入内(読み)じゅだい

精選版 日本国語大辞典 「入内」の意味・読み・例文・類語

じゅ‐だい【入内】

〘名〙 (「じゅ」は「入」の慣用音。「だい」は「内」の漢音)
中宮女御などが内裏参入すること。また、外出していた天子皇后などが内裏に戻ること。
日本紀略‐長徳元年(995)六月一九日「今夜、中宮入内」
② 中宮、皇后、または女御になる人が、礼式を整えてはじめて内裏にはいること。
春記‐長暦三年(1039)一二月二一日「内大臣長女、今夜初入内」

にゅう‐ない ニフ‥【入内】

〘名〙
① 令制下の位階制で、外位(げい)から内位にすすむこと。外従五位下から従五位下になるなどの例。
江家次第(1111頃)二「入内書王次、式部若蔵人上、或書於最末

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「入内」の意味・読み・例文・類語

にゅう‐ない〔ニフ‐〕【入内】

律令位階制で、外位げいから内位に進むこと。外従五位下から従五位下になるなどの例。
じゅだい(入内)

じゅ‐だい【入内】

[名](スル)皇后中宮女御になる人が、儀礼を整えて正式に内裏に入ること。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「入内」の意味・わかりやすい解説

入内 (じゅだい)

后妃が正式に内裏に参入すること。今日の婚姻に当たる。平安時代前期,関白藤原基経の女穏子が醍醐天皇の女御となり,ついで皇后に冊立されて以来,皇后は女御より進む例が多くなるに伴い,女御入内が大婚の儀に相当するようになった。女御入内の時期は,天皇践祚または元服の年あるいはその翌年を標準とするが,必ずしも特定していない。なおこの儀は南北朝期以降中絶し,後陽成天皇のときに再興されて江戸時代末に及び,1868年(明治1)12月一条美子(昭憲皇太后)が立后の儀に先立って女御入内の儀を行ったのが最後である。しかし1910年制定の皇室親族令に,大婚の儀に先立ち,皇后となるべき人を后氏といい,その皇居に参入の儀式を后氏入内の儀と称しているのは,平安時代以来の女御入内の儀に倣ったものである。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「入内」の意味・わかりやすい解説

入内
じゅだい

后妃が内裏(だいり)に参入すること。ことに平安時代中ごろから女御(にょうご)の地位が高まり、皇后は、女御より昇る例が多くなってからは、女御の入内は事実上天皇の結婚の儀礼となり、盛大な儀式が行われた。1910年(明治43)制定された皇室親族令で、天皇大婚(たいこん)の儀式中、皇后となるべき者すなわち后氏(こうし)の皇居に参入する儀式を后氏入内の儀というのは、平安時代以来の女御入内の儀を参照して定められたものである。

[橋本義彦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「入内」の意味・わかりやすい解説

入内
じゅだい

後宮が内裏に参入すること。 10~14世紀なかば,皇后には女御 (にょうご) から進む者が多かったため,女御入内はことに盛大に営まれた。のち女御入内の儀は一時廃止されたが,豊臣秀吉が再興し,江戸時代末期まで行われた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「入内」の解説

入内
にゅうない

律令制下,外位(げい)の五位から内位の五位に進むこと。728年(神亀5)内外五位の待遇差が設けられ,内六位から外五位をへて内五位に進む場合が生じた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android