村松梢風(読み)ムラマツショウフウ

デジタル大辞泉 「村松梢風」の意味・読み・例文・類語

むらまつ‐しょうふう〔‐セウフウ〕【村松梢風】

[1889~1961]小説家静岡の生まれ。本名、義一。友視ともみ祖父。考証的な人物評伝に独自性を発揮した。作「本朝画人伝」「近世名勝負物語」「残菊物語」など。

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精選版 日本国語大辞典 「村松梢風」の意味・読み・例文・類語

むらまつ‐しょうふう【村松梢風】

小説家。静岡県出身。本名義一。慶応義塾大学中退。「琴姫物語」を発表し世に知られ情話物の代表的作家となった。考証的伝記風の作品にもすぐれたものが多い。著作「正伝清水次郎長」「本朝画人伝」「近代作家伝」など。明治二二~昭和三六年(一八八九‐一九六一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「村松梢風」の意味・わかりやすい解説

村松梢風
むらまつしょうふう
(1889―1961)

小説家、随筆家。静岡県生まれ。本名義一。慶応義塾大学理財科、文科を中退、電通の記者となる。1917年(大正6)『琴姫物語』を『中央公論』に発表して作家生活に入った。同誌の「説苑(ぜいえん)」欄(中間読物)に情話物を執筆したのち、26年(大正15)個人雑誌『騒人』を創刊、長編『正伝清水次郎長(しみずじろちょう)』(1926)を連載。多方面にわたる文業のなかで、『近世名匠伝』(1923)、『本朝画人伝』(1940~43)、『近世名勝負物語』(1952~61)などの伝記物の連作は、わが国では不振の伝記文学の分野で作者の独自性が発揮されている。新派演目として有名な『残菊物語』の原作者でもある。直木賞作家の村松友視(ともみ)は孫。

磯貝勝太郎

『『本朝画人伝』全八冊(中公文庫)』

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百科事典マイペディア 「村松梢風」の意味・わかりやすい解説

村松梢風【むらまつしょうふう】

小説家。本名義一。静岡県生れ。小説家村松友視(ともみ)は孫。慶大中退。1917年《中央公論》に《琴姫物語》を発表して認められ,中間読物に活躍。実録風の作品が多く,《正伝清水次郎長》《本朝画人伝》《近世名勝負物語》などがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「村松梢風」の意味・わかりやすい解説

村松梢風
むらまつしょうふう

[生]1889.9.21. 静岡,飯田
[没]1961.2.13. 東京
小説家。本名,義一。新聞記者のかたわら,『琴姫物語』 (1917) が滝田樗陰に認められて情話作者として出発,『正伝清水次郎長』 (26~28) その他の考証的伝記風作品を多く書いた。新派の演目となった『残菊物語』 (37) などの小説も多いが,『本朝画人伝』 (40~43) ,『近世名勝負物語』 (52~61) は克明な人物伝として評価が高い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村松梢風」の解説

村松梢風 むらまつ-しょうふう

1889-1961 大正-昭和時代の小説家。
明治22年9月21日生まれ。大正6年「中央公論」に「琴姫物語」を発表,作家生活にはいる。「近世名匠伝」「本朝画人伝」など人物評伝に新境地をひらいた。昭和36年2月13日死去。71歳。静岡県出身。慶応義塾中退。本名は義一。作品はほかに「残菊物語」など。

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世界大百科事典(旧版)内の村松梢風の言及

【残菊物語】より

…4幕8場。村松梢風原作,巌谷慎一脚本。1937年(昭和12)10月東京明治座初演。…

※「村松梢風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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