大英帝国(読み)だいえいていこく(英語表記)British Empire

翻訳|British Empire

精選版 日本国語大辞典 「大英帝国」の意味・読み・例文・類語

だいえい‐ていこく【大英帝国】

(British Empire の訳語) 一七世紀以降のイギリス本国とその自治領植民地を含めた称。第二次世界大戦後、植民地の大部分は独立し、一部を除いてイギリス連邦を構成。イギリス帝国

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「大英帝国」の意味・読み・例文・類語

だいえい‐ていこく【大英帝国】

イギリス本国とその自治領植民地を含めた称。17世紀から用いられ、現在ではその大半が独立し、一部を除いてイギリス連邦を構成。イギリス帝国。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「大英帝国」の意味・わかりやすい解説

大英帝国 (だいえいていこく)
British Empire

16世紀以来,海外に領土を獲得したイギリスの別称。最盛期には全世界の4分の1に達した。帝国の歴史はおおまかに,(1)1763年のパリ条約で完成する〈旧帝国〉,つまり重商主義政策を前提とし,西インド諸島や北アメリカ植民地を核とする段階,(2)政治的な支配地域の拡大よりも,自由貿易主義をふりかざしつつ,圧倒的な生産力にものをいわせて実質的な経済支配を拡大した〈自由貿易帝国主義〉の段階,(3)工業化の波が若干の欧米諸国に広がり,競争が起こった結果,ふたたび政治的支配を含む古典的な植民地政策が展開される〈帝国主義〉の段階,(4)〈コモンウェルス〉の概念が導入された1931年のウェストミンスター憲章以後の,いわば帝国衰退期,の4期に区分することができる。

 15~16世紀のカボット父子による探検をはじめとして,とくに16世紀後半にはR.ハクルートのキャンペーンを背景に,新世界を中心として探検航海がしきりに行われた。その結果,1607年には北アメリカのジェームズタウン(現,バージニア州)に永続的な定住地がつくられ,やがてニューイングランド,バージニア,カロライナ,ニューファンドランドなどの北アメリカ植民地が成立した。カリブ海の西インド諸島でも,バルバドスなどに早くから拠点が築かれた。しかし,〈旧帝国〉の枠組みが確立したのは,ピューリタン革命期で,クロムウェルによるアイルランド征服,ジャマイカ占領,東インド会社改組などがなされたうえ,重商主義的植民地政策の基礎をなす航海法体系も整備された。王政復古(1660)後,3度にわたる対オランダ戦争に勝利したイギリスは,名誉革命以後,ファルツ(アウクスブルク同盟)戦争,スペイン継承戦争,オーストリア継承戦争,七年戦争という四つの対フランス戦争を通じて北アメリカの東半部,アイルランド全域等からなる〈旧帝国〉を完成する。さらに,七年戦争でフランス勢力を駆逐したインドでは,ベンガル地方の徴税権を握るなど,領土的支配の確立をめざす動きを示した。しかし,まもなく北アメリカ13植民地が独立(1776),〈旧帝国〉の構造が崩れたため,しだいに帝国の重心はインドに移る。重商主義時代に重要であったカリブ海の砂糖,バージニアのタバコ,それらの生産の前提となった奴隷などに代わって,産業革命の原料となる綿花の供給,綿布市場,生活様式の変化に伴う茶の供給などが重要になったことも,こうした変化の背景をなしていた。

 奴隷貿易の廃止(1807),航海法の廃止(1849)などにみられる自由貿易政策がとられた19世紀前半には,チリ,アルゼンチンなどラテン・アメリカ諸国の経済を事実上支配下においた。しかし,1857年のインド大反乱(セポイの反乱)を契機として,再度政治的支配領域の拡大にのり出し,まずインド全域を直轄化,これと前後して中近東や中国にも進出,セシル・ローズの策動などによってアフリカでもケープとカイロを結ぶ縦断政策を展開,他の列強と激しく対立した。第1次大戦後は前記ウェストミンスター憲章で各自治領の事実上の独立が認められ,第2次大戦後はインドも独立し,帝国は急速に解体されつつある。
イギリス連邦
執筆者:


出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「大英帝国」の意味・わかりやすい解説

大英帝国【だいえいていこく】

英国の海外領土を含めた非公式な呼び名。その最盛期の19世紀後半から20世紀の前半においては,地球上の土地のほぼ6分の1がこれに属した。歴史的にみれば,アメリカ合衆国の独立が承認された1783年のパリ条約までの〈旧帝国〉とそれ以降の2つに分けられる。前者は大航海時代を背景にしてカリブ海地域と北アメリカ植民地がその主体をなしていたが,18世紀のフランスとの間の植民地争奪戦に勝ってカナダ,インドのベンガル地方が加わり成立した。 しかし〈旧帝国〉は成立の直後にアメリカ合衆国の独立によって崩壊を余儀なくされると,帝国の重心はインドに求められ,しかも産業革命後の圧倒的な工業力にものをいわせて,政治的な支配地域の拡張よりも経済的な支配を拡大させて南アメリカ,中国などを実質的に支配圏にいれたのが,19世紀後半のことであった。これらの地域をさして〈非公式の帝国〉という用語が使われることもある。 19世紀末以降の帝国主義の段階ではアフリカ,中近東において列強との間に激しい争覇戦を繰り広げると同時に,白人を主体とする植民地を自治領として認めるなど,帝国の解体を防ぐ手段が講じられた。しかし20世紀に入って,〈コモンウェルス〉(連邦)への編成替えが行われたものの,第2次大戦後,インドを初めとする植民地の多くは独立して帝国は解体した。→イギリス連邦

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大英帝国」の意味・わかりやすい解説

大英帝国
だいえいていこく
British Empire

イギリス王冠のもとに結合された植民地帝国の俗称。イギリス帝国とも呼ばれる。エリザベス1世時代の海外探検に始りアメリカ植民地の独立にいたる期間の,北アメリカ,西インド諸島,インドへの植民地支配体制を第1次帝国と呼び,19世紀に入ってからの,カナダ,インド,オーストラリア,ニュージーランド,南アフリカなどの地域への支配を第2次帝国と称し,しばしば「太陽の没するところのない」との形容句がつけられた。植民地代表を招いた会議は 1887年に始められたが,白人植民地の自治領化に伴い,1907年からは大英帝国会議と改称。帝国も第1次世界大戦後の 26年イギリス連邦へと変貌し,第2次世界大戦後は相次ぐ有色人植民地の独立により,昔日の面影を失った。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大英帝国」の意味・わかりやすい解説

大英帝国
だいえいていこく

イギリス帝国

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「大英帝国」の解説

大英帝国(だいえいていこく)

イギリス帝国

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「大英帝国」の解説

大英帝国
だいえいていこく

イギリス帝国

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android