浮田一蕙(読み)うきたいっけい

精選版 日本国語大辞典 「浮田一蕙」の意味・読み・例文・類語

うきた‐いっけい【浮田一蕙】

江戸後期の画家宇喜多秀家子孫自称し、浮田は宇喜多とも記す。尊王家。京都の人。姓は豊臣。名は公信、のち可為。安政大獄の際入獄和歌、書にもすぐれた。寛政七~安政六年(一七九五‐一八五九

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デジタル大辞泉 「浮田一蕙」の意味・読み・例文・類語

うきた‐いっけい【浮田一蕙】

[1795~1859]江戸末期の画家。京都の人。絵を田中訥言たなかとつげんらに学び、復古大和絵派中心となるが、安政の大獄で捕らえられて入獄。出獄後まもなく没。

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改訂新版 世界大百科事典 「浮田一蕙」の意味・わかりやすい解説

浮田一蕙 (うきたいっけい)
生没年:1795-1859(寛政7-安政6)

江戸末期の画家。京都の人。名は可為(よしため)。豊臣を称し,一蕙斎,昔男精舎などの号がある。田中訥言たなかとつげん)に師事し,当時沈滞していたやまと絵の復興に努力した。宇喜多秀家の後裔といい,詩文と和歌に長じた勤王家でもあった。1858年,安政の大獄の際に捕らえられ,翌年釈放の後,京都で没。代表作《婚怪草紙》(1858)は公武合体策による和宮降嫁策謀風刺した作品として注目される。歴史画には《子日遊図屛風》《大堰川三船図屛風》(ともに泉涌寺)がある。
復古大和絵派
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浮田一蕙」の意味・わかりやすい解説

浮田一蕙
うきたいっけい

[生]寛政7(1795).京都
[没]安政6(1859).11.14. 京都
江戸時代末期の復古やまと絵派の画家,尊王思想家。姓は藤原のち豊臣。氏は浮田または宇喜多。名は公信のち可為 (よしため) 。通称主馬 (しゅめ) など。号は一 蕙,為平など。田中訥言 (とつげん) に絵を学び,平安・鎌倉時代のやまと絵,有職故実を研究して,当時の形式化したやまと絵の復興に努めた。絵のほか書,和歌にもすぐれる。また『婚怪草紙絵巻』による公武合体論の風刺,「時務策」の朝廷への奏上など勤王家として過激な政治活動を行い,安政の大獄の際その子可成とともに江戸で投獄された。翌年放免されて帰洛後まもなく没した。主要作品『浜主舞楽図』,『子日遊 (ねのひのあそび) 屏風』 (泉涌寺) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浮田一蕙」の意味・わかりやすい解説

浮田一蕙
うきたいっけい
(1795―1859)

江戸末期の復古大和(やまと)絵派の画家。京都に生まれる。姓は宇喜多とも書き、名は公信(きみのぶ)、のちに可為(よしため)と改め、一蕙斎と号した。通称は内蔵輔(くらのすけ)。復古大和絵派の創始者、田中訥言(とつげん)に画技を学び、当時の画壇の粉本主義に飽き足らず直接古典にあたることによって大和絵を復興しようとした。代表作としては『子日遊図屏風(ねのひあそびずびょうぶ)』、『四条河原夕涼図』、故事に取材した歴史画である『大堰川(おおいがわ)舟遊図屏風』などがある。そして絶筆となった『婚怪草紙絵巻』は、当時の皇女和宮(かずのみや)降嫁事件の風刺画と考えられ、一蕙の鋭敏な時代意識と、積極的な時代参加の姿勢を示している。1859年(安政6)安政(あんせい)の大獄に連座し、このため病を得て没す。

[加藤悦子]


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浮田一蕙」の解説

浮田一蕙 うきた-いっけい

1795-1859 江戸時代後期の画家。
寛政7年生まれ。宇喜多秀家の子孫と自称。田中訥言(とつげん)にまなび,大和絵の復興をめざす。尊攘(そんじょう)家で,ペリー来航のときには「神風夷艦を覆するの図」で攘夷(じょうい)論を鼓吹,「婚怪草紙絵巻」で和宮降嫁を風刺した。安政6年11月14日死去。65歳。京都出身。名は公信,可為(よしため)。

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世界大百科事典(旧版)内の浮田一蕙の言及

【田中訥言】より

…師の没後は嗣子光孚(みつざね)の後見役を果たし,名古屋を中心に活躍した。色彩に関する古典研究《色のちくさ》(1818)を著し,その門から浮田一蕙,渡辺清(1778‐1861)らが出た。眼病に苦しみ,失明を苦に自殺したとも伝えられる。…

【復古大和絵派】より

…江戸後期から幕末に活躍した田中訥言(とつげん)とその門人浮田一蕙,渡辺清(1778‐1861),訥言に私淑した岡田為恭(ためちか)らの画家を指していう。大和絵の原典に接してその模写を精力的に行い,土佐派住吉派ら既存の大和絵流派にとらわれず,源流をさかのぼって古典に規範を求め,活力ある大和絵の創造を試みたことに特色がある。…

※「浮田一蕙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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