武満徹(読み)たけみつとおる

精選版 日本国語大辞典 「武満徹」の意味・読み・例文・類語

たけみつ‐とおる【武満徹】

作曲家。東京生まれ。第二次大戦後ほぼ独学で作曲を学び、詩人の滝口修造を中心としたグループ実験工房」に参加して、作曲活動に入った。その作品は東洋の感性と西洋の音楽技法が融合したと評され、世界各地で演奏された。主な作品に「弦楽のためのレクイエム」「ノベンバー・ステップス」など。昭和五~平成八年(一九三〇‐九六

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デジタル大辞泉 「武満徹」の意味・読み・例文・類語

たけみつ‐とおる〔‐とほる〕【武満徹】

[1930~1996]作曲家。東京の生まれ。ほぼ独学で作曲を学び、独創的な音響世界を創りあげた。勅使河原宏監督の「砂の女」、小林正樹監督の「怪談」、黒沢明監督の「乱」などの映画音楽でも知られる。芸術院賞受賞。作品に「弦楽のためのレクイエム」「地平線ドーリア」「ノヴェンバー‐ステップス」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「武満徹」の意味・わかりやすい解説

武満徹
たけみつとおる
(1930―1996)

作曲家。東京生まれ。1948年(昭和23)に一時、清瀬保二(やすじ)(1900―1981)に師事した以外は独学で作曲を学ぶ。ピアノのための『二つのレント』(1950)を発表して以来、ドビュッシーウェーベルンメシアンの影響を受けながら、さらにミュージック・コンクレートや不確定性など欧米の前衛音楽の手法を用いて、独自の美学に基づく作品を発表する。1951年湯浅譲二らと芸術グループ「実験工房」を結成。武満が担当した映画『切腹』(1962)、『怪談』(1964)の音楽は、琵琶(びわ)、尺八などの邦楽器を用いた現代邦楽の先駆的な作品であると同時に、邦楽器の音を電子変調するなどした前衛的な作品でもある。8弦楽器のための『ソン・カリグラフィー』(1959~1961)、『テクスチュアズ』(1964)、『地平線のドーリア』(1966)などは西洋の楽器を使ってトーン・クラスター(音塊・密集音群)の手法で書かれている。これらの作品を経て、琵琶(びわ)、尺八とオーケストラのための『ノヴェンバー・ステップス』(1967。ニューヨーク・フィルハーモニー委嘱作品)が書かれるに至る。武満の代表作として知られる『ノヴェンバー・ステップス』は、映画音楽で試みられた邦楽器の使用と前衛的なオーケストレーションとが一つに結晶した作品といえる。

 1970年代以降は、それまでの前衛的な作風は緩和されて、調性感のあるメロディや和声がみられるようになる。たとえば『鳥は星形の庭に降りる』(1977)、『遠い呼び声の彼方(かなた)へ!』(1980)、『ア・ストリング・アラウンド・オータム』(1989)では、テーマも和声も調的になり、邦楽器は退いて、バイオリンビオラなどの通常のオーケストラの楽器が独奏楽器として使われるようになる。しかし、独奏楽器の個々の特性を反映させたオーケストレーションという点では、邦楽器を独奏楽器とする協奏曲と共通している。日本的な音感覚が前衛的な作曲技法で表現されている点に、武満作品の特徴がある。『音、沈黙と測りあえるほどに』(1971)、『夢の引用』(1984)、『音楽を呼びさますもの』(1985)など、音についての思考を論じた著書も多数残している。1973年に始まる現代音楽祭「今日の音楽」の企画構成をはじめとするプロデュース活動も広く行った。1990年(平成2)国際モーリス・ラベル賞と毎日芸術賞を受賞。

[楢崎洋子]

『『音、沈黙と測りあえるほどに』(1971・新潮社)』『『音楽の余白から』(1980・新潮社)』『『夢の引用』(1984・岩波書店)』『『音楽を呼びさますもの』(1985・新潮社)』『『武満徹対談集――すべての因襲から逃れるために』(1987・音楽之友社)』『『遠い呼び声の彼方へ』(1992・新潮社)』『『音・ことば・人間』(1992・岩波書店)』『『武満徹対談集――歌の翼、言葉の杖』(1993・ティビーエス・ブリタニカ)』『『時間(とき)の園丁』(1996・新潮社)』『『武満徹対談集――創造の周辺』(1997・芸術現代社)』『『サイレント・ガーデン――滞院報告・キャロラインの祭典』(1999・新潮社)』『『私たちの耳は聞こえているか』(2000・日本図書センター)』『『武満徹著作集』全5巻(2000・新潮社)』『石川淳、J・ケージ他著『音楽の手帖14 武満徹』(1981・青土社)』『楢崎洋子著『武満徹と三善晃の作曲様式――無調性と音群作法をめぐって』(1994・音楽之友社)』『遠山一行著『「辺境の音」――ストラヴィンスキーと武満徹』(1996・音楽之友社)』『斎藤慎爾・武満真樹編『武満徹の世界』(1997・集英社)』『船山隆著『武満徹――響きの海へ』(1998・音楽之友社)』『岩城宏之著『作曲家武満徹と人間黛敏郎』(1999・作陽学園出版部)』『小沼純一著『武満徹――音・ことば・イメージ』(1999・青土社)』『長木誠司・樋口隆一編『武満徹――音の河のゆくえ』(2000・平凡社)』『小林淳著『日本映画音楽の巨匠たち1 早坂文雄・佐藤勝・武満徹・古関裕而』(2001・ワイズ出版)』『辻井喬著『呼び声の彼方』(2001・思想社)』『谷川俊太郎著『風穴をあける』(2002・草思社)』『武満徹・小沢征爾著『音楽』(新潮文庫)』『武満徹・大江健三郎著『オペラをつくる』(岩波新書)』『蓮実重彦・武満徹著『シネマの快楽』(河出文庫)』『マリオ・アンブロシウス文・写真『カメラの前のモノローグ――埴谷雄高・猪熊弦一郎・武満徹』(集英社新書)』

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百科事典マイペディア 「武満徹」の意味・わかりやすい解説

武満徹【たけみつとおる】

作曲家。東京出身。第2次大戦後,清瀬保二〔1900-1981〕に短期間師事した以外,作曲は独学。1950年に処女作を発表し,翌1951年湯浅譲二らと〈実験工房〉を結成。早坂文雄に捧げられた《弦楽のためのレクイエム》は初演(1957年)の2年後来日したストラビンスキーに絶賛され,批評界に冷遇されていた武満の名をにわかに高める。ピアノと管弦楽のための《弧(アーク)》(1963年−1966年),クーセビツキー音楽財団の委嘱による17弦楽器のための《地平線のドーリア》(1966年)などの初期傑作を経て,ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団委嘱の《ノベンバー・ステップス》(1967年)でその名を一躍高めた。その後の代表作に,三面の琵琶(びわ)のための《旅》(1973年),管弦楽曲《カトレーン》(1975年),室内楽曲《ウォーター・ウェイズ》(1978年),雅楽《秋庭歌一具》(1973年,1979年),《バイオリン協奏曲・遠い呼び声の彼方へ!》(1980年),管弦楽曲《ジェモー》(1986年)などがあり,映画音楽でも画期的な仕事を残す。また,〈今日の音楽Music Today〉の企画で内外の現代音楽を紹介し,海外の音楽家との交流にも力を注いだ。《音,沈黙と測りあえるほどに》(1971年)などの著作にも明晰(めいせき)な批評眼が光る。→小澤征爾鶴田錦史ホリガー尹伊桑
→関連項目大江健三郎音楽祭シェーファー実験工房篠田正浩ゼルキン滝口修造電子音楽ミュジック・コンクレート諸井誠

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改訂新版 世界大百科事典 「武満徹」の意味・わかりやすい解説

武満徹 (たけみつとおる)
生没年:1930-96(昭和5-平成8)

現代日本の代表的な作曲家。1948年に清瀬保二に短期間作曲を学び,早坂文雄や松平頼則などの音楽から影響を受けながら創作活動を開始した。1950年にピアノ曲《二つのレント》と評論《ポール・クレー論》を発表し,翌51年,滝口修造,湯浅譲二らと〈実験工房〉を結成。シュルレアリスムの芸術運動,ドビュッシー,シェーンベルク,ベルク,メシアンなどの音楽から強い刺激を受けながら,ピアノ曲や室内楽を作曲すると同時に,ミュジック・コンクレートの実験も始め,《ルリエフ・スタティク》(1955),《ボーカリズムA・I》(1956)を発表。《私の方法--ミュジック・コンクレートについて》という文章で,〈音の河〉という言葉で自分の作曲の方法論を語っているが,新しい時間と空間の広がりをもつ〈音の河〉は,それ以後の彼の作品を貫く主題になった。

 1957年の《弦楽のためのレクイエム》がストラビンスキーに認められる。1959年に〈二十世紀音楽研究所〉の所員になり,ケージら欧米の前衛音楽の動向に注目しながら,室内楽,管弦楽曲の作曲を続け,また《砂の女》(1964)をはじめとする数多くの映画音楽も作曲した。67年ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の依嘱で作曲した《ノベンバー・ステップス》は,琵琶と尺八と管弦楽のための作品で,欧米と日本の音楽界に大きな衝撃を与えた。この作品の特質は,邦楽器とオーケストラを組み合わせた点ばかりでなく,音楽史上まったく別の道を歩んでいた琵琶と尺八の出会いを演出し,日本の伝統楽器の新しい可能性を開拓した点にある。

 1970年代に入ってからの創作は,欧米各国のオーケストラのための管弦楽曲が中心となる。《鳥は星形の庭へ降りる》(1977),《遠い呼び声のかなたへ》(1980),《夢の時》(1981),《ア・ウェー・ア・ローンⅡ》(1982)などがその代表作であるが,これらの作品を作曲するにあたって,文学,絵画,映画,庭園など他の芸術領域に発想を求め,特にタイトルとなる〈言葉〉と深くかかわりながら作曲の筆を進めている。70年代から80年代初めにかけての音楽様式は,独特な旋律や新しい調性の技法によって書かれ,繊細な音感覚を生かした成熟したスタイルになっている。

 1970年代に入ってからはパリ,ロンドンなどで〈武満徹フェスティバル〉が開催された。一方,1970年に万国博鉄鋼館の音楽監督を務め,その体験を生かして73年に現代音楽祭〈今日の音楽Music Today〉の企画・監修の仕事を開始し,内外の新しい音楽を紹介,若い世代の作曲家・演奏家に影響を与えた。また《音,沈黙と測りあえるほどに》(1971),《樹の鏡,草原の鏡》(1975),《音・ことば・人間》(1980),《夢の引用》(1984)などの著作は,日本の現代音楽と文化全体に対する鋭い問題提起の書となっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武満徹」の意味・わかりやすい解説

武満徹
たけみつとおる

[生]1930.10.8. 東京
[没]1996.2.20. 東京
作曲家。 16歳で作曲を志し,清瀬保二に師事。 1950年清瀬らの「新作曲派協会」に入会,ピアノ曲『2つのレント』でデビュー。 51年詩人瀧口修造を中心に前衛芸術家グループ「実験工房」を結成する。 57年,のちにストラビンスキーに感銘を与えたという『弦楽のためのレクイエム』を発表,59年「二十世紀音楽研究所」に参加。 65年『テクスチュアズ』 (1964) で国際現代作曲家会議最優秀賞を受賞,以後,『地平線のドーリア』 (66) や尺八・琵琶を用いた『ノヴェンバー・ステップス』 (67) を次々と発表し,その精緻な構成と,東西の音の感性を融合させた独自の作風が海外でも高く評価され,委嘱作も多い。代表作はほかに,尾高賞受賞作『カトレーン』 (75) ,『遠い呼び声の彼方へ』 (80) ,また映画音楽『切腹』 (1962) ,『砂の女』 (64) など多数。著作に『武満徹=1930……∞』 (64) ,『音,沈黙と測りあえるほどに』 (71) などがある。 80年日本芸術院賞,85年フランス芸術文化勲章を受けた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武満徹」の解説

武満徹 たけみつ-とおる

1930-1996 昭和後期-平成時代の作曲家。
昭和5年10月8日生まれ。米軍キャンプではたらきながら作曲を独学。昭和26年実験工房の結成にくわわる。32年の「弦楽のためのレクイエム」がストラビンスキーに絶賛され,以後,「テクスチュアズ」「ノヴェンバー・ステップス」などを発表。黒沢明の「乱」など映画音楽も手がけた。55年芸術院賞。平成8年2月20日死去。65歳。東京出身。
【格言など】風よ 雲よ 陽光よ/夢をはこぶ翼/遥かなる空に描く/「自由」という字を(「翼」作詞・作曲)

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世界大百科事典(旧版)内の武満徹の言及

【実験工房】より

…交遊をつづけていた,当時まだ20代前半の音楽家,美術家,技術者たちがグループを組織することを相談,詩人,美術批評家の滝口修造の命名で1951年11月に結成された。メンバーは作曲の武満徹,鈴木博義,湯浅譲二(のち一時,佐藤慶次郎と福島和夫が参加),ピアノの園田高弘,詩・評論の秋山邦晴,美術の北代省三,福島秀子,山口勝弘,駒井哲郎,写真の大辻清司,照明の今井直次,技術の山崎英夫。読売新聞社主催〈ピカソ展〉の前夜祭のためにバレエを委嘱され,台本,作曲,舞台装置,衣装,照明など,すべてを全員で制作。…

【ノベンバー・ステップス】より

武満徹による琵琶と尺八とオーケストラのための作品。1967年にニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の創立125周年のための委嘱作品として作曲され,同年11月9日,鶴田錦史の琵琶,横山勝也の尺八,小沢征爾指揮のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団によって初演された。…

【琵琶】より

…日本の琵琶は現代音楽の中にも積極的にとり入れられ,とくに筑前琵琶と薩摩琵琶のための独奏曲・合奏曲が多数作曲されている。なかでも鶴田錦史と作曲家武満徹の組合せからは,世界的に好評を博した作品《ノベンバー・ステップス》《エクリプス》などが生まれた。【山口 修】。…

【ミュジック・コンクレート】より

…しかしながら,このような新しい音楽の領域の出現は時代の要請でもあり,五月革命の起こった68年以来,シェフェールはパリ音楽院で教授としてミュジック・コンクレートの講座を担当している。 日本ではシェフェールの動きとは無関係に武満徹が同様の音楽を発想していたが,パリ留学で実際にミュジック・コンクレートに触れた黛敏郎(1929‐97)の帰国後,本格的な作品が作曲されるようになった。日本における初期のミュジック・コンクレートとしては,黛敏郎の《XYZ》(1953),柴田南雄(1916‐96)の《立体放送のためのミュジック・コンクレート》(1955),武満徹の《ルリエフ・スタティク》(1955)などがある。…

※「武満徹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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