石橋(読み)しゃっきょう

精選版 日本国語大辞典 「石橋」の意味・読み・例文・類語

しゃっ‐きょう シャクケウ【石橋】

(「しゃく」は「石」の呉音)
[1] 〘名〙 石で造った橋。いしばし。せっきょう。
[2]
[一] 中国浙江省天台県の天台山にあった石橋。
[二] 能楽の曲名。五番目物。各流。作者不詳。寂昭法師が入唐し清涼山で石橋を渡ろうとすると、一人の童子が現われて橋の渡り難いことを説き、橋のいわれを語る。やがて獅子(しし)が現われ、咲き乱れる牡丹(ぼたん)の花の間を勇壮に舞い、御代の千秋万歳をことほぐという筋。後場で、紅白の牡丹の立木のある一畳台(いちじょうだい)を二台または三台出して勇壮に舞う。歌舞伎に大きな影響を与えている。
[三] 歌舞伎所作事。長唄。能の「石橋」の舞踊化。後ジテの獅子の踊りだけになり、「二人石橋」「三人石橋」「五人石橋」「雪の石橋」などがつくられた。「外記節石橋」は能に近く、「大石橋」とも呼ばれる。

せっ‐きょう セキケウ【石橋】

[1] 石造りの橋。石の橋。いしばし。しゃっきょう。
本朝麗藻(1010か)下・歳暮遊園城寺上方〈大江以言〉「石橋滑処杖紅藤
虞美人草(1907)〈夏目漱石〉五「蓮池(れんち)に渡した石橋(セキケウ)の欄干に尻をかける」 〔水経注‐済水〕

いし‐ばし【石橋】

〘名〙 石でつくった橋。石の橋。岩橋。せっきょう。
※玉塵抄(1563)一六「梁は石をわたいて橋にしてわたるを云ぞ。そこの石ばしのあたりに」

いしばし【石橋】

栃木県下都賀(しもつが)郡北東部の地名。日光街道の旧宿場町。かんぴょうの産地。

いしばし【石橋】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「石橋」の意味・読み・例文・類語

しゃっきょう〔シヤクケウ〕【石橋】

謡曲。五番目物。寂昭法師が入唐して清涼山の石橋に行くと、童子が現れ、橋のいわれを語って消える。やがて、文殊菩薩もんじゅぼさつに仕える獅子ししが現れて牡丹ぼたんの花に狂い舞う。

いしばし【石橋】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「石橋」姓の人物
石橋思案いしばししあん
石橋湛山いしばしたんざん
石橋忍月いしばしにんげつ

いし‐ばし【石橋】

石でつくった橋。
石を飛び飛びに置いて、伝っていくようにしたもの。飛び石
「三十ばかりの女…、―をふみ返して過ぎぬるあとに」〈宇治拾遺・四〉

せっ‐きょう〔セキケウ〕【石橋】

石造りの橋。いしばし。

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改訂新版 世界大百科事典 「石橋」の意味・わかりやすい解説

石橋 (しゃっきょう)

(1)能の曲名。五番目物。祝言物。作者不明。前ジテは樵夫。後ジテは獅子。寂昭法師(じやくじようほつし)(ワキ)が天竺に渡り,文殊菩薩が住むという清涼山(しようりようせん)にいたり,石の橋を渡ろうとすると,来かかった樵夫に制止される。樵夫のいうには,この橋は幅が1尺にも足らず,苔(こけ)ですべりやすく,下は千丈の谷底で,人間の渡り得る橋ではない。ここでしばらく奇瑞を待つのがよいと教えて立ち去る(〈クセ〉)。やがて,菩薩に仕える霊獣の獅子が現れ(〈乱序〉),山一面真っ盛りの紅白の牡丹に戯れつつ,豪壮な舞を舞う(〈獅子・ノリ地〉)。しばしば半能として後半だけを演じるが,荘厳重厚なクセと,華麗豪快な舞とが対照的に演じられてこそ,この能の真価が発揮される。獅子は赤頭(あかがしら)を着けるが,〈連獅子(れんじし)〉〈大獅子(おおじし)〉などの変型の演出では,白頭と赤頭の獅子が相舞(あいまい)をする。前ジテは童子が本来だが,老人で演ずるやり方もある。
執筆者:(2)近世邦楽の曲名。《石橋》の曲名をもつものは,地歌のものが有名であるが,能の《石橋》から出た歌舞伎舞踊には,後述のように〈石橋物〉と統括されるさまざまな楽曲があり,《外記節石橋》《新石橋》《牡丹の石橋》などのほかは〈獅子〉の語が曲名に付されるものが多いので,それらを〈獅子物〉ともいう。ただし,〈獅子物〉には,とくに地歌・箏曲・尺八・胡弓において,能とは無関係のものも多く,〈石橋物〉と〈獅子物〉とは区別される場合もある。地歌の《石橋》は,歌舞伎舞踊の《執着獅子》の源流である1738年(元文3)京都早雲座所演の所作事《番(つがい)獅子》から出たと思われるもので,芳沢金七・若村藤四郎作曲,初世瀬川路考(菊之丞)作詞とされる三下り芝居歌であるが,謡い物にも分類される。
獅子
執筆者:(3)歌舞伎舞踊の一系統に〈石橋物〉がある。作品は年代の古いものほど能の影響は少なく,趣向と詞章の一部をかりて歌舞伎化されているが,近代になるにつれて能に近づいている。野郎歌舞伎時代から元禄期(1688-1704)にかけて〈しゝ踊〉が猿若狂言に結びついてあらわれているが,それらと能との関係は明らかでない。元禄期には水木辰之助が〈今様能狂言〉で《花子しゝのらんぎょく》を演じ,早川初瀬が軽業の石橋を得意とした記録がある。現存最古のものは,1734年(享保19),初世瀬川菊之丞の《相生(あいおい)獅子》,続いて同人の《枕獅子》。初世中村富十郎の《執着獅子》にいたり,女方の〈石橋〉として完成をみた。当時は舞踊が女方の専門であったので,これらはいずれも前ジテは傾城姿で手獅子を持って踊り,後ジテも女の姿で長い毛に牡丹をつけた扇笠(2枚の扇を獅子頭に見立てたもの)をつけて狂うのが特色,毛振りは行わない演出が基本的な形式である。安永(1772-81)以後,立役も舞踊に参加する時代になると,獅子の勇猛さを強調する立役の〈石橋〉が生まれる。獅子の隈取に白頭(しろがしら)や赤頭の長い毛をつけ,馬簾つき四天(よてん)の衣装で,勇壮な毛振りを見せる後ジテの獅子の狂いが主体で,能にも女方舞踊にもない独特の演出となった。明治になると,能が一般大衆に解放され,能の演出を模倣した〈石橋〉があらわれる。後ジテの獅子の精が能装束と同じ大口・法被(はつぴ)に頭をつける形式で,《連獅子》《鏡獅子》などの作品があり,いずれも獅子の狂いを見せることに眼目がある。
執筆者:

石橋 (いしばし)
stone bridge

橋桁を石材でつくった橋。石工橋あるいは石造橋ともいう。ごく短支間の場合には石の板をかけ渡したものもあるが,もっともよく用いられたのはアーチ構造としてである。石は圧縮には強いが引張りにはさして強くなく,接着困難,重いなどの欠点があるため,アーチとしての利用は賢明な方法であった。とくに著名な古代ローマ時代の石造アーチ橋は力学の理にかなったまことに堅牢なつくりで,現在でもヨーロッパ各地にそのいくつかが残っている。その後この技術は中世ヨーロッパに継承されたほか,早くから中国に伝えられ,やがて日本にも伝来して,長崎の眼鏡橋(1634完成)をはじめ多くの石造アーチ橋が九州各地につくられた。琉球にはそれ以前にも中国風の石造アーチ橋があったという。しかし石造アーチは40m以下の支間長にしか適用できず,19世紀以降はより優れた構造材料であるコンクリートの出現により,庭園橋ぐらいにしか用いられなくなった。ただ中国では石造アーチの伝統的な工法が今なお残されている。
執筆者:

石橋(旧町) (いしばし)

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普及版 字通 「石橋」の読み・字形・画数・意味

【石橋】せつきよう(けう)

石造の橋。〔述異記、上〕秦の始皇、石橋を上に作り、(よぎ)り、日の出づる處をんと欲す。り、石を駈(か)る。去(ゆ)くことからず。人之れを鞭(むち)うち、皆血す。今石橋、其の色ほ赤し。

字通「石」の項目を見る

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百科事典マイペディア 「石橋」の意味・わかりやすい解説

石橋【しゃっきょう】

(1)能の曲目。五番目物。五流現行。作者不明。能の中で最も激しい獅子(しし)舞を中心とした曲。石橋は文珠菩薩の浄土にかかる石の橋。それを渡ろうとする寂照法師に仙童が橋のいわれを語る前段は深山幽谷の景を描いて効果的である。そこへ菩薩の霊獣獅子が現れ牡丹(ぼたん)の間を舞い狂う。(2)(1)を原拠とする地歌・長唄の曲名。地歌は初世瀬川路考作詞,芳沢金七・若村藤四郎作曲(異説あり)。18世紀初めころの京坂の歌舞伎芝居歌が遺存したもの。系統によって詞章に抜き差しがある。上方舞の舞地にも使用。長唄は,1820年10世杵屋六左衛門作曲。元禄期に行われた外記(げき)節の《石橋》の詞章を利用したもの。《外記節石橋》《大石橋》とも。 このほか,能の《石橋》の獅子舞の趣向を取り入れてアレンジした歌舞伎舞踊作品は数多く,邦楽曲の中に石橋物と総称される作品群を形成している。長唄舞踊曲の《相生獅子》《枕獅子》《執着獅子》《連獅子》《鏡獅子》などが有名。
→関連項目切能物猩々所作事

石橋【いしばし】

石材,煉瓦,コンクリートを主材料とした橋。石工橋ともいう。これらの材料は引張りに弱く,圧縮に強いのでおもにアーチ橋として使用され,石積みアーチ橋は橋の代表であったが,鉄筋コンクリート,PSコンクリートの橋が出現してからはほとんど作られない。日本の代表的な例に長崎の眼鏡橋(1634年完成,橋長23m)など。
→関連項目

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石橋」の意味・わかりやすい解説

石橋
しゃっきょう

能の曲名。五番目物。各流現行。作者未詳。季は初夏。ところは唐の清涼山の石橋。ワキの寂昭法師が,前ジテの樵童 (童子の面,黒頭,水衣,縫箔着流) に会い,石橋の向いは文殊菩薩の浄土であることを告げられる。中入り後,間狂言が仙人として登場のあと,乱序,露ノ拍子の習事の囃子に次いで,後ジテの獅子 (獅子口の面,赤頭,法被半切) が現れ,紅白の牡丹を飾った2つの一畳台で,豪華絢爛な獅子舞を舞う。重い習物で,祝言の意味で,半能で上演されることが多い。小書 (こがき) に,大獅子,師資十二段之式,連獅子,和合,真の型,三つ台などがある。後世の芸能に影響を与え,歌舞伎に石橋物として取入れられている。

石橋
いしばし

栃木県南部,下野市北部の旧町域。下野平野の中部にあり,宇都宮市の南に接する。 1891年町制。 1954年姿村と合体。 2006年南河内町,国分寺町と合体して下野市となった。中心地区の石橋は近世の日光街道の宿場町から発展。かんぴょうの主要な取引地。機械,繊維などの工場が進出している。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「石橋」の解説

石橋
〔長唄〕
しゃっきょう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
補作者
杵屋三郎助(4代)
初演
元文3.3(京・早雲座)

石橋
(通称)
しゃっきょう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
雪礫巌石橋
初演
明治24.12(東京・市村座)

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世界大百科事典(旧版)内の石橋の言及

【連獅子】より

…(1)能《石橋(しやつきよう)》の小書(こがき)(変型演出の名)。観世流は〈大獅子(おおじし)〉と称する。…

※「石橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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