一刀流(読み)いっとうりゅう

精選版 日本国語大辞典 「一刀流」の意味・読み・例文・類語

いっとう‐りゅう イッタウリウ【一刀流】

〘名〙 剣道流派の一つ。近世初期、伊藤一刀斎景久が創始したと伝え、後世小野派、梶(かじ)流、唯心一刀流北辰一刀流甲源一刀流などに分かれる。〔一刀流兵法仮名字目録(1686)〕

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デジタル大辞泉 「一刀流」の意味・読み・例文・類語

いっとう‐りゅう〔イツタウリウ〕【一刀流】

江戸初期、伊藤一刀斎景久の創始と伝える剣道の一派。のち、唯心一刀流北辰一刀流などを生む。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「一刀流」の意味・わかりやすい解説

一刀流
いっとうりゅう

近世剣術の主要流派の一つで、伊藤一刀斎景久(いとういっとうさいかげひさ)を流祖とする。一刀斎は生涯一兵法者として諸国を歴遊し、その終焉(しゅうえん)の地もさだかではないが、その門弟では古藤田勘解由左衛門俊直(ことうだかげゆざえもんとしなお)(古藤田派の祖)と神子上典膳吉明(みこがみてんぜんよしあき)(小野派の祖)の両名が傑出している。なかでも典膳は一刀斎の嫡伝を受け、1600年(慶長5)関ヶ原の戦いのとき、200石をもって徳川家康に召し出され、のちに2代将軍秀忠(ひでただ)の剣術師範を勤め、小野次郎右衛門忠明(おのじろうえもんただあき)(1547―1624)と改名、600石を拝領して流名をあげた。忠明の長子忠方は早逝したが、二男忠也(一説に忠明の弟)は一刀斎の跡目を継いで伊藤典膳(忠也派の祖)を称し、三男助九郎(一説に嫡子)は小野家2代となって次郎右衛門忠常(1608―1665)と称し、3代将軍家光(いえみつ)につかえ、御書院番を勤め、200石を加増されて、800石を知行した。また忠方の子(一説に忠明の姉の子)孫兵衛忠一(1604―1672)は1626年(寛永3)23歳で忠明より免許を得、水戸家に仕えて水戸派の祖となった。

 さらに忠明の門には、甲州流兵学の小幡勘兵衛景憲(おばたかんべえかげのり)(神子上派の祖)、忠也の門には亀井平右衛門忠雄(のち忠也の養子、井藤姓に改める)、忠雄の弟根来八九郎重明(ねごろはちくろうしげあき)(天心独名流(てんしんどくみょうりゅう)の祖)、間宮五郎兵衛久也(ひさなり)(間宮派の祖)、溝口新五左衛門正勝(半左衛門重長、溝口派の祖)、ついで忠常の門からは梶新右衛門正直(かじしんえもんまさなお)(梶派の祖)など、数多くの俊才を輩出し、やがて一大流派を形成する基盤をつくった。忠常の子3代忠於(ただお)(1640―1712)は技術の精妙をうたわれ、一刀斎以来の組太刀(くみたち)を大成し、津軽越中守(えっちゅうのかみ)をはじめ諸侯の間にも勢力を広めた。しかし、この忠於には男子がなく、御書院番岡部忠豊の次男内記(ないき)を婿養子に迎えたが、この4代忠一(ただかず)(1659―1738)は御小姓組(おこしょうぐみ)から御先手(おさきて)鉄炮頭(てっぽうがしら)、持弓頭(もちゆみがしら)へと進み、このために家職の剣術は二の次になったといわれる。

 忠一の高弟、中西忠太子定(たねさだ)(中西派の祖)は1748年(寛延1)指南免許を受けて江戸・下谷練塀小路(したやねりべいこうじ)に町道場を開き、一刀流の鼓吹に努めたが、その子忠蔵子武(たねたけ)は宝暦(ほうれき)年間(1751~1764)に至り、面、籠手(こて)、竹胴などの防具をくふう整備し、竹刀(しない)打込み稽古(げいこ)を始めた。この竹刀打ちはたちまち人々の人気を集め、入門者が相次いだ。

 これに対し、1787年(天明7)小野宗家(そうけ)は、竹刀打ちはあくまで組太刀修業の補助であり、竹刀打ち一色にすることは流儀に反することを警告し、その後もしばしば中止するように求めたが、当時の門人たちは昔のような切組(きりぐみ)を1本1本積み重ねていくという修練方式に耐えられず、1796年(寛政8)宗家の6代忠喜(ただよし)も、やむなく表切組大太刀(おもてきりぐみおおだち)50本を25本に半減し、かわって小(こ)しない7本、刀棒術7本を加えて指南するというありさまであった。

 この中西派からは、浅利又七郎(あさりまたしちろう)、寺田宗有(てらだむねあり)、白井亨(しらいとおる)、高柳又四郎(たかやなぎまたしろう)、高野苗正(たかのみつまさ)(高野佐三郎の祖父)や、北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)を創始した千葉周作、のちに9代小野業雄(なりお)から正統の秘奥を授与されて一刀正伝無刀流を標榜(ひょうぼう)した山岡鉄舟など、幕末・維新期に活躍した名剣士を多数輩出した。

 なお一刀流(小野派)の伝書は、『一刀流兵法十二ヶ条(初伝)』『一刀流兵法仮字書(中伝)』『一刀流兵法目録(本目録)』『一刀流割目録』の4巻で、これらをすべて授与されたのち数年ないし10年、剣術の通根を見了して、初めて指南免許状が渡されたのである。

[渡邉一郎]

『『日本武道全集 第2巻』(1966・人物往来社)』『笹森順造著『一刀流極意』(1965・同書刊行会)』『『日本武道大系 第2巻』(1982・同朋舎出版)』


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改訂新版 世界大百科事典 「一刀流」の意味・わかりやすい解説

一刀流 (いっとうりゅう)

剣術の代表的流派。流祖は伊藤一刀斎景久で,戦国末期ころ,富田流の鐘捲自斎(かねまきじさい)に学び創意くふうを加えて創始したという。一刀流は,門弟小野忠明のとき,徳川将軍指南の流儀として柳生新陰流とともに重きをなし,全国的に隆盛であった。小野派一刀流,唯心一刀流,中西派一刀流,北辰一刀流,甲源一刀流など多数の有力な流派に分派し,とくに幕末の千葉周作,近代の高野佐三郎らにより近代剣道にもっとも大きな影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「一刀流」の意味・わかりやすい解説

一刀流
いっとうりゅう

新陰流 (しんかげりゅう) ,神道流と並ぶ剣道三大流派の一つ。江戸時代初期に伊藤一刀斎景久が編出し,その後弟子の神子上典膳 (のちの小野次郎右衛門忠明) が大成し,小野派一刀流と称した。北辰一刀流,正木流,天心独明流など著名な分派が現れ,多くのすぐれた剣術家を輩出した。その後現代にいたるまで常に剣道界の中心的な位置を占め,現代剣道にも大きな影響を与えている。

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デジタル大辞泉プラス 「一刀流」の解説

一刀流

剣術の流派のひとつ。江戸時代初期に、伊豆国出身の伊藤一刀斎景久(生没年不詳)が創始したとされる。ここから甲源一刀流、北辰一刀流、唯心一刀流など多数の流派が派生した。

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世界大百科事典(旧版)内の一刀流の言及

【伊藤一刀斎】より

一刀流剣術の祖。名は景久。…

【剣道】より

…とくに剣術は諸武芸のうちで最も重視され普及した(武芸十八般)。なかでも隆盛したのは,徳川将軍家指南となった新陰流(新影流とも書く)と一刀流であり,近世の中心的流派といえる。ほかに宮本武蔵の二天一流,薩摩の示現流,新陰流から分かれたタイ捨流,馬庭念流など,特色ある著名な流派が続出した。…

※「一刀流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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