日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
リッチモンド(アメリカ合衆国、バージニア州)
りっちもんど
Richmond
アメリカ合衆国、バージニア州東部の都市で、同州の州都。人口19万7790(2000)。ジェームズ川の遡航(そこう)の終点に位置し、1931年の河道改修やその後の港の改修で大洋航行船も接岸できるようになった。同州中央部の卸・小売業、金融、流通の中心地である。伝統的なたばこ製造と化学工業が重要な工業で、そのほかにも繊維、衣服、食品加工、金属、製紙・紙製品、印刷・出版業が盛んである。
リッチモンド大学、バージニア・ユニオン大学、バージニア州立大学や、心臓・腎臓(じんぞう)移植で有名なバージニア医科大学などの大学と図書館、バージニア美術館、かつて南部連合の臨時大統領のジェファソン・デービスの住宅であった南軍博物館、エドガー・アラン・ポー博物館がある。また、1775年にパトリック・ヘンリーの「自由か死か」の演説が行われたセント・ジョンズ教会、トーマス・ジェファソンの設計による州議事堂、南軍の指導者の銅像が並ぶモニュメント・アベニューなども有名である。
[菅野峰明]
歴史
ジェームズ川の交易中心地として、17世紀中ごろより発展をみせ、1779年バージニア州の州都となった。南北戦争期には、南部連合の首都がリッチモンドに置かれ、北軍による攻略の主要目標とされる。南北戦争の最後の戦闘は、1865年4月1日のリッチモンドをめぐる攻防(リッチモンドの戦い)となった。南部連合軍総司令官リー将軍は、シャーマン将軍、グラント将軍の指揮下にある3倍もの北軍を相手に最後の絶望的な戦いを行うが、4月2日、首都リッチモンドを捨てて撤退を余儀なくされ、市の大半は焦土と化した。1週間後の4月9日、リー将軍は西方128キロメートルにあるアポマトックスにおいて北軍に降服し、南北戦争は終結した。
[長田豊臣]