七夕(読み)しっせき

精選版 日本国語大辞典 「七夕」の意味・読み・例文・類語

しっ‐せき【七夕】

〘名〙 =しちせき(七夕)〔いろは字(1559)〕
評判記色道大鏡(1678)二「正月買をする男節分を買、盆買の男、七夕(シッセキ)を買事、是定れる法也」

しち‐せき【七夕】

〘名〙 五節供の一つ。陰暦七月七日の夜のこと。中国の伝説に、この夕に牽牛星天の川を渡って織女星と会うという。たなばた。しっせき。〔文明本節用集(室町中)〕 〔風俗記〕

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デジタル大辞泉 「七夕」の意味・読み・例文・類語

たな‐ばた【七夕/棚機/織女】

五節句の一。7月7日の行事。この夜、天の川の両側にある牽牛けんぎゅう織女星が、年に一度会うといい、この星に女性が技芸の上達を祈ればかなえられるといって、奈良時代から貴族社会では星祭りをした。これは中国伝来の乞巧奠きっこうでんであるが、一方日本固有の習俗では、七日盆盆初め)に当たり、水浴などのみそぎをし、この両者が合体した行事になっている。たなばたまつり。 秋》「―のなかうどなれや宵の月/貞徳

しち‐せき【七夕】

五節句の一。たなばた。→たなばた(七夕)

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改訂新版 世界大百科事典 「七夕」の意味・わかりやすい解説

七夕 (たなばた)

旧暦の7月7日に行われる年中行事。中国を中心に,日本,朝鮮にも広がる。〈しちせき〉とも読まれる。7月7日を特別の祭日とする観念は,おそらく古い農耕儀礼に起源をもつのであろうが,文献資料にのこるものとしては後漢時代の崔寔(さいしよく)《四民月令》が最も古いものの一つである。そこには,この日に書物の虫干しをするほか,河鼓(かこ)(牽牛)と織女の二星が会合するのにあわせて,人々は願いごとをするという(牽牛・織女)。虫干しにされるのは衣服だともされ,衣服に祖霊が依り付くという古くからの信仰と考えあわせ,7月7日が元来,農耕儀礼に結びついた祖霊祭の日であったことが推定される。七夕に占いや願いごとがなされることが多いのも,もともと農作物の収穫を占ったことに出たのであろう。後漢時代の画像石や石雕に見える牽牛・織女とが両者一対で宇宙論的な配置関係をもつことから,この時代にもなお七夕の伝承が重い信仰観念を背後にもっていたことが知られる。

 しかし南北朝時代になると古い信仰的な要素は払拭されて,年中行事の一つとして初秋の行楽の日となる。南朝梁の《荆楚歳時記》は,7月7日の夜,牽牛と織女とが会合するが,それに際して,女性たちは7本の針に糸を通し,ささげ物をして針仕事の上達を祈るという。牽牛と織女とは夫婦であったが,天帝のきげんをそこねて年に一度,七夕にしか会えなくなったという物語も,後漢のころから徐々に発展しつつあり,南北朝中期ごろには,織女が鵲(かささぎ)が天漢(あまのかわ)にかけた橋をわたって牽牛を訪れる筋書きが固定したものと推定される。針仕事の上達を祈願するという風習の方は,乞巧奠(きつこうてん)と呼ばれ,近世の都市の繁盛記や宮中の歳時記に見られるように,さまざまな形態をとっているが,女性たちの祭日として今日までうけつがれている。また7月7日は北斗七星の第一星である魁星(かいせい)の神の誕生日だとされ,魁星が文運,とくに科挙の試験での運不運を支配すると信じられたところから,近世の読書人たちは七夕に魁星を祭った。
執筆者:

日本の七夕の行事はこの夜,天の川の両岸に現れる牽牛星(わし座の首星アルタイル。彦星,犬飼星)と織女星(こと座の首星ベガ)とが鵲の翼を延べたのを橋として天の川を渡り相会うという,中国の伝説を受けいれたことから興った。タナバタとは機を織ることから,その人をさすことになった古語であろうが,それが織女星に結びついたのである。中国の乞巧奠の行事に倣って日本でも宮中の節会(せちえ)の一つとなった。後世五節供(ごせつく)とよばれるものの一つとして,この夜庭前に供えものをし,葉竹に五色の短冊などを飾りつけ,子女の学問・技芸の上達を願う行事として広く行われるにいたった。織女星は神格化されて〈織り姫さま〉ともよばれ,短冊にも子女が競って願望を文芸的に表現し,きわめてうるおいのある風俗行事を発達させたといえる。

 この星祭とは別に,民俗上からとくに注目されるのは,この日を盆の一部として扱い,ナヌカボン(七日盆)とかナヌカビとよんで,精霊(しようりよう)を迎えるための準備を行う風が全国的に見られることである。カヤやマコモで馬をつくり,庭に置いたり,綱でつるしたり,屋根に上げるのは東日本に広く見られる。また,この日を墓掃除とか墓参り道の草刈り(ボンミチツクリ)とか仏壇の道具を洗い清める日などに決めている土地も多い。ことに子どもらの〈七度食べて七度水浴びする〉とか,牛馬に水浴させるとか,年に一度の共同井戸の井戸替えとて組中総出で行うとか,水に関連する習俗が見られる。七夕の日にきまって雨が降る,この日3粒でも降ったほうがよい,とか,およそ星祭とは縁の遠い,降雨についての言い伝えが往々にしてあり,土地によっては,河童供養とか水神(すいじん)祭の日としている。おそらく,祖霊を迎えて行う盆祭の準備段階としての,水による潔斎が重視されていたことの名残なのであろう。
執筆者:

七夕伝説は,中国より伝来した外来のものである。しかし受容する側の日本の古代には,すでにこれを受け入れる素地があった。機織女はたおりめ)の存在が記紀にみえるのもその一例である。もとの中国の七夕伝説は,織女星が主役である。華麗な車に乗り,鵲の掛橋を渡って,威風堂々と彦星のもとにやって来るのは織女星であった。しかしこれは日本の習俗に合わないために,渡河する星を彦星とし,逢う瀬を待つ星を織女星に変更したのである。地上の恋愛をそのまま天上に託したのが,《万葉集》の七夕歌である。歌数およそ百数十首,庶民的な七日の夜の川辺の歌である。8世紀の養老ころには,朝廷貴族の間に歌会も行われた。一方において,漢詩集《懐風藻》にみるごとく,七夕詩は中国詩の模倣であり,織女星が渡河するとされている。《古今集》にみえる七夕を詠んだ歌以後漢詩は別として,彦星が渡河の行動をとるように統一されるようになったのは,日本的なものへの移行といえる。室町時代初期の御伽草子《天稚彦(あめわかみこ)物語》は,異類婚姻譚を軸にした七夕の起源説話であり,また昔話の〈天人女房〉譚にも同様な七夕の起源譚をともなうものがある。
執筆者:

朝鮮でも7月7日に牽牛・織女交会の日の伝説に基づいて中国の乞巧奠と同様,当夜婦女子は裁縫の上達を二星に祈る。また曬書・曝衣という書物や衣服の虫干しが行われる。一方農家では,この日には二星の別離の涙が降るのでこれで身を清め髪を洗えば厄払いになるといって沐浴したり,天穀鬼神が降りて来て穀物の収穫量を定める日であるとして休業する。このように中国風の星祭のほかに,元来この時期に朝鮮固有の農耕予祝儀礼が行われていたことが分かる。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「七夕」の意味・わかりやすい解説

七夕
たなばた

7月7日あるいはその前夜の行事。本来は陰暦で行っていたが、現在は陽暦の7月7日に行う所が多い。東北地方などでは月遅れの8月7日に行っている。七夕は織女祭(しょくじょさい)、星祭(ほしまつり)などともいい、中国伝来の行事と、日本古来の伝承、さらに盆行事の一環としての行事など、さまざまな要素が入り混じって今日に伝承されている。

 歴史的にみると、奈良時代には宮中の行事として、この日中国伝来の乞巧奠(きこうでん)が行われている。桃、梨(なし)、茄子(なす)、瓜(うり)、大豆(だいず)、干鯛(ひだい)、薄鮑(うすあわび)などを清涼殿の東庭に供え、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星を祀(まつ)ったという。『延喜式(えんぎしき)』には織部司(おりべのつかさ)の行事として7月7日に織女祭が行われたというが、いずれも宮廷や貴族の習俗であった。室町時代になると七夕に歌を供える風(ふう)が入り、7という数にあやかって、7種の遊びを行ったという。さらに江戸時代には武家の年中行事としても定着し、五節供の一つに定められている。笹竹(ささたけ)に五色の紙や糸を吊(つ)るして軒端に立てる風も江戸市中にみられ、今日に近い七夕風景になってきた。しかし同じく江戸時代より、長野県松本地方では、各家々の軒端に七夕人形といって、板の人形(ひとがた)に子供の着物を着せて吊るし、その年生まれた子供の無病息災を祈願している風がある。あるいは、小さな紙の人形を紐(ひも)に連ねて吊るしている所もあり、いまも盛んに行われている。同じ七夕行事であるが、農民層には貴族・武家階級とはまた異なった習俗を伝承しているのである。

 七夕の名称については、日本では古く神を迎え祀るのに、乙女が水辺の棚に設けた機屋(はたや)にこもり、神の降臨を待って一夜を過ごすという伝承があり、これから棚機女(たなばたつめ)、乙棚機(おとたなばた)、さらに「たなばた」とよぶようになったという折口信夫(おりくちしのぶ)の説がある。七夕には一夜水辺にこもって禊(みそぎ)を行い、翌朝送り神に託して穢(けがれ)を持ち去ってもらうものであったともいい、現に各地に伝承される水浴の習俗はその名残(なごり)であるという。七夕にはかならず洗髪をするとか、食器類を洗うものだという地域は広くある。あるいは、関東地方の北部では、人も家畜(牛馬)も水浴びをし、睡魔(すいま)を川に流す「眠り流し」ということを行っている。観光で有名になっている青森県弘前(ひろさき)地方のねぶた行事も七夕の日であり、ねぶたは「佞武多」という字をあてているが、眠りを追い払う行事である。秋の収穫作業を控え、仕事の妨げとなる睡魔、悪霊を追い払う行事だったのである。

 悪霊を祓(はら)うという思想は、水に流す、すなわち雨が降ることを願う習俗にもなっている。七夕には一粒でも雨が降ると豊作だ、反対に七夕に雨が降らぬと、牽牛と織女の二星が会って悪神が生まれ、疫病が流行するとか、作物のできが悪いという伝承もあって、中国伝来の星合せ伝説は日本の民俗のなかでは、禊の思想に包括されている。

 中国では、この日、牽牛星(わし座のα(アルファ)星アルタイル)と織女星(こと座のα星ベガ)の二星が、天の川を挟んで年に一度相会う日となっている。牽牛は農時を知る基準となり、織女はその名の示すように養蚕や裁縫をつかさどる星とされていた。陰暦7月の初めころは、この二星が北東から南西に横たわる天の川を挟んで、人々の頭上に明るく見えるところから、擬人化して二星の相会う伝説が生まれたものである。この伝説は、日本の口承文芸のなかにも数多く語られている。

 七夕の由来譚(たん)は、室町時代の『天稚彦物語(あめわかひこものがたり)』に、娘が大蛇と結婚する異類婚姻譚となって語られており、現に全国にすこしずつ語り口を変えて伝承されている。その骨子は天人女房の昔話である。

 天女が水浴びをしていると、若者がかいまみて、一人の天女の羽衣を隠してしまう。羽衣のない天女は天に帰ることができず男の妻となる。子供が生まれ、その子供の歌から羽衣が穀物倉に隠してあることを知り、天女は羽衣をつけ、子供を連れて天に飛び去ってしまう。天女は別れるとき、瓜の種を残してゆく。男はこの瓜のつるを登って天上へ行く。天帝の難題を天女の援助によって解決するが、禁じられていた瓜を縦に割ってしまい、瓜から流れた水が大洪水となり、男は流されてしまう。この川が天の川で、天女は流されてゆく男に、7日7日に会おうといったのに、男は7月7日と聞き違え、年に一度7月7日にしか会えないようになってしまった。

 七夕行事には、盆行事の一環としての要素も多い。この日盆道(ぼんみち)作りをするとか、盆の市(いち)が開かれるなどというもので、7月の満月の盆に対し、朔日(ついたち)との中間、7日ごろを目安として日を設定したもので、これに他の七夕の要素が複合して今日のような形式となったものであろう。中国伝来の乞巧奠は当初貴族に伝わり、それはこの日晴天を祈る星祭となり、乾燥文化圏の行事に属し、一方、日本古来の農神としての七夕は、民間に流布し盆行事とも結合して穢を祓う習俗となり、したがって雨天を望む湿潤文化圏の行事の要素をもっている。七夕はこの二つの複合習俗といえよう。

[鎌田久子]


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普及版 字通 「七夕」の読み・字形・画数・意味

【七夕】しちせき

たなばた。乞巧(きつこうてん)。〔楚歳時記〕七七日、牽牛・女、聚會の夜と爲す。是の夕、人家の女、綵縷(さいる)を結び、七孔の針をち、~几(きえん)・酒脯(しゆほ)・果を中に陳(つら)ね、以て巧を乞ふ。喜子(きし)(くも)上にすることらば、則ち以て符應と爲す。

字通「七」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「七夕」の意味・わかりやすい解説

七夕
たなばた

旧暦 7月7日の夜に,天の川(→銀河系)の両岸にある牽牛星(ひこぼし。わし座のα星アルタイル)と織女星(おりひめ。こと座のα星ベガ)が年に一度相会するという伝説に基づいて,星をまつる行事。五節供の一つ。棚機とも書く。この伝説は中国では古く『詩経』や後漢時代(2世紀)の古詩,六朝の『擬天問』や『風土記』にあり,日本でも『万葉集』にみえる。中国ではこの日女性は裁縫の上達を祈る乞巧奠(きこうでん)の習俗があり,これが日本の機を織る女「棚機つ女(たなばたつめ)」の信仰と習合したと思われる。棚機つ女は人里離れた水辺の機屋にこもって神を迎える乙女で,翌日神送りの際に穢れをはらうを行なったことから,日本の七夕には水浴など水に関する習俗がしばしばみられる。七夕行事は奈良時代から行なわれ,江戸時代には民間にも広がって,庭前にウリ,ナスなどを供え,笹竹に歌や願い事を書いた五色の短冊,糸,布などを飾り,書道や裁縫の上達などを祈るようになった。

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百科事典マイペディア 「七夕」の意味・わかりやすい解説

七夕【たなばた】

陰暦7月7日およびその日に行われる星祭の行事をいう。都会では陽暦7月7日に行う所が多く,月遅れの地方もある。中国の牽牛と織女の伝説が,日本固有の棚機女(たなばたつめ)(棚に設けられた機によって神の来臨を待ち,神とともに一夜を過ごす聖なる乙女(おとめ))の信仰と習合して成立したとされる。6日の夜,五色の短冊に歌や字を書いて七夕竹に結び,手習いや技芸の上達を祈る。七夕竹を7日に川や海に流すのを七夕送りといい,青森のねぶたはこの変形である。→乞巧奠(きこうでん)
→関連項目節供七夕伝説

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「七夕」の解説

七夕
たなばた

「しちせき」とも。7月7日の夜に行われる年中行事の星祭。この夜,牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)が年に1度天の川を渡って会うという古代中国の伝説と,女性が手工の上達を祈る乞巧奠(きっこうでん)の行事とが結びついたもの。日本に伝来して奈良時代の貴族層に受容され,「万葉集」にも詠まれた。語源は織女星の異名の翻訳説と,機を織る女の棚機津女(たなばたつめ)が水辺の機屋(はたや)にこもって神の服を織り,神を迎え祭る在来の信仰によるとする説がある。この日は盂蘭盆(うらぼん)や在来の農耕儀礼である眠流し(ねむりながし)とも重なり,農村にも定着した。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「七夕」の解説

たなばた【七夕】

鹿児島の芋焼酎。酒名は、地元の伝統芸能「七夕踊り」にちなみ命名。地元の湧水と白麹を用いて仕込む。蒸留法は常圧蒸留。原料はコガネセンガン、米麹。アルコール度数25%。蔵元の「田崎酒造」は明治20年(1887)創業。所在地はいちき串木野市大里。

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とっさの日本語便利帳 「七夕」の解説

七夕

陰暦七月七日の夜、天の川の東にある牽牛(けんぎゅう)星と西にある織女(しょくじょ)星が出逢うので、それを祭る行事が中国から伝わってきたもの。この夜、庭先に供え物をし、葉竹に五色の短冊をつけ、子女の学問・技芸の上達を願う行事をする。

出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報

世界大百科事典(旧版)内の七夕の言及

【七夕】より

…虫干しにされるのは衣服だともされ,衣服に祖霊が依り付くという古くからの信仰と考えあわせ,7月7日が元来,農耕儀礼に結びついた祖霊祭の日であったことが推定される。七夕に占いや願いごとがなされることが多いのも,もともと農作物の収穫を占ったことに出たのであろう。後漢時代の画像石や石雕に見える牽牛・織女とが両者一対で宇宙論的な配置関係をもつことから,この時代にもなお七夕の伝承が重い信仰観念を背後にもっていたことが知られる。…

【ウリ(瓜)】より

…〈瓜子姫〉の昔話のような中空の果実から小童の誕生を説く話は,中空なものには霊が宿るという信仰に基づくものとみられている。〈天人女房〉の昔話には,天にのぼった男がウリを食べたり,ウリを横に切ってはいけないという妻の忠告を破ったために,ウリから大水がでて,二人は1年に1度だけしか会えなくなったと説く七夕起源譚(きげんたん)を伴うものがある。七夕にウリを供える風習は古代中国の《荆楚歳時記》にあり,中国から伝えられたと考えられる。…

【牽牛・織女】より

…星名は,牽牛がアルタイルAltair,織女がベガVega。この2神は,後には七夕(たなばた)の行事と結びついた恋愛譚の主人公となる。牽牛星と織女星とが並んで歌われる例はすでに《詩経》小雅・大東篇にみえるが,その背後にいかなる伝承があったのかはうかがいがたい。…

【数】より

…いまもし地下の方位にまで観念が及べば,当然7方になるはずであるが,こうした観念は古代の中国社会には存在しなかった。しかし,北アジアのシャマニズムでは9層の天のほかに7層の天を想定していたという議論もあり,七夕伝説や北斗七星信仰の存在と併せて7を聖数とみるむきもある。 以上,殷人に始まる空間の四分割,五分割ないし六分割の観念を通して,中国の古代人が4に特別な意味を付与している事実を指摘し,5,6,9などはそこから副次的に意味づけされた数と認め,だいたんにそれが聖数化していく過程を推論した。…

【ベガ】より

…この名の起源は古く,《小戴礼》(前漢,戴聖(たいせい)の撰)中の〈夏小正〉に記されている。和名の〈おりひめ〉〈たなばた〉〈めんたなばた〉などは,中国より伝来した七夕説話の影響とみなせる。もっとも〈棚機つ女(たなばたつめ)〉という固有の和名もあり,この名を織女星にあてた文化史的背景は深いと思える。…

※「七夕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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