疑獄(読み)ぎごく(英語表記)scandal

翻訳|scandal

精選版 日本国語大辞典 「疑獄」の意味・読み・例文・類語

ぎ‐ごく【疑獄】

〘名〙
① 罪跡がはっきりしなくて、有罪無罪の決定しがたい裁判事件。
令義解(718)獄「凡国有疑獄。〈謂。獄有疑。処断難明者也〉」
※随筆・折たく柴の記(1716頃)下「辛卯の八月十七日進講訖りし後、疑獄(ギゴク)一条をしるし出されたりけり」 〔礼記‐王制〕
② 特に、政治問題としてとりあげられるような、大規模な贈収賄事件。
※日本‐明治三〇年(1897)一〇月一一日「然るに此疑獄事件の進行中に当り、突然高野高等法院長の非職を見る」

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デジタル大辞泉 「疑獄」の意味・読み・例文・類語

ぎ‐ごく【疑獄】

政治問題化した大規模な贈収賄事件。
犯罪事実がはっきりせず、有罪か無罪か判決のしにくい裁判事件。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「疑獄」の意味・わかりやすい解説

疑獄
ぎごく
scandal

本来は、疑わしくて有罪か無罪か判決しにくい裁判事件をいう。出典は、古い中国の『賈誼(かぎ)新書』に「梁(りょう)かつて疑獄あり、半(なか)ば以(もっ)て罪に当ると為(な)す、半ば以て当らずと為す」とあり、日本では、平安朝の法律解説書『令義解(りょうのぎげ)』獄令に「およそ国に『疑獄』(獄疑うところあり処断明らめ難きものなり)あり、決せざれば刑部省(ぎょうぶしょう)に讞(はか)る」とあるによる。転じて、第二次世界大戦前および戦後しばらくは主として、政治問題化した大掛りな贈収賄事件という意味に使われていたが、現在ではあまり使われなくなった。

 明治以降、日本の資本主義はもっぱら、特権政商資本の政府権力への癒着と政商の手厚い保護のもとに育成された。そのため創成期には、山城屋(やましろや)事件、三谷三九郎(みたにさんくろう)事件、尾去沢(おさりざわ)銅山問題、藤田組贋札事件、開拓使官有物払下げ事件、「海坊主(三菱(みつびし))退治」(三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎と立憲改進党の大隈重信との結び付きによる明治初期における三菱の急膨張を、三井財閥自由党が三菱を海坊主、大隈を大熊になぞらえて非難攻撃した)など政商と権力の黒い疑惑が問題になった。しかし、それらが疑獄を構成するには、これを摘発弾劾する民意世論と自浄機構の整備をまたなければならなかった。

 1902年(明治35)に至ってようやく、教科書売り込みをめぐる全国的な汚職事件「教科書疑獄」が摘発され、1910年には「日糖疑獄」が立件された。日糖疑獄では、検事局が代議士20余人を検挙したが、これは、藩閥政府から相対的に独立した「検察官僚」が独自の検察権を行使しえた最初の事件といわれる。1914年(大正3)のシーメンス事件(ビッカース事件)は、帝国海軍高官の器材、軍艦の発注をめぐるコミッション(手数料、賄賂(わいろ))に絡む、日本初の国際疑獄事件であった。この結果、山本権兵衛(ごんべえ)内閣は総辞職した。このほか、内閣を倒した疑獄事件は、第二次世界大戦前では、斎藤実(まこと)内閣を崩壊させた帝人事件(1934)、戦後では、芦田均(あしだひとし)内閣をつぶした昭電疑獄事件(1948)がある。この昭電疑獄造船疑獄(1954)、ロッキード事件(1976)は、戦後昭和あるいは第二次世界大戦後の三大疑獄といわれる。昭電疑獄は、敗戦で焦土と化した日本の産業復興を目的として生まれた復興金融金庫の政策融資に絡んだ汚職事件であり、造船疑獄は、計画造船および造船利子補給法改正案の成立をめぐる贈収賄事件で、いずれも国家資金の投融資に関係の深い戦後疑獄の典型といえる。しかし、造船疑獄の検察権による追及が、吉田茂内閣の指揮権発動によって阻止されて以降、日本では疑獄事件で断罪される政界の大物はほとんどいなくなった。唯一の例外は、この構造汚職体制の壁を、アメリカ議会での企業監査上の証言という形で、アメリカからの証拠・証言によって打ち破ったロッキード事件であった。

 昭和期から平成期に移る1980年代末から90年代初頭にかけて、財政政策の失政によるいわゆるバブル経済崩壊以降、日本社会は大きく変貌(へんぼう)、変質し、中国の古典に由来するいかめしく古い語感をもつ「疑獄」ということばはむしろ死語に近くなった。このことは、かならずしも疑獄の実質がなくなったという意味ではない。むしろそれは、半世紀もの間における、実質的な政権交代が絶無という日本の国家組織全体の制度疲労の結果として、構造汚職体制の定着とともに、政治、行政腐敗の日常化が進行し、大掛りな贈収賄事件でさえ政治問題化せず、疑獄という認識すらない「モラル・ハザード」(道徳観の欠如)の風潮が瀰漫(びまん)する堕落退廃した社会に陥っているのではないかとの危惧(きぐ)も指摘されるのである。

 その一例が、1999年(平成11)ころから全国的に続発する本来国家権力の行政作用と司法作用の第一線であるべき警察官の、驚くべき士気退廃や汚職、不正行為である。また、国家防衛の重責を担う防衛庁(現防衛省)による防衛庁背任汚職事件(1998)では、防衛施設庁トップの背任汚職を防衛庁自身が組織的な証拠隠しを行い、防衛庁長官の引責辞任にまで発展し、モラル・ハザードもここに極まったという事件を起こしている。過去にさかのぼれば、元首相以下の権力特権階級七十数名が絡んだ値上り必至の未公開株をめぐる贈収賄容疑事件の「リクルート事件」(1988~1989)や、贈賄側は公共事業請負の大手建設企業のトップの面々、収賄側は当時の建設大臣以下2県知事、1政令指定都市市長などが検挙された「ゼネコン汚職」(1993~1994)というバブル期の二大疑獄事件も、本来は「疑獄事件」として徹底的な究明を敢行し、戦後構造汚職体制を清算すべき総決算のチャンスであったにもかかわらず、結局は不徹底な捜査で早々に幕引きとなった。

 おりからのグローバルな民主化と自由化の波は、旧大蔵省の護送船団方式による金融過保護財政下での特異かつ跛行(はこう)的な金融財政体系を護持してきた日本にも、金融ビッグバンをもたらした。これにより、膨大な不良債権を長年糊塗(こと)してきた日本の金融機関と旧大蔵省、日銀行政の癒着やなれあいによる過剰接待など、官僚と企業のMOF担(大蔵省の英文表記Ministry of Financeの頭文字からこうよばれた)による無数のスキャンダルがとめどなく白日のもとにさらされたのであった。

 金銭スキャンダルや「政治とカネ」の問題は、2009年の政権交代および自民党の下野によって解決されるかにみえた。しかし、民主党政権となってからも、鳩山由紀夫首相の偽装献金問題など、さまざまな問題が明るみに出ており、疑獄の根が根絶されたとは言いがたい。

[室伏哲郎・五十嵐仁]

『室伏哲郎著『汚職学入門』(1976・ペップ出版)』『松本清張編『疑獄100年史』(1977・読売新聞社)』『室伏哲郎著『実録昭和の疑獄史』(1989・剄文社)』『室伏哲郎著『室伏哲郎の世界汚職探検』(1996・三修社)』『堀田力著『壁を破って進め――私記ロッキード事件』上下(1999・講談社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「疑獄」の意味・わかりやすい解説

疑獄 (ぎごく)

〈疑獄〉という言葉は,元来入獄させるか否かが明確でなく,犯罪事実があいまいな事件を意味する。この種の事件は多かれ少なかれ政・官・財界に波及するため,現在では政治問題化した利権関係事件の総称となっている。政治問題として社会的に大きく取りあげられ,ジャーナリズムによる声高な批判を代償として,刑事事件としては訴追されることがきわめて少ないのが疑獄事件の特徴といってよい。

 明治初期においては,山県有朋が関与したといわれる山城屋事件など,藩閥政府と政商とが特権の供与をめぐって直接結びついたケースがあり,多くは表沙汰にならなかった。しかし北海道開拓使官有物払下事件は,大隈財政や薩派の積極主義を焦点に,明治14年の政変と称される政治変動を引き起こした。帝国議会開設後は,許認可行政と政治資金獲得をめぐる疑獄が表面化する。そこで政党政治の推進者星亨は,東京市政疑獄などを通じて疑獄の中心人物ともなった。さらに官公需をめぐる政治と実業との癒着が進み,1909年には脱税問題に端を発した日糖疑獄が発覚する。14年には軍艦発注をめぐるシーメンス事件が発覚して海軍の一大スキャンダルと化し,海軍出身の山本権兵衛内閣が崩壊した。この前後から,議会,官庁,実業家を含めた疑獄事件の頻度が増す。その背景に,一方で実業家の政界への進出があり,他方で平沼騏一郎ら司法部の政治的独立があったといわねばならない。大正末から昭和初期の政党政治は,二大政党の交代による疑獄の顕在化をもたらした。満鉄疑獄事件(1921),松島遊廓疑獄(1926),陸軍機密費事件(1926),朝鮮総督府疑獄(1929),売勲事件(1929),五私鉄疑獄(1929)など,政友・民政両党をまきこんだ疑獄は枚挙にいとまがない。その後,斎藤実挙国一致内閣を崩壊させた帝人事件(1934)は,事件そのものが〈空中楼閣〉とされ全員無罪となった。これは,政党内閣崩壊後の政治的主体確立をめぐる状況の中で司法部の政治化が進んだことを意味する。しかし昭和10年代になると戦時体制への移行もあり,疑獄事件は顕在化しなかった。

 第2次大戦後は,占領中に早くも疑獄が復活する。戦後疑獄の特徴は,政府の政策と国家資金の散布との相互関係から生じる点にある。特に昭和20年代は,政府の民間に対する保護政策を焦点とした事件がめだっている。1948年の昭電疑獄は,傾斜生産方式による復興金融金庫の政策融資をめぐり,GHQ内の対立もからんだ事件であり,54年の造船疑獄は,計画造船における見返り資金(利子補給,開銀融資)をめぐり,検察内の対立もからんだ事件として著名である。昭和30年代以降,許認可行政の範囲の拡大と国際的な融資の増大とにより,第1次・第2次FX選定問題,インドネシア賠償問題,ソウル地下鉄問題,税政連問題,KDD事件などの疑獄が表面化した。なかでも76年のロッキード事件は,アメリカで発覚し前首相田中角栄の逮捕,起訴にまで至った戦後最大の政治事件といってよい。

 これ以降,今日にいたる疑獄事件の特徴は,汚職が社会の各分野に拡大していったことにある。結局,長期にわたる自民党単独政権の下で,政務調査会を活躍の場とする族議員が増え,政・官・財界の3者に特定の結びつきが成立し,日本社会の中に固定化していったことがその背景としてある。これを一般に〈構造汚職〉と定義している。リクルート事件(1988)は典型的な構造汚職であり,職務権限と対価とが不明確な,いわゆる“タニマチ”感覚が問題とされた。これにより竹下登内閣が倒れ,以後各内閣は政治改革を課題としつづける。しかし佐川急便事件(1992)で自民党副総裁金丸信が,副総裁,次いで議員も辞職のやむなきにいたり,さらに巨額脱税事件(1993)で逮捕されてしまった。そしてゼネコン汚職(1993)解明の最中に,38年間続いた自民党政権が崩壊した。その後,非自民連立政権,自民・社会・さきがけ連立政権など,政界再編成を伴う動きの中で,政治改革が最大の課題とされながら,住専問題,証券スキャンダルなどが次々と明るみに出されている。いわゆる裏社会までを含んだ日本の政治経済システム全体が,一つの転換期を迎えている。
汚職
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「疑獄」の意味・わかりやすい解説

疑獄
ぎごく

はっきりした証拠がつかめないので有罪か無罪か疑わしい裁判事件。金品の提供によって利権を獲得する贈収賄事件が多い。第2次世界大戦後の日本の政界における著名な疑獄事件は,1948年の昭和電工事件,54年の造船疑獄,76年のロッキード事件などがある。

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普及版 字通 「疑獄」の読み・字形・画数・意味

【疑獄】ぎごく

罪の当否を定めがたい裁判。職務にかかわる大贈収賄事件。〔礼記、王制〕疑獄は、氾(ひろ)く衆と之れを共にし、衆疑ふときは之れを赦す。

字通「疑」の項目を見る

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