恩地富美(読み)おんち・とみ

朝日日本歴史人物事典 「恩地富美」の解説

恩地富美

没年:明治36(1903)
生年弘化1?(1844)
幕末明治期の女性。長州(山口県)下関赤間町の旅籠屋恩地与兵衛の娘。登美,トミとも。20歳のとき,天誅組の乱(1863)後,追討を逃れて下関にきた中山忠光(明治天皇の母中山慶子の弟で,強硬な尊皇攘夷論者)の妾妻となるが,忠光は数カ月後に暗殺された。そのときすでに富美は懐妊しており,その後遺児仲子を抱え転々とする。仲子は山口藩主毛利元徳に引き取られ,11歳まで養女として養育されたが,明治8(1875)年,富美と共に中山家に迎えられた。成長した仲子は嵯峨侯爵と結婚。富美も娘の婚家に移り,安穏に晩年を過ごした。清朝最後の皇帝で,満州国皇帝となった溥儀の弟溥傑と結婚した嵯峨浩は仲子の孫,富美の曾孫に当たる。<参考文献>愛新覚羅浩流転王妃』,中原雅夫『明治維新と女性』,西島量三郎『中山忠光暗殺始末』

(栗原弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「恩地富美」の解説

恩地富美 おんち-とみ

1844-1903 幕末-明治時代の女性。
弘化(こうか)元年生まれ。長門(ながと)(山口県)下関の船宿の娘。文久3年天誅(てんちゅう)組の変に敗れ長門に逃亡してきた首領中山忠光の寵愛(ちょうあい)をうける。元治(げんじ)元年忠光が暗殺されたのち,慶応元年遺児仲子(のちの嵯峨(さが)公勝夫人)を出産した。明治36年死去。60歳。名は登美,トミともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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