロムビア・レコードと専属契約を結び,次々とヒット曲を出す一方,雪村いづみ,江利チエミとトリオを組んで活躍。その後,熱狂的なファンに塩酸をかけられるなど,不運の時期を経て,「歌謡界の女王」と称される存在となった。代表曲『リンゴ追分』『柔 (やわら,1965年日本レコード大賞受賞) 』『悲しい酒』などをはじめ,全作品は 1000曲以上に及ぶ。没後,女性初の国民栄誉賞が贈られた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「美空ひばり」の意味・わかりやすい解説

美空ひばり
みそらひばり
(1937―1989)

歌手、女優。本名加藤和枝(かずえ)。幼時から歌が大好きで、1946年(昭和21)9月、生地の横浜で初めて舞台に立つ。1949年、映画『のど自慢狂時代』に出演して注目され、同年コロムビア入社。レコード吹き込みの第一作は『河童(かっぱ)ブギウギ』。天才少女歌手として出演した映画『悲しき口笛』『東京キッド』『リンゴ園の少女』『あの丘越えて』は主題歌ともども大ヒットした。映画・舞台に活躍、比類ない歌唱力で、戦後の歌謡界に大きな足跡を残した。その他の代表曲に『悲しい酒』『柔(やわら)』など。平成元年6月24日没。国民栄誉賞が追贈された。

[畑 暉男]

『『ひばり自伝――わたしと影』(1971・草思社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「美空ひばり」の解説

美空ひばり みそら-ひばり

1937-1989 昭和時代後期の歌手。
昭和12年5月29日生まれ。昭和21年9歳で初舞台をふむ。天才少女歌手として評判をよび,24年「河童ブギ」でレコードデビュー。同年の「悲しき口笛」,25年の「東京キッド」など主演映画とその主題歌がつぎつぎにヒット。以後レコード曲数は1000をこえ,劇場公演でも活躍,歌謡界の女王と称される。代表曲に「リンゴ追分」「哀愁波止場」「柔」「川の流れのように」など。平成元年6月24日死去。52歳。国民栄誉賞を追贈された。神奈川県出身。本名は加藤和枝。
【格言など】今日の我れに明日は勝つ(座右銘)

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世界大百科事典(旧版)内の美空ひばりの言及

【歌謡曲】より

…一般に初期の歌手は,マイクなしでもよく通るかん高い声をもっている。戦後マイクロフォンの発達によって,よく通る声が歌手の必要条件でなくなり,美空ひばりの裏声による細やかな技巧のように,豊かな感情表現が求められるようになった。さらにはフランク永井の低音,森進一のかすれ声等の歌手が登場し,また音域も低くなり,一般の人々にも歌いやすいものになった。…

※「美空ひばり」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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