新撰組(読み)シンセングミ

デジタル大辞泉 「新撰組」の意味・読み・例文・類語

しんせん‐ぐみ【新撰組/新選組】

文久3年(1863)江戸幕府が武勇にすぐれた武士で編制した浪士隊。清川八郎による浪士組分裂ののち、京都守護職松平容保まつだいらかたもり支配下に、市中取り締まり、尊攘そんじょう派浪士の鎮圧に当たった。近藤勇組長とする。
(新撰組)白井喬二長編小説。大正13年(1924)から大正14年(1925)にかけて「サンデー毎日」誌に連載。単行本は大正14年刊行。同年、映画化もされた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「新撰組」の意味・わかりやすい解説

新撰組【しんせんぐみ】

新選組とも記す。幕末京都守護職である松平容保の下に治安維持,特に尊攘派志士の弾圧に活動した浪士隊。1862年幕府清川八郎の建議を入れ,浪士を集めて浪士組(のち新徴組)を編制,翌年上洛させて京都警備に当たらせたが,清川が尊攘派と結びつく動きを見せたため江戸へ戻らせた。京に残った芹沢鴨近藤勇らが再組織したのが新撰組で,隊長は芹沢,次いで近藤。副長土方(ひじかた)歳三戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦に敗れた後,甲州で新政府軍と戦って敗走し解隊した。
→関連項目鞍馬天狗(文学)新徴組山岡鉄舟

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「新撰組」の解説

新撰組
しんせんぐみ

幕末期,江戸幕府が牢人を集めて作った集団。1862年(文久2)幕府は清川八郎・山岡鉄太郎との協議により浪士隊を作り,同年2月に300人余を集め上京させた。壬生(みぶ)村屯所に分宿したが,尊攘の大義をめぐって分裂,分派の清川派は江戸へ引き揚げた。京都派は京都守護職配下となり,「誠忠」の旗印もとに禁門の警備と市中見廻りを行った。63年9月無謀な行いのあった局長芹沢鴨(せりざわかも)を斬り,近藤勇,土方歳三(ひじかたとしぞう)が実権掌握。64年(元治元)6月,池田屋事件で尊攘派を弾圧した。68年(明治元)鳥羽・伏見の戦で敗れ,海路江戸へ脱出。近藤らは甲陽鎮撫隊を結成し,甲府で官軍に敗北,4月下総国流山(ながれやま)で降伏した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新撰組」の意味・わかりやすい解説

新撰組
しんせんぐみ

幕末,尊王派を弾圧した江戸幕府の警備隊。文久3 (1863) 年芹沢鴨ら浪士集団が京都守護職松平容保 (かたもり) の配下に取立てられ新撰組を結成,のち,近藤勇が局長,土方歳三が副長となって京都市中の尊王派志士を取締り,池田屋騒動 (→池田屋事件 ) で名を揚げた。鳥羽・伏見の戦いに敗れて以後消滅して隊員は四散,のち局長の近藤は捕えられて斬罪に処せられた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「新撰組」の解説

新撰組
しんせんぐみ

幕末,京都守護職のもと,京都の治安維持にあたった浪士隊
1863年結成され,隊長は近藤勇。尊攘・討幕派弾圧に活躍,特に池田屋事件は有名。鳥羽・伏見の戦いに敗れて,まもなく四散した。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android