大矢市次郎(読み)おおやいちじろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大矢市次郎」の意味・わかりやすい解説

大矢市次郎
おおやいちじろう
(1894―1972)

俳優。本名同じ。東京・浅草生まれ。14歳新派俳優藤井六輔(ろくすけ)の門下となり、真砂(まさご)座で初舞台を踏む。以後地方の芝居を転々としたが、1924年(大正13)伊井蓉峰(ようほう)に認められ東京の新派に入り、脇役(わきやく)としての地位を築いた。38年(昭和13)花柳(はなやぎ)章太郎とともに新生新派結成風格のある演技は新派に不可欠のものであった。『浪花女(なにわおんな)』『風流深川唄(うた)』で花柳の相手役を勤めたほか、当り役に『明治一代女』の己之吉(みのきち)、『大寺(おおでら)学校』の大寺校長などがある。

菊池 明]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大矢市次郎」の意味・わかりやすい解説

大矢市次郎
おおやいちじろう

[生]1894.2.11. 東京
[没]1972.5.28. 東京
新派俳優。 1907年伊井蓉峰一座で子役として初舞台を踏む。その後伊井門下の藤井六輔の弟子となったが,23年『不如帰 (ほととぎす) 』の博多公演で伊井に認められ,その直門に加えられた。 39年花柳章太郎らと新生新派を結成。川口松太郎作『明治一代女』の巳之吉など特異な脇役で真価を発揮,やがて独特の風貌と声が珍重されて,新派を支える中心俳優の一人となった。ほかに『婦系図』のめの惣,『鶴八鶴次郎』の佐平,『日本橋』の五十嵐伝吾などが当り役。 62年日本芸術院賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大矢市次郎」の解説

大矢市次郎 おおや-いちじろう

1894-1972 大正-昭和時代の舞台俳優。
明治27年2月11日生まれ。14歳で藤井六輔の門弟となり,藤川栄六を名のった。大正13年伊井蓉峰(ようほう)の直弟子となる。昭和14年花柳(はなやぎ)章太郎らとともに新生新派を結成。しぶい演技に定評があった。当たり役に「明治一代女」の巳之吉など。昭和47年5月28日死去。78歳。東京出身。

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世界大百科事典(旧版)内の大矢市次郎の言及

【新派】より

…すでに10年に井上正夫は〈新時代劇協会〉をおこしG.B.ショーの《馬盗人》などを上演して新境地を開こうとしていたし,13年には河合武雄が〈公衆劇団〉を結成,また文壇を追われた真山青果が松竹に入社して,亭々生の名で《黒髪物語》や《雲のわかれ路》の作品を作り〈新派〉を支えようとした。16年に高田と秋月,17年に藤沢が没し,〈新派〉は伊井,河合,喜多村のいわゆる〈三頭目時代〉となったが,21年に若い花柳(はなやぎ)章太郎が藤村秀夫,小堀誠,武田正憲,柳永二郎,松本要次郎,大矢市次郎,伊志井寛らと研究劇団として〈新劇座〉を結成,有島武郎《ドモ又の死》や秋田雨雀《国境の夜》の上演をしたり,また井上が《酒中日記》《平将門》を上演するなど一部で意欲的な活動はあったものの,全般には映画や新国劇の人気に押されがちで低調だった。なお,24年にもともと新劇から出発した水谷八重子を中心にした第2次芸術座ができて,27年に本郷座で藤森成吉《何が彼女をさうさせたか》を上演,以降松竹と提携して,いわゆる〈新派〉の一角に加わってきた。…

※「大矢市次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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