牢屋(読み)ろうや

精選版 日本国語大辞典 「牢屋」の意味・読み・例文・類語

ろう‐や ラウ‥【牢屋・籠ロウ屋】

〘名〙 囚人を入れておく所。牢。牢獄。ひとや。
浮世草子好色一代男(1682)四「今入の小男、籠屋(ラウヤ)の作法にまかせ胴をうたす」

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デジタル大辞泉 「牢屋」の意味・読み・例文・類語

ろう‐や〔ラウ‐〕【×牢屋】

罪人などを捕らえて閉じ込めておく所。牢獄。牢。
[類語]刑務所監獄牢獄拘置所留置施設留置場豚箱獄舎獄窓獄中監房独房独居房収容所

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改訂新版 世界大百科事典 「牢屋」の意味・わかりやすい解説

牢屋 (ろうや)

近代以降の牢屋すなわち監獄(刑務所)とは,懲役刑,禁錮刑を宣告された犯罪者が身体を拘束される場所を意味するが,その目的や機能には(1)犯罪者の自由を剝奪するという社会的制裁,(2)有益な労働を行わせて犯罪者の社会復帰に備えさせるという矯正の役割,(3)社会秩序を保つため社会の危険人物を隔離する役割,などがある。しかし,牢屋は人間の歴史とともに存在しており,その機能および社会的存在理由は,時代や諸地域の社会の進展とともに大きく変化し,当初から以上のようなものではなかった。

今日では,投獄は刑罰の一環として存在するが,前近代のヨーロッパの刑罰は死刑,漕役刑,笞刑,追放刑,強制重労働あるいは罰金刑,財産没収などが一般的であった。投獄によって身体を拘束するという措置は,被疑者が刑の宣告をうけ,刑が執行されるまで逃亡を防ぐための場合か,債権者の訴えによって負債を支払わない債務者が収監される場合で,投獄は刑罰でないとするローマ法の影響によるところが大きく,中世ヨーロッパの法原理はこれを踏襲した。とはいえ中・近世の西欧において刑罰としての監禁がなかったわけではない。また権力者によって政治犯が投獄されることはひんぱんであった。フランスのコンシエルジュリ,バスティーユ,バンセンヌ城,イギリスのロンドン塔,ローマのサンタンジェロ城はその代表的な牢獄であった。

 牢屋としては,古代では,ヘブライ人は水がたまっていない貯水槽を,ギリシア人は鉱山の坑道を,シラクサの僭主ディオニュシオス1世は採石場を,ローマ人は同じく鉱山や採石場を利用した。中世では,国王のほか教会や裁判権をもつ領主もそれぞれ牢屋をもっていたが,それらは城砦や修道院などの一部を利用したもので,管理は私人の請負制となっており,収容者は〈宿泊料〉を請負人たる看守に支払う場合が多かった。したがって,牢屋の管理は乱脈をきわめ,男女いっしょで,年齢による区別,罪の軽重による区別はなく,しかも不衛生で疫病の発生源となることも多かった。

 今日的な意味での牢屋すなわち投獄自体を目的とする監獄は,封建社会から近代社会への移行期に,おびただしい数のマルジノー(周縁性的人間,乞食・浮浪・無宿者など)が社会に放たれるなかで生まれていった。絶対王権は,保護救済の名のもとに彼らを収容所(矯正院)に強制的に押し込めるか,浮浪自体を犯罪と規定して漕役刑や流刑に処した。収容所ではマニュファクチュアや土木工事の労働に従事させたが,しだいに一般の犯罪者も収容されるようになり,監獄との区別はなくなっていった。イギリスのブライドウェル(1553),アムステルダムのラスプハイス(1595),フランスの一般施療院(1656)などは矯正院として有名であったが,このような閉込めは排除のシステムの始まりでもあった。ここに懲役刑,禁錮刑の起源をみることができる。

 18世紀後半から19世紀にかけて,近代合理主義思想が広まるにつれて,牢屋の改革運動がさかんになった。この運動は刑罰の改革と一体をなしているが,いち早く産業革命に突入したイギリスからおこった。J.ハワードの《イングランド及びウェールズにおける刑務所の状態と諸外国の刑務所の報告》(1777)は欧米諸国に大きな反響を呼びおこし,アメリカではペンシルベニア制オーバーン制があみだされた。19世紀前半の改革構想の中心は独房孤立化システムにあり,基本的には犯罪者と社会の分離にほかならず,近代初頭の乞食・浮浪の閉込めの延長線上にあるといえる。実際には財政的理由や囚人の精神異常化などの要因から独房孤立の完全化は実現されていないが,今日まで懲治監獄システムは試行錯誤しながらも続いているといえる。
執筆者:

牢屋を獄舎(ひとや)といい,平安京では刑部省被管の囚獄司が管掌する獄舎が囚人を収監した。《平治物語絵詞(えことば)》に入道信西の首を獄門に懸けた獄舎のようすが描かれている。それによれば,周囲に築垣をめぐらし,その内部には太い柱の間に3本ずつの間柱を立て内側から横板を透打ちにした監獄が建てられ,獄門の近くに樗(おうち)の木が植えられていた。収容される囚人は既決囚未決囚はもとより,告言を行った者も誣告(ぶこく)容疑者として,その容疑がはれるまで収監された。囚人の身分や罪の軽重により刑具を付ける場合と付けない場合とがあった。獄囚の取扱いに関し獄令と断獄律に規定がみえ,席薦衣食は官より支給し,病気のときは家人の看侍を許すが,紙筆兵刃杵棒の類の持込みは認めず,女囚は男囚と所を異にし,産月に臨むと一時出獄を許すことになっていた。獄卒の違法行為を取り締まるため,弾正台官人が巡検することになっていたが,獄囚らは劣悪な条件下に置かれていた。
執筆者: 鎌倉幕府で既決・未決の囚人を拘禁することを禁獄,召禁,召籠というから,拘禁するための獄舎,籠(牢)舎があったはずだが,その実態は不明である。公家,僧侶,御家人に対しては,しかるべき御家人あるいは守護などに囚人を召し預ける(預け置く)方法がとられるから,獄舎があるとすれば御家人身分にならない侍や一般庶民や下人等を対象としたものであろうか。京都では検非違使庁(けびいしちよう)の左右の獄はずっと機能していたが,武家では六波羅探題に大楼(たいろう)と呼ぶ牢舎があったとみられる。1272年(文永9)和泉国御家人に大番役として大楼守護兵士役が課せられ,土御門大宮の篝屋(かがりや)の指示に従って勤仕すべきことが命ぜられている。護良(もりよし)親王足利直義(ただよし)によって鎌倉の雪ノ下の土牢に幽閉された例のように,獄舎の形態にも恒常的なものと臨時のものとがあったであろう。室町幕府になると,使庁の獄は不明確になり,中期には侍所頭人の邸の一画に牢を作ることがあり,法華僧日親もこれに籠められている。
執筆者:

江戸時代の牢屋は拘置所たる性格をもつもので,その最大の機能は,刑事事件で取調中の者(ただしそのすべてではなく,重罪に相当するとの推定を強く受けたもの)を勾留することにあった。しかしこのほか,次の三つの機能をも有した。(1)有罪判決(とくに遠島(えんとう)刑)を受けた者を,刑の執行(出船)まで拘置する場所としての機能。(2)永牢(ながろう),過怠牢(かたいろう)という,幕府の法体系の外に,いわば例外的にのみ存在した禁錮刑を執行する場所としての機能。永牢とは無期禁錮の刑で,死刑,遠島に相当するものが自訴した場合や,諸藩で遠島刑に用いるべき島がないときに,遠島に代わる刑として採用すべきものとされた刑罰であるが,費用がかさむうえ,受刑者が他の未決囚に悪影響を及ぼすため,あまり適用されなかった。過怠牢は,女性と無宿でない15歳未満の者に対して,たたき)刑の代りに科した禁錮刑で,刑期は30日または50日であり,幼年者が牢で成人と雑居させられるのであるが,この適用例はかなりあった。なお牢屋では懲役刑は行われることがなく,したがって牢屋には懲役監としての性格はなかった。(3)死刑,入墨刑が牢屋の構内で執行されたので,牢屋には刑場としての機能も加わっていた。

 江戸幕府の牢屋には,関東郡代支配の本所牢屋,京都・大坂・長崎などの奉行所の牢屋,各代官所の牢屋などがあるが,最も大きく,著名なのは江戸の小伝馬町牢屋である。これは慶長年間(1596-1615)から1875年まで同地にあり,三奉行所,評定所,火付盗賊改の囚人を収監した。練塀と堀に囲まれた約2600坪余の敷地の中には,獄舎のほか,囚獄(牢屋の長)石出帯刀(たてわき)や牢役人の住居・詰所(つめしよ),死刑場,拷問場などが付属していた。獄舎には旗本(ただし500石以上は大名等に預ける)や格式の高い神官・僧侶を収監する揚座敷(あがりざしき),御家人・藩士・神官・僧侶等を入れる揚屋(あがりや),庶民を収容する狭義の牢,すなわち大牢(たいろう),二間牢(にけんろう),百姓牢の区別があった。女性は全部揚屋の一つに集め,これを女牢と称した。また無宿と無宿でない者とは分離して収容された。各舎房には牢名主を頂点とする役付囚人がいて,他の平(ひら)囚人を強圧的に支配し,牢法の名の下に新入り囚人や牢内の規律に若干なりとも背いた者などに折檻,懲戒,もしくは私刑を科し,牢の管理者はこのような牢名主を任命,掌握することによって,牢内の規律を維持したのであった。このような過酷な牢名主制の存在,不衛生な環境と,30畳敷の大牢に100人以上も詰め込まれる過剰拘禁(その中でも役付囚人が広い場所を占領して,平囚人は一畳に18人が寝なければならない場合もあったという)の中で,牢死者は1年間に2000人にも及んだことがあり,まさに〈この世の地獄〉であった。また入牢者は入牢の際〈ツル〉と称して相当の額の金銭(小粒銀など)を,のみ込むなどして禁制をくぐり牢中に持ち込み,これを牢名主に差し出す必要があった。牢名主らはこの金で食料,酒,タバコなどを牢外から購入して牢内にふるまったり,博奕を行ったりした。金で牢名主から舎房内のやや広い場所を買い取ることもでき,まさしく〈地獄の沙汰も金次第〉であった。近代的自由刑の先駆となるものは牢屋にはなく,それは人足寄場や熊本藩の徒刑制度の中に見いだされなければならないが,反面,江戸時代の牢屋の伝統の中には,明治以降の監獄に受けつがれた部分も少なくないとされている。
執筆者:

牢,獄,牢獄,牢監,監などいろいろの名があるが,漢から唐までの間の法典の中では〈獄〉といい,明以後は〈監〉〈監獄〉という。先秦時代には〈羑里(ゆうり)〉〈囹圄(れいご)〉〈圜土(えんど)〉などと呼ばれ,統一的名称はなかったらしい。《周礼》に圜土の制が記され,秋官の大司寇の下に司圜なる官がある。そこでは悪人を収容して教化を施す所との意が説かれているが,監獄の機能に教化を含めるのは少なくとも漢以後の儒家の理想であり,実際には歴代未決囚を収容するのが主たる任務であったと思われる。徒・流の際の労役も僻遠不便の地で獄の設備のある所とは限らない。未決期間は清朝の場合通算しても1年を超えないが,事実上裁判が遅延して〈法に死せず獄に死す〉という状況もまた存した。清代監獄には中央の刑部直轄と地方管轄のものとがあり,刑部では〈提牢庁〉が主管で,主事・司獄が獄卒を監督し,囚徒に衣糧医薬を与える。その種類に内監,外監,女監の区別があり,罪の軽重,性別で区別収監する。地方では司獄や典吏があり,その下に獄卒がいる。獄卒に〈禁卒〉なるものがあり,〈奴僕〉〈娼優〉などとともに〈賤〉の一類とされていたことが《嘉慶会典》にみえる。獄卒のとりまとめは〈牢頭〉などという。

 牢舎は大小さまざまであったが,1棟を設けその前面左右にそれぞれ1棟,計3棟であるのが普通で,〈罪〉の字の形をしているのだという。この全体に鉄柵,木柵をめぐらし,一個の小門を設けてその中に看守室があり,獄卒が起居して看守した。拘禁の方法には鎖具を施す〈鎖収〉と,施さない〈散収〉とがある。鎖具は手,足,頸につける械(かせ)で,罪の軽重によって施す。囚人の衣服食糧等は官の責任であり,また虐待は禁止され,それぞれ法は備わっていたが,実際には惨状を呈し,黄六鴻の《福恵全書》は〈犯人獄に入らば性命獄卒の手にかかる〉として,虐待の方法七ヵ条をあげている。
監獄 →刑務所 →拘置所
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「牢屋」の意味・わかりやすい解説

牢屋
ろうや

未決,既決の囚人を拘禁する場所。日本の律令制においては獄と称し,「比度屋」「人屋」 (ひとや) と訓じた。これを監督する官庁は刑部省囚獄司であった。奈良時代の記録には,『江談抄』が長岡獄に関し,それが荒れほうだいで脱獄がきわめて多かったと記すなど,すでにこの頃には獄舎が整えられていたことが知られる。平安京においては,左右京にそれぞれ獄がおかれ,検非違使がこれを管掌していた。中世においても獄は存在しているが,その様式については定かに伝わっていない。獄前には死囚の首をさらす獄門を備えていたということは知られている。江戸時代においては,囚禁の場所,すなわち前代の「獄」のことを「牢」あるいは「籠」と称した。牢は江戸,京都その他各地に設けられたが,その設置の主たる目的は未決囚の拘禁であった。江戸町奉行所の牢は,江戸小伝馬町におかれ,石出帯刀 (いしでたてわき) が牢屋奉行としてその支配を世襲した。牢には,500石以下御目見以上の旗本を禁ずる揚 (あがり) 座敷,御目見以下の直参を禁ずる揚屋,町人百姓を拘禁する大牢,百姓牢,無宿者を禁ずる二間牢,無宿牢,女性専用の女牢,病者を収容する溜 (たまり) などの種類があり,このほかに,法廷に呼出された囚を入れる仮牢が,奉行所内に設けられていた。なお,牢内においては,一種の自治が認められ,牢名主,角役 (すみやく) などが,その雑事を管掌した。明治以降は近代的な監獄の制度 (→刑務所 ) に改変されていった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「牢屋」の解説

牢屋
ろうや

江戸時代の刑事施設。本来は取調べ中の者を拘留しておくための施設であった(ただし被取調人のすべてが牢屋に未決拘留されたわけではなく,軽罪の者はできるだけ入牢させず,村や町に預けおかれるべきものとされた)。また有罪確定者の刑執行までの拘置場所,永牢・過怠牢などの刑罰のための拘禁場所,死刑や拷問の執行場所などとしても機能し,不浄の地,この世の地獄などといわれた。江戸小伝馬(こでんま)町の牢屋が最大で,数百人を収容し,身分の高下に応じて収容すべき獄舎が区別されていた。牢屋奉行は各獄舎ごとに牢名主を任命し,囚人監視の職務を請け負わせたため囚人間に特殊な牢法が発達し,私刑も行われた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「牢屋」の意味・わかりやすい解説

牢屋
ろうや

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