沖縄[県](読み)おきなわ

百科事典マイペディア 「沖縄[県]」の意味・わかりやすい解説

沖縄[県]【おきなわ】

琉球諸島を構成する沖縄諸島宮古・八重山両列島から成る。漢名は琉球。県庁所在地は沖縄島の那覇(なは)市。2281.12km2。139万2818人(2010)。〔沿革〕 かつて琉球王国として栄えたが(琉球),1609年に島津氏が侵攻して王城の首里を征服し,以後,日本に服属,1872年琉球藩となり,1879年沖縄県となった。1920年本土と同様の自治制度が採用され,1921年那覇と首里が市制を施行した。1945年米軍占領しその軍政下に入り,各諸島に政府が置かれた。1951年軍政から民政移り,在沖縄米軍司令官が兼ねる高等弁務官と米民政府による統治が始まった。翌年対日講和条約発効直前,三権分立の琉球政府が自治機関として設立されたが,高等弁務官が布令権を有し,琉球政府の主席任命権と法令拒否権も有するため自治の範囲は限られていた。1953年―1958年には軍用地接収に反対する島ぐるみの闘争が起こり,1960年沖縄県祖国復帰協議会ができた。1968年11月初の琉球政府主席公選で,復帰勢力統一候補の屋良朝苗が当選,1970年には国政参加(衆参院議員の選出)が実現。1971年6月日米間で沖縄返還協定が調印され,1972年5月15日本土復帰が実現,27年ぶりに沖縄県が復活した。沖縄には占領と同時に基地が置かれたが,特に朝鮮戦争を契機として恒久的基地建設が本格化し,ベトナム戦争の進展とともに米軍最大の海外基地となった。本土復帰後,約50の基地の全部もしくはその一部が返還されたが,なお嘉手納(かでな)空軍基地などの米軍施設があって県面積の11%に達しており,大半が沖縄本島中部に集中している(沖縄基地問題普天間基地問題)。2012年4月,復帰40周年を迎えたが,米軍基地の返還問題はアジアにおける米軍の再編問題とも密接に関連しており,日米交渉の難題となっている。〔産業〕 産業別人口構成は第1次5.9%,第2次16.3%,第3次76.3%(2005)で,商業,サービス業,基地雇用者など第3次の比率は全国1位。サトウキビを軸に野菜,花卉(かき)などを栽培するが,農家1戸当り耕地は本土の半分にすぎない。養豚養鶏を中心とした畜産が農業粗生産額の3分の1強(2003)を占める。水産ではカツオ・マグロ漁業が多く,タイ・クルマエビ・モズク養殖も盛ん。工業出荷額は47都道府県中46位(2003)にある。製造業は製糖・パイナップル加工などの食品をトップに石油,窯業の順にある。ほかに紅型(びんがた),上布,泡盛,漆器などを特産。観光客は増大しつつあり,ひめゆりの塔などがある沖縄島南部の激戦地や首里などが主要観光地になっている。近年は各種マリンスポーツ,ホエールウォチングなどの基地として人気をよんでいる。2000年琉球王国のグスク及び関連遺産群が世界遺産条約の文化遺産に登録された(今帰仁城跡座喜味城跡勝連城跡中城城跡首里城斎場御嶽,玉陵,識名園,園比屋武御嶽石門)。〔交通〕 東京,大阪,福岡などから那覇空港へ空路が通じ,那覇から平良(ひらら)(宮古島),石垣など県内の諸島へも空路がある。東京,大阪,鹿児島などから那覇港へ定期船便がある。諸島間の航路も那覇港が中心で,各島間の相互連絡は不便である。各島内交通はバス,タクシーに依存するが,2003年8月に沖縄本島で,県内では戦後初となる鉄道として沖縄都市モノレールが開通した。
→関連項目九州地方ゴーヤーチャンプルー残存主権日米密約琉球諸島琉球文化

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android