山村聡(読み)やまむらそう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山村聡」の意味・わかりやすい解説

山村聡
やまむらそう

[生]1910.2.24. 奈良天理
[没]2000.5.26. 東京,中野
俳優映画監督本名古賀寛定。1935年東京帝国大学を卒業。第2次世界大戦前は舞台俳優として活躍し,戦後の 1946年に映画デビュー。翌 1947年に溝口健二監督の『女優須磨子の恋』で田中絹代扮する松井須磨子愛人島村抱月役に抜擢され,重厚な演技で注目された。以後,演技派として小津安二郎監督の『宗方姉妹』(1950,ブルーリボン賞演技賞),『東京物語』(1953),『早春』(1956),成瀬巳喜男監督の『山の音』(1954)など数多くの作品に主演級で出演。1952年独立プロダクション「現代ぷろだくしょん」を設立,翌 1953年に『蟹工船』(カルロビバリ国際映画祭監督賞)で初監督を務め,監督第2作『黒い潮』(1954,ブルーリボン賞新人賞)など 6作品を監督した。数々の映画で活躍し,1970年の日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』では山本五十六役を好演,世界的に知名度が高まった。テレビドラマでは,1964年にホームドラマ『ただいま11人』に父親役で出演,「理想の父親像」が茶の間の人気を集めた。時代劇必殺仕掛人』の元締め音羽屋半右衛門や『華麗なる一族』の銀行頭取役などで知的かつ重厚な演技をみせた。1977年紫綬褒章,1983年勲四等旭日小綬章を受けた。

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百科事典マイペディア 「山村聡」の意味・わかりやすい解説

山村聡【やまむらそう】

俳優。奈良県生れ。本名古賀寛定(ひろさだ)。東京帝国大学(現,東京大学)文学部卒業。舞台俳優を経て,1946年に映画デビュー。翌1947年の溝口健二監督《女優須磨子の恋》で田中絹代演じる松井須磨子に対し愛人の島村抱月役に抜擢され,1950年の小津安二郎監督《宗方姉妹》では第1回ブルーリボン賞主演男優賞を受賞し,俳優としての地位確立した。小津監督の《東京物語》のほか,《傷だらけ山河》《トラ・トラ・トラ》など多数の映画作品に出演している。1952年には独立プロ〈現代ぷろだくしょん〉を設立,映画監督として《蟹工船》《黒い潮》などの社会派作品を手がけた。また,テレビ出演も多く,ドラマ《ただいま11人》などホームドラマの父親役でも親しまれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山村聡」の解説

山村聡 やまむら-そう

1910-2000 昭和-平成時代の俳優,映画監督。
明治43年2月24日生まれ。井上演劇道場など舞台活動をへて,昭和21年東宝「命ある限り」で映画デビュー。「女優須磨子の恋」「宗方姉妹」などで演技派俳優の地位を確立。27年独立プロ現代ぷろだくしょんを設立,翌年「蟹工船」を監督。のち「東京物語」「山の音」などおおくの作品に出演。平成12年5月26日死去。90歳。奈良県出身。東京帝大卒。本名は古賀寛定。

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世界大百科事典(旧版)内の山村聡の言及

【日本映画】より

…戦後のスター・プロには次のようなものがある。(1)長谷川一夫(1948‐52)(2)鶴田浩二(1952‐53)(3)山村聡(1952‐65)(4)岸恵子,久我美子,有馬稲子の〈にんじんくらぶ〉(1954‐66)(5)三船敏郎(1962‐ 。東京世田谷成城)(6)石原裕次郎(1963‐ )(7)三国連太郎(1963‐65)(8)勝新太郎(1967‐ )(9)中村錦之助(のち萬屋錦之介)(1968‐ )
【時代劇と現代劇】

[サイレント映画の頂点――時代劇の全盛時代]
 日本映画は1920年代後半,量産時代に入り,年間650本ほどの作品がつくられるようになった。…

※「山村聡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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