居合(読み)いあい

精選版 日本国語大辞典 「居合」の意味・読み・例文・類語

い‐あい ゐあひ【居合】

〘名〙
片膝をついたまますばやく刀を抜いて敵を切るわざ。戦国時代、元亀、天正(一五七〇‐九二)の頃、林崎重信が創始したものと伝える。近世には、長い刀を気合いとともに抜く術をもいうようになった。現代では、立ったまま、すばやく刀を抜いて切りつける技も含んでいう。居合い抜き。居合い術。
※俳諧・鴉鷺俳諧(1646)「放家師(ほうかし)の手にとる玉は月にみえて〈立圃〉 はやき居あひは露もぬからず〈宗利〉」
※読本・昔話稲妻表紙(1806)四「かの大太刀はもと居合(ヰアヒ)の刃引太刀なれば」
中世検注にあたって、具体的に測量を行なわず、既存の検注帳記載の数量を事実とみなすこと。居たままで合わせること。
※肥後阿蘇文書‐建久六年(1195)二月八日・肥後国留守所下文案「甲佐宮居合参拾伍町内、所残者可浮免田内也」

おり‐あい をりあひ【居合】

〘名〙
① その場面や時期にうまく合うこと。また、適当な時期。
※舞正語磨(1658)上「満座の上下〈略〉悲涙地をうるほせりとなん。名人のする能は、用意もなけれども、かやうに奇代(きたい)のおり合あり」
② しずまり落ち着くこと。おさまること。
※交易問答(1869)〈加藤弘之〉上「日本の諸色が殖(ふへ)てくればをひをひに居合(ヲリアイ)が付(つい)てくるから」

おり‐あ・う をりあふ【居合】

〘自ハ四〙
① ある場所でいっしょになる。居合わせる。
※米沢本沙石集(1283)一〇末「或山寺法師、在家の俗と湯屋にをりあひてよも山の物語しけるに」
② しずまり落ち着く。おさまる。〔和英語林集成初版)(1867)〕
金毘羅(1909)〈森鴎外〉「博士は跡の成行を多少気遣ったが、〈略〉その儘好く居り合ってしまった」

い‐あわ・す ゐあはす【居合】

[1] 〘自サ下二〙 ⇒いあわせる(居合)
[2] 〘自サ五(四)〙 =いあわせる(居合)
浮世草子世間胸算用(1692)三「同じ奉公でも、こんなお家に居合すが其身の仕合(しあはせ)

い‐あ・う ゐあふ【居合】

〘自ハ四〙 その場に居る。居合わせる。
讚岐典侍(1108頃)下「わざと出だしたるとはなくて、はづれてゐあひたるやうにせよとて」
談義本銭湯新話(1754)二「明日参らふと立出れば、居合たる人人、あれはどこの親仁かしらぬが、扨よふ覚た事かな」

い‐あわ・せる ゐあはせる【居合】

〘自サ下一〙 ゐあは・す 〘自サ下二〙 ちょうどその場に居る。
太平記(14C後)一七「池田と綿貫とは、時節東坂本へ遣はされて不居合は」
※咄本・醒睡笑(1628)四「となりの女房その下にゐあはせ」

い‐やい ゐやひ【居合】

〘名〙 「いあい(居合)」の変化した語。

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デジタル大辞泉 「居合」の意味・読み・例文・類語

い‐あい〔ゐあひ〕【居合】

《もと「立ち合い」に対する語で、「居」は座ることの意》座った姿勢から瞬時に刀を抜き、敵を斬る剣技。元亀・天正(1570~1591)ごろ、奥州の林崎甚助重信に始まるといわれる。居合抜き。

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改訂新版 世界大百科事典 「居合」の意味・わかりやすい解説

居合 (いあい)

現在,居合道と呼ばれるが,古くは居相,坐合,抜刀,抜剣,鞘の中(うち)などとも称した。戦国時代,戦場における急な変に対処し,すばやく腰の刀を抜いて敵の攻撃に応じ,敵を制するための武術として編み出されたものである。これが江戸時代になって治世における武術としての性格を強くし,刀の鯉口(こいぐち)の切り方,柄への手の掛け方,抜き方などの基本的所作を身につけるとともに,平生の屋内や往来における急な変に対応するための武術として武士のたしなみとなった。居合の技法は,機に応じて座位より刀を抜き出すところをその特徴とするが,立っての技(立居合,あるいは抜刀術)もあり,また,柄を取られたり,組まれたりした場合,これを投げあるいはおさえるといった柔術的な技法も少なくない。居合流派の数は多く,なかでももっとも大きな位置を占めるのは16世紀後半の人,林崎甚助重信の神明夢想流(神夢想林崎流ともいう)で,林崎は〈抜刀の始祖〉といわれる。その伝系には,無楽流(長野無楽斎),田宮流(田宮平兵衛成正)をはじめ,新田宮流(和田平助),長谷川流(長谷川主税英信)など有力な流派が多い。さらに,片山伯耆(ほうき)流(片山伯耆守久安),関口流(関口八郎右衛門氏心(うじむね))なども林崎の伝を受けたとされており,後世に与えた影響は非常に大きい。ほかに著名な流派としては,一宮流,上泉流,水野流,不伝流,影山流,制剛流,無外流,水鷗(すいおう)流などがあり,そのほか剣術や柔術に付属していたものも含めると非常に多数にのぼる。

 明治初期,武道は一時衰退したが,居合もこの期に多くの流派が消滅し著しく衰微した。しかし,1895年の大日本武徳会設立を機にしだいに盛んになった。昭和に入ってからは〈居合道〉と称するようになり,中山博道(1873-1958)らの活躍などもあって広く普及していった。第2次世界大戦後一時中断されたが,やがて復活し,1954年に全日本居合道連盟が結成され,56年には全日本剣道連盟に居合道部が設けられた。66年第1回全日本居合道大会が開催され,形の演武により勝敗を競う競技化の試みがなされ,68年には〈全日本剣道連盟制定居合〉が定められ,流派を超えた統一の形ができた。それに加えて安価な居合練習刀が普及したことなどにより,子どもや女性の愛好者も加わって居合道人口は急激に増加した。
執筆者:

江戸の太平期に入り,居合が見世物化した大道芸。元禄・宝永(1688-1711)のころ富山の反魂丹売(はんごんたんうり)の香具師(やし)松井一家が,人寄せに居合抜きを演じた。享保期(1716-36)にはその系統から出た松井源左衛門の名が見え,また長井兵助も歯磨売の人寄せに演じて名高い。高足駄に白だすきのいで立ちで,三宝を積み重ねた上にのり,4~5尺(1.2~1.5m)の刀を抜いて見せたといわれる。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「居合」の意味・わかりやすい解説

居合【いあい】

古武道の一種。現在は居合道として普及。古くは坐合,抜刀などとも呼ばれた。機に臨み,一瞬にして刀を抜き放ち相手を切る技法。座姿勢でのいわゆる居合と,立姿勢での立居とがある。戦国時代林崎甚助重信が始めた林崎神明夢想流が最初とされ,のち田宮,片山伯耆(ほうき),新田宮,長谷川,大森など諸流が出た。なお江戸末期になると俗に〈居合抜き〉という一種の見世物芸にも利用されるようになり,松井源水,長井兵助らが著名であった。
→関連項目神道流

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「居合」の意味・わかりやすい解説

居合
いあい

機にのぞんで迅速に抜刀し,相手を斬る古武術の一つ。真剣を使って心身の鍛練と刀の操法を訓練する。すわっての抜刀が基本だが,立ち抜きも行う。室町時代末期に林崎甚助重信から起り,のちに田宮流,伯耆流,長谷川流,大森流など数多くの支流が出た。居合 (いあわす) と訓読するのが正しい。

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世界大百科事典(旧版)内の居合の言及

【松井源水】より

…松井家の元祖玄長は,越中礪(砺)波(となみ)の出身で,霊薬反魂丹(はんごんたん)を創製し,2代目道三のときに富山袋町に移住して,武田信玄から売薬御免の朱印を受けた。延宝・天和(1673‐84)のころに,4代目玄水が江戸へ出て反魂丹を売りはじめたが,その宣伝,販売のために,箱枕をいろいろと扱う曲芸〈枕返し〉や居合抜きなどを演じた。享保(1716‐36)ごろには,居合抜きのほか曲独楽(きよくごま)(独楽)を演ずるようになり,将軍家重の浅草寺参詣のおりには上覧に供して御成(おなり)御用の符を拝領した。…

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