精選版 日本国語大辞典 「国訴」の意味・読み・例文・類語
こく‐そ【国訴】
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〈くにそ〉とも読む。幕藩制下の社会ですでに使用されていた用語で,1823年(文政6)に実綿・繰綿に関して,その売買の“自由”をめぐって摂津,河内の両国1007ヵ村が連合して闘った法廷闘争のときに用いられたのが始まりである。その後これに類似する事件に用いられた。その特色は,商品経済の発展を前提として,行政的には入組支配の村々にもかかわらず,支配関係を越え,郡からさらに国の規模を越えて,広範な地域にまで拡大して闘われた反封建的な農民闘争であったことである。しかも,それが訴訟という合法的な法廷闘争の形態で闘われたところに特色がある。
〈国訴〉は大坂周辺の農村地帯のような商品経済の展開の進んだ地域で,その成果として生じた農民側の剰余部分を幕府が直接掌握することができなくなったために,間接的に掌握する方法として,旧来の大坂の商品流通機構に依存し,これに特権を与え,市場を独占させ,直接生産者たる農民が直接に市場に参加するのを妨げたところから生じた。とくに田沼期以来の幕府の市場統制の存続していた実綿・繰綿,菜種・綿実・油などでは,文政期になって都市資本の市場統制に対抗して,その特権を排除する運動が起こった。綿業に関しては簡単に農民側が勝利し解決をみたが,菜種・綿実・油のほうは解決せず,このために運動は拡大し,ついに摂津,河内のほかに和泉も加わり,3ヵ国1307ヵ村の運動となって展開した。幕府はこの運動を無視できず,大坂油掛り資本の独占を保障していた〈明和の仕法〉を改正して,独占を緩和する方法として32年(天保3)の仕法改正を行い,天保改革では株仲間の解散を行った。しかし,嘉永の問屋再興令(1851)以後ふたたび,菜種・綿実・油の流通をめぐって売買の“自由”の要求運動が起こった。55年(安政2)には摂津,河内の両国1086ヵ村の農村,65年(慶応1)には1263ヵ村がこの運動に参加した。安政・慶応期には,都市資本より農村の内部にある在郷商人の特権化の排除を要求することが運動の課題として重要性を持っていたのである。
もっとも現在研究者が〈国訴〉の語を用いているのをみると,歴史用語として使用されたよりは広い範囲の意味内容を持たせている。すなわち,郡単位ぐらいの数十ヵ村あるいは数百ヵ村の農民が連合して,特権商人の市場独占に対抗して争われた法廷闘争に一様にこの用語を適用している。このような観点から,摂津・河内・和泉3ヵ国の〈国訴〉年表が作られており,1740年(元文5)以来約30件の〈国訴〉が報告されている。このような用例として意味内容を拡大すれば,大坂周辺以外の地域でも発見されてもよいはずである。このような考え方から他の地域での広域闘争と関連させようとする理解がある。
→油問屋
執筆者:津田 秀夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「くにそ」とも。江戸後期,摂津・河内・和泉国などで,大坂の特権的商人らによる菜種・綿・肥料などの流通独占に反対して,生産にかかわる数百カ村が自由な売買などを要求しておこした合法的な訴願闘争。国訴年表によれば88件ある。なお,国訴を合法的な広域訴願闘争として把握すれば,関東の肥料購入をめぐる訴願闘争も含まれる。1823年(文政6)大坂三所綿問屋の市場独占をめぐる摂津・河内両国1007カ村の訴願闘争が有名。支配領域をこえて村々が結びつくのは在郷商人の指導とする説に対し,「郡中議定」をとり結ぶような村々の動きを基礎にとらえる説もある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…しかも,それが訴訟という合法的な法廷闘争の形態で闘われたところに特色がある。 〈国訴〉は大坂周辺の農村地帯のような商品経済の展開の進んだ地域で,その成果として生じた農民側の剰余部分を幕府が直接掌握することができなくなったために,間接的に掌握する方法として,旧来の大坂の商品流通機構に依存し,これに特権を与え,市場を独占させ,直接生産者たる農民が直接に市場に参加するのを妨げたところから生じた。とくに田沼期以来の幕府の市場統制の存続していた実綿・繰綿,菜種・綿実・油などでは,文政期になって都市資本の市場統制に対抗して,その特権を排除する運動が起こった。…
…これに対し,生産者や在郷商人,江戸市内の中小問屋・小売商の抵抗があり,訴訟が頻発した。大坂においても,菜種,繰綿などの流通をめぐり,畿内農村と都市問屋が対立し,23年(文政6)には摂津・河内1007ヵ村が訴訟するなど,国訴(こくそ)と呼ばれるほどの広汎な動きをみせた。
[解散と再興]
1841年(天保12)に幕府は天保改革の一環として,株仲間解散令を発した。…
… 1788年(天明8)河内郡,若江郡,志紀郡惣代らは連印して,大坂の特権的株仲間商人の不正肥料販売などの横暴に対する処置を求めて大坂町奉行所へ訴えを起こした。国訴のはじまりであった。摂津,河内,和泉の村々が連合して,その力を背景に行った合法的な訴訟闘争を国訴と呼ぶが,その要求は肥料高値反対,綿・ナタネ・油などの自由販売などで,幕府に保護された大坂の特権的株仲間の流通支配に対する商品作物生産農民,在郷商人たちのたたかいであった。…
… 文政期(1818‐30)になると,大坂商人の市場統制に対抗する在郷の動きが活発化する。1823年,摂河2ヵ国1007ヵ村を糾合した国訴(こくそ)が発生し,その翌年さらに摂河泉3ヵ国1307ヵ村による国訴が展開し,綿関係(実綿(みわた)・繰綿(くりわた)),油関係(菜種,綿実(わたみ),油)の商品に対する都市株仲間の流通独占に反対して闘争した。この闘争では,商品作物栽培に従事する村役人(地主手作経営を営む)がその動きの先頭に立ち,広範な村々を糾合し,合法的手段(訴訟)を通して都市商人に対立し,一応の成果を収めることができた。…
※「国訴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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