月運動論(読み)つきうんどうろん(英語表記)lunar theory

改訂新版 世界大百科事典 「月運動論」の意味・わかりやすい解説

月運動論 (つきうんどうろん)
lunar theory

地球の回りを公転する月の運動を論ずる天体力学の一分科である。月の運動は太陽の摂動力が大きいためにたいへん複雑であり,そのうえ月は地球に近いので高い精度観測が昔から行われてきた。こうして,複雑な運動を高い精度で解明する月運動論の内容はきわめて膨大なもので,代表的なE.W.ブラウンの月運動論では,月の黄経黄緯,視差を表す三角級数は全体で1600余の周期項からなっている。その半数以上が黄経に使われているが,その中でもっとも主要な5個の周期項は中心差,出差,二均差,年差,月角差と呼ばれている。中心差は古代より知られ,出差は前150年ころにヒッパルコスが発見したと伝えられる。中心差は最大の周期項で振幅は6°17′,周期は1近点月である。ただし,この項は月の軌道楕円であることに起因し,上記の振幅は離心率の平均値0.0549に対応する。すなわち平均太陰という仮想の月が,近地点を月と同時に出発して軌道を一様に進み月と同時に近地点に戻るとすると,出発後約7日で月は平均太陰より6°17′前進するが,その後しだいに追いつかれて遠地点には同時に到達する。その後は月が平均太陰より遅れ,近地点到達の約7日前に遅れは最大値6°17′になる。そしてその後はしだいに追いついて近地点には同時に到達するのである。次に出差は太陽の摂動による最大の周期項で振幅は1°16′,周期は31.81日である。月の軌道の平均離心率0.0549が太陽の摂動によって0.043~0.067の範囲を変動し,その変動に応じて中心差の振幅も上記の6°17′を平均として5°03′~7°31′と変わる。それと同じ効果を表すのが出差であるが,なお,出差には近地点黄経の周期変動の一部が含まれている。太陽が月の軌道の近地点,あるいは遠地点の方向にくるときは,出差は中心差と歩調を合わせ月の離心率が2割増すことになるし,太陽が近地点から90°離れれば2割減ることになる。次の二均差は振幅39′で周期は半朔望月である。新月と上弦の間および満月と下弦の間で月は進み,他の2期間では月は遅れる。二均差は10世紀末にアラビアの天文学者アブール・ワファーAbū'l-Wafā'によって発見されたといわれる。年差は振幅11′8″で周期は1近点年である。この周期から推察されるように年差は太陽の距離の変化による摂動力の変動に起因する。最後に月角差は振幅2′5″,周期は1朔望月である。月角差は振幅の大きさでは7位であるが,その振幅が太陽視差に比例し,月角差の観測から太陽視差を求めることができるのでよく知られている。

 月の黄経には周期摂動のほかに永年加速と呼ばれる時間の2乗に比例して増大する項があって,ユリウス世紀(3万6525日)を単位とした時間をTとするとcT2と表される。比例定数cは,古代の日月食の観測記録を整約して10″~11″と求められている。永年加速の一部6″T2は,惑星の摂動によって地球の軌道離心率がしだいに減少することに起因する。残りの5″T2潮汐摩擦による。潮汐のため海水が海底を摩擦し,地球の自転がしだいに遅くなる反映として地球上で観測すると月の運動に加速が現れる。さらに地球の自転が遅くなることの反作用として月はしだいに地球から遠ざかり月の運動は減速される。これら見かけの加速と負の加速の合成が5″T2であると考えられる。

 ニュートンはその著《プリンキピア》の中で月の運動を論じており,これが月運動論の嚆矢(こうし)である。ニュートンに続いてA.C.クレロー,L.オイラー,J.ダランベール,P.S.ラプラス,ダモアゾーM.C.T.Damoiseau(1768-1846),ラボックJ.W.Lubbock(1803-65),ド・ポンテクーランP.G.de Pontécoulant(1795-1874),プラーナG.Plana(1781-1864),S.D.ポアソン,P.A.ハンセン,C.E.ドローネー,G.W.ヒル,J.C.アダムズ,ブラウンなどの理論が相次いで現れた。この中でハンセンがその理論に基づいて作成した《太陰表》(1857)は,その後半世紀余にわたって天体暦の月の位置推算の基礎データとして使われたが,ようやく1923年にブラウンの《太陰表》(1919)に引き継がれた。しかし,60年から天体暦の時間引数が世界時から暦表時に変わるのを機として,ブラウンの理論式を直接大型コンピューターにかける方式に改められた。その際,《太陰表》を作るとき,ブラウンが経験的に黄経に加えた振幅10.″7周期257年の大経験項を削除するほか,幾多の改善がなされた。大経験項は地球の自転速度の不等に起因することが明らかになったからである。新方式による月の暦は《改訂月推算暦》といわれる。エッカートW.J.Eckert(1902-71)らは1960年に先だつ1952-59年の《改訂月推算暦》の計算を行って1954年に出版した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android