会館(読み)かいかん

精選版 日本国語大辞典 「会館」の意味・読み・例文・類語

かい‐かん クヮイクヮン【会館】

〘名〙 集会や会議をするための建物。ホテルクラブ劇場などにも使われる。
新聞雑誌‐一四号・明治四年(1871)九月「三井組の為替会社〈略〉東京浜町銀坐跡に新に会館(クヮイクヮン)を開き」
[補注]元来は、中国で同業者、同郷人などが相互扶助や親睦のために設けた建物をいう。

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デジタル大辞泉 「会館」の意味・読み・例文・類語

かい‐かん〔クワイクワン〕【会館】

集会・会議・儀式などに用いる目的で建てた建物。「産業会館
[類語]公会堂講堂ホール議事堂

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「会館」の意味・わかりやすい解説

会館
かいかん

同郷、同業、同窓などの団体会合や宿泊のため設けた施設。これはもと中国の明(みん)代に始まり清(しん)代に盛行し、民国となって急速に衰退したが、日本では明治以後各地に設けられ、今日は多くの財団が宏壮(こうそう)な施設を建設して盛んに利用されている。中国では中央政府との連絡に地方から上京するもののため、後漢(ごかん)には洛陽(らくよう)に郡邸(ぐんてい)、唐には長安に進奏院(しんそういん)、宋(そう)には開封(かいほう)に朝集院が設けられていたというが、これは官吏専用であった。商品流通が激増し、科挙の受験生も増加した明・清時代には、首都ばかりでなく地方の中心都市にも官吏と商人との共同で会館とよばれる設備が普遍化した。記録では北京(ペキン)の蕪湖(ぶこ)会館が明の永楽(えいらく)年間(1403~24)に創建されたというのがいちばん古いが、事実は全国の各地方が嘉靖(かせい)(1522~66)、万暦(ばんれき)(1573~1619)のころから北京に設置し始めたものらしい。清末の『京師坊巷志(こうし)』には405の会館を記載している。その規模の大小、性格や用途はさまざまだったが、多くは同郷団体でその地方の商人が資金を出し合い、その地方出身の官僚も援助して経営し、貨物をもって上京する商人や受験生の宿泊所とするのが普通だった。しかし同郷と同業とはほとんど共通しており、有力な商人や高級官僚が会館を独占する傾向があった。会館には公所、堂、社、祠(し)などとよぶものもあり、祭神を祀(まつ)る祠堂(しどう)や共同墓地、劇場、取引所などを設けたものもあった。ことに金融業、油業、染料、茶、塩などの同業会館は大規模のものが多く、地方都市では度量衡や市場の管理、警察、裁判、福祉などの事務にもあたったが、中世ヨーロッパのギルドのように自由都市成立の中核にならなかったのは、官僚との癒着が強かったからであろう。

増井経夫

『仁井田陞著『中国の社会とギルド』(1951・岩波書店)』『根岸佶著『中国のギルド』(1932・斯文書院)』『モース著、増井経夫訳『支那ギルド論』(1932・生活社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「会館」の意味・わかりやすい解説

会館 (かいかん)
huì guǎn

中国で同郷人または同業商工業者のグループが,北京はじめ異郷の都市において,相互の親睦,経済活動,訴訟,宿泊,貧者救済,死者の葬送などの目的で建てた建物。公所とも呼ばれる。会館という名称が生まれたのは明代で,明末から清代に発達したが,唐・宋時代,首都に設けられた地方出身の官吏・学生・商人らの集会所,宿泊所がその前身であろうといわれる。寺院の一室を賃借りするだけの小規模なものから,広壮な敷地,建物をもつものまであり,なかには広州の潮州八邑会館のように,設立に1600万元もかけたものもある。同郷グループの会館では,1県,1省あるいは隣接する数県,数省合同のものもあり,漢口の嶺南会館は広州府下4県合同のものである。同業ギルドの会館も1業種とはかぎらず,上海の四明公所のように,寧波(ニンポー)人の多数ギルドが合同で建てたケースもみられる。

 会館の盛衰は激しく,清代を通じて衰え消滅するのはもちろん,一時衰えて再興されたり,拡張をくりかえしたりする場合もあった。建物の規模もさまざまで,神殿をふくむ正殿をはじめ,劇場,事務棟,職員宿舎,共同宿泊施設,倉庫そして死者の棺を一時あずかる丙舎,共同墓地が付属している。大規模な会館になると貸店舗,貸住宅をもつ。20世紀には小中学校を経営するものまであった。会館の維持費は,会員メンバーの納める賦課金と寄付金が主たる財源となる。会館の運営は会員の総会があたる。総会は規約を定め,理事を選出する。日常の運営は理事会があたり,その下に事務職員がいた。会館は中国国内ばかりでなく,海外華僑の在留都市でも組織された。長崎,神戸など日本の都市をはじめ,シンガポールなど東南アジアの諸都市にもあり,その場合,在留中国人全体をあつめた中華会館を建てるケースもみられる。全盛期は清代から20世紀初期で,30年代から衰えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「会館」の意味・わかりやすい解説

会館
かいかん
hui-guan; hui-kuan

中国の同業,同郷,同族などの団体が所有する建物をいう。各種団体の活動が活発になるにつれて,その団体活動の事務所,センターとして会館をもつようになり,団体の性格に応じて取引所,宿舎,職業学校などのさまざまな付帯設備をもち,また宗教的な廟,祠なども付置された。その規模もきわめて小さな部屋の間借りから,大邸宅までさまざまである。大きな会館には貸店舗を営み,その収入で会館の経費をまかなうなどの例もあり,またその規約,決算報告書の出版なども行われている。なお公所,公館も会館と同じ意味で用いられる。

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百科事典マイペディア 「会館」の意味・わかりやすい解説

会館【かいかん】

中国で商工業の同業者や同郷者・同族者などが相互活動の便を図る目的で異郷の都市に設立した施設。公共団体施設であるところから公所・公館の名もある。起源は宋代にあるが,会館の呼称は明以降。海外華僑の在留都市でも設立されている。
→関連項目華僑山西商人

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「会館」の解説

会館(かいかん)

中国で商工業などの同業者や同郷,同族などの団体が相互の便を図るために建てた建物。宋代頃に始まるが,充実した施設を備えて,会館,公所などの名で呼ばれるようになったのは明以後である。団体の構成は多様で,必ずしも同業とか同郷,同族などに限られたものではなかったが,仲間的な意識によって強く結ばれ,会館はそのセンターともなった。

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普及版 字通 「会館」の読み・字形・画数・意味

【会館】かいかん

同郷の会。

字通「会」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の会館の言及

【ギルド】より

…それは科挙の同期会白蓮社や金剛会のような宗教・秘密結社から,政治的には胥吏(しより)や輸送業者の集団まで多種多様で,呼称も時代が下ると幇(パン)の字が多く使われた。さらに,宋以後の統一帝国の安定,全国市場を対象とした商工業の盛行とともに,各地に同郷集団の集会所である会館が出現したことが特徴的である。言語,習慣,文化程度が著しく異なり,官憲の保護などあてにできぬ広い中国で,本籍地を離れた人々は同郷集団を組まねば生きてゆけない。…

【商業】より

…だから,この時期にあっては,行とは同業組合を意味するとともに,特定の商業を指す用語でもあった。明末から清代にかけて,全国各地の都市には会館または公所と名づけられる建物が建てられたが,これには同郷の人々が協力して建てたものと,同業の商人が設けたものとがあった。後者は業種を同じくする商人の団体,つまり行が集会所として建てたもので,ヨーロッパ中世のギルド・ホールに類した建物であった。…

【男子集会所】より

…そして行政の場が氏神=産土(うぶすな)神をまつる場所でもあったのである。朝鮮南部の村落には通常,集落の最も眺めのよい場所に会館(フェーガン)とよぶ集会所がある。ここはおおむね40歳以上の男たちが何かにつけ集まっては歓談する所であって,部落祭である堂祭(タンチェ)もここに集まった各戸を代表する男たちの討議によって,祭官の選定や祭儀細目が決められるのである。…

※「会館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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