ユダヤ教(読み)ユダヤきょう(英語表記)Judaism

翻訳|Judaism

精選版 日本国語大辞典 「ユダヤ教」の意味・読み・例文・類語

ユダヤ‐きょう ‥ケウ【ユダヤ教】

〘名〙 ユダヤ民族(イスラエル民族)から発生した宗教。ユダヤ人が信奉する宗教。信仰対象は唯一絶対の神ヤハウェで、自民族はヤハウェの民、神より特に選ばれた民とし、モーゼの律法を重んじ、旧約聖書を経典とする。狭義にはバビロン捕囚後の神殿の祭儀と律法中心のユダヤ人の宗教。
米欧回覧実記(1877)〈久米邦武〉四「少半は羅馬教を奉じ、四分の二は希臘教を奉ず、『ホルミールテ』教八分一、猶太教、及び些少の『ルーデル』教徒あり」

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デジタル大辞泉 「ユダヤ教」の意味・読み・例文・類語

ユダヤ‐きょう〔‐ケウ〕【ユダヤ教】

唯一絶対の神ヤーウェを信仰するユダヤ人の民族宗教。モーセの律法と神との契約に基づき、選民思想・終末論およびメシアの来臨を信ずることなどが特徴。バビロン捕囚から帰還後の前517年、エルサレム神殿の再建・祭祀さいしの確立をもって成立とされる。聖典は旧約聖書。19世紀末以来のシオニズムの精神的支柱。

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改訂新版 世界大百科事典 「ユダヤ教」の意味・わかりやすい解説

ユダヤ教 (ユダヤきょう)
Judaism

古代オリエントに発生し,現在も約1500万人の信徒を擁する世界最古級の宗教。その信仰によると,ユダヤ教とは,唯一の神の啓示を受けた民族がたどった歴史の軌跡にほかならない。事実,ユダヤ教の教義は,民族史の中で生起した事件と関連して形成されてきた。したがって,まず民族史を語らずにユダヤ教を説明することはできない。

前2千年紀初頭に,神に選ばれたヘブライ人アブラハムが,カナン(のちのパレスティナ)へ移住したできごとによって,ユダヤ民族の前史は始まる。遊牧民アブラハムは,彼の子孫にカナンの地を与えるという神の約束を受けた(〈アブラハム契約〉)。この契約に基づき,カナンは〈選民〉ユダヤ民族の〈約束の地〉になった。族長アブラハムの孫ヤコブは,別名をイスラエルと称し,のちに12部族の名祖となった12人の子らの父であったが,飢饉を逃れてエジプトへ移住した。その子孫がエジプト人の奴隷にされて苦役に服したときに,族長の神と名のる主の顕現を受けたモーセが,彼らを率いてエジプトを脱出した。彼らは紅海でエジプト軍の追跡から奇跡的に救われたのち,シナイ山において主と契約を結んだ(〈シナイ契約〉)。この契約に基づき,主はイスラエルの〈唯一の神〉,イスラエルは主の〈選民〉となった。〈シナイ契約〉を確認するために,モーセを仲保者として与えられた律法は,民族的・宗教的共同体として成立したイスラエルの生き方を決定する基本法となった。

 前13世紀末に,イスラエル人はカナンに侵入して〈約束の地〉に定着したが,前1000年ころ,ユダ族出身のダビデが王となり,シリア・パレスティナ全域にまたがる大帝国を建設し,エルサレムを首都に定めた。その子ソロモンが,エルサレムのシオンの丘に主の神殿を建立すると,主はダビデ家をイスラエルの支配者として選び,シオンを主の名を置く唯一の場所に定める約束をした,と理解された(〈ダビデ契約〉)。ここから,〈メシア〉(原義は〈即位に際して油を注がれた王〉)が,世の終りにダビデ家の子孫から現れるという期待と,エルサレム(シオン)を最も重要な聖地とする信仰が生じた。

前586年にユダ王国が滅亡し,エルサレム神殿が破壊されて古代イスラエル時代は終わる。その後約半世紀続いたバビロン捕囚の苦難を通して,古代イスラエルの宗教的遺産を民族存続の基本原理とする共同体〈ユダヤ人〉が成立した。前538年にペルシアのキュロス2世が捕囚民の解放令を発布すると,一部のユダヤ人は故国に帰還して,エルサレム神殿を再建した。これを第2神殿と呼ぶ。以後,後70年にローマ人が第2神殿を破壊するまで,ユダヤ人は,エルサレム神殿を中心とする民族的・宗教的共同体として自己形成をした。しかし,この共同体の独自の生き方を決定したのは,前5世紀中葉に,バビロニアから〈モーセの律法〉の巻物を携えて来たエズラであった。彼は律法を公衆の面前で朗読すると同時に解説した。エズラは,この時代までに変更不可能な聖典として成立していた成文律法を,変化する現実に適用する方法を教えた最初の律法学者であった。エズラ以後,ユダヤ人は,成文律法の解釈のほかに,より広範囲な権威に基づいて決定された法規にも,成文律法と同等の神聖な権威を認め,これを口伝律法と呼んだ。

 以後1000年間に,口伝律法は発展し,膨大な集積となった。口伝律法の研究と発展に携わった律法学者が,ラビという尊称で呼ばれたことから,この時代に形成されたユダヤ教を,特に〈ラビのユダヤ教〉と呼ぶ。長い間,口伝律法は口頭で伝承されていたが,後200年ころ,総主教ユダ(イェフダ)によってミシュナに集成された。その後さらに300年間,ミシュナの本文に基づく口伝律法の研究が積み重ねられた結果,4世紀末に〈エルサレム(別名パレスティナ)・タルムード〉,5世紀末に〈バビロニア・タルムード〉の編纂が完結した。ミシュナとタルムードは,成文律法を中心として1世紀末に成立した旧約聖書とともに,ユダヤ教の聖典となった。

 〈ラビのユダヤ教〉時代は,ユダヤ民族が何度も絶滅の危機にさらされた激動の時代であった。まず,前4世紀末,アレクサンドロス大王の東征によって引き起こされたヘレニズム化の波が,政治的・文化的衝撃となってユダヤ人共同体の存立を根底から揺るがした。特にセレウコス朝シリアの王アンティオコス4世は,ユダヤを征服すると,ユダヤ教を禁止してヘレニズム化政策を強行した。信仰を守るため蜂起したユダヤ人は,マカベア党を中心とする反乱(マカベア戦争)を起こし,長い苦闘の末,マカベア(ハスモン)家によるユダヤの独立を回復した。しかし前63年には,ユダヤはローマの属領となり,ローマの属王ヘロデの支配を受けた。過酷なヘロデの支配に続いて,ローマ人総督が悪政の限りを尽くしたため,ついにユダヤ人は大反乱を起こした(ユダヤ戦争。66-70年)。一時はローマ軍の排除に成功したが,結局反乱は鎮圧され,エルサレム神殿は完全に破壊されてしまった。

 このときまで,ユダヤ人は神殿祭儀を宗教活動の中心とみなしてきた。しかし,すでにバビロン捕囚時代から,神殿祭儀なしに民族的・宗教的共同体を維持する努力が払われてきた。その結果,第2神殿時代を通じて,礼拝と律法研究のために,安息日シャバット)ごとに各居住地の成員が集まるシナゴーグ(集会所)が発達した。パリサイ派律法学者たちは,シナゴーグを活動の本拠としていたため,神殿の破壊から本質的な打撃を被らなかった。彼らは海岸地方のヤブネに集まり,それまで神殿にあったサンヘドリン(議会)を再興して,律法と律法解釈に基づくユダヤ人共同体の形成・維持を続行した。第2反乱(132-135)によってヤブネが破壊されると,ユダヤ人共同体の中心はガリラヤに移り,5世紀初頭に,キリスト教を国教とするローマ帝国の弾圧によってユダヤ総主教職が廃止されるまで続いた。

 ペルシア時代以来,多数のユダヤ人が,パレスティナ本国以外の世界各地に居住していた。彼らをディアスポラ(離散民)と呼ぶ。ディアスポラは,ヘレニズム・ローマ時代に大発展を遂げ,1世紀に,その人口は本国のユダヤ人の数十倍に達していた。大部分はローマ帝国内にいたが,再度にわたる反乱の際に,ディアスポラも厳しい弾圧を受けたため,ローマ帝国の支配圏外にあったバビロニアのディアスポラが徐々にユダヤ人世界の中心になっていった。特に5世紀以降は,バビロニア各地にあった教学院(イェシバーyeshivah)に集まった律法学者たちが,〈ラビのユダヤ教〉を完成する任務を遂行した。その結果,ユダヤ民族・宗教共同体の歴史的軌跡であり,その生き方の基準である口伝律法の集大成として,〈バビロニア・タルムード〉が編纂された。
聖書 →タルムード

中世以後,現代に至るユダヤ教は,〈ラビのユダヤ教〉が確立した教義の展開である。この間に,ユダヤ人世界の中心は,周辺世界の情勢に応じて世界各地を転々と移った。10世紀まで,前時代の伝統を継承したバビロニアが中心であったが,それ以後ユダヤ人共同体は,イスラム教徒が支配する北アフリカとスペインで繁栄した。当時,カライ派Karaitesと呼ばれるセクトが発生し,口伝律法の権威を否定して各自が成文律法(旧約聖書)を直接解釈するべきであると説いた。一時,大勢力になったが,結局,余りにも厳格な律法主義に陥り,広く民衆の支持をえることができなかったため急速に衰退した。

 ユダヤ人世界には,11世紀までに,スペインを中心とするイスラム教圏のスファラド系(セファルディム)と,ヨーロッパ・キリスト教圏のアシュケナーズ系(アシュケナジム)の二つの大きな文化的伝統が確立した。10世紀以降,アシュケナーズ系ユダヤ学がライン川流域地方で盛んになり,西ヨーロッパ全域に大きな影響を及ぼした。中世最大のユダヤ学者マイモニデスは,スファラド系哲学とアシュケナーズ系ユダヤ学を総合した人物である。第1回十字軍(1096-99)とともに,キリスト教ヨーロッパは,血腥(なまぐさ)いユダヤ人迫害の歴史を開始した。以後,西ヨーロッパ各地で迫害を受け,追放されたユダヤ人は大挙して東ヨーロッパに逃亡した。その結果,中世以後20世紀前半まで,東ヨーロッパがアシュケナーズ系文化の中心となった。

 他方,キリスト教化したスペインから15世紀末に追放されたスファラド系ユダヤ人は,中東各地に移住した。その一部が定着したパレスティナのツファットは,16世紀にカバラ神秘主義の中心となった。カバラの起源は,ヘレニズム・ローマ時代のユダヤ人が著作した黙示文学である。これらの著作は,現在を悪が支配する世界とみなし,やがて到来する世の終りに,神が悪の力を滅ぼして正義を確立するという世界観と,神秘的表象を用いる点に特徴がある。現世における厳しい迫害に絶望した中世のユダヤ人が,終末時に来臨するメシアが民族と宇宙を救うという黙示思想に共感して,カバラ神秘主義を発展させたのである。しかし,終末の救済の秘儀にあずかるためには,律法を順守しなければならないというカバラの結論は,正統的な〈ラビのユダヤ教〉への回帰にほかならなかった。

 カバラ神秘主義の影響下に,16~17世紀には,自称メシアが各地で出現した。その一人,サバタイ・ツビのメシア運動は,一時全ユダヤ人世界を巻き込むほどの大成功を収めた。しかし,この偽メシアはトルコのスルタンに逮捕されると,イスラム教に改宗した(1666)。サバタイ騒動が残した深刻な精神的危機を克服する試みの中から,東ヨーロッパでハシディズム運動が起こった。ウクライナの貧民出身のバアル・シェムトーブBaal Shem Tov(1698-1760)は法悦状態に没入し,祈禱において神と交わる神秘的救いの重要性を説いて,無味乾燥な律法主義にあきていたユダヤ人大衆の心をつかんだ。しかし,正統派は,律法研究よりも法悦を重視するハシディズムを異端とみなし,〈ミトナグディームMitnaggedim〉(〈反対者〉の意)という運動を起こした。半世紀に及ぶ激しい争いののち,19世紀初頭になると,両者は急速に和解した。帝政ロシアの同化政策によるユダヤ人共同体の分解と,ハスカラーHaskalah(ユダヤ啓蒙主義)思想によるユダヤ教的伝統の破壊という,内外からの危機が迫ったからである。

 17世紀後半に,西ヨーロッパにおいて,宗教的熱狂主義が終わり,中央集権的絶対主義と重商主義に基づく世俗的近代国家の形成が始まると,中世の宗教的伝統から個人の解放を目ざす啓蒙主義が,時代を支配する思潮となった。その影響下に,ユダヤ人世界においては,ハスカラーと呼ばれる啓蒙主義運動が起こった。カントと並ぶ当代最大の哲学者として尊敬されたM.メンデルスゾーンを精神的父と仰ぐユダヤ人啓蒙主義者は,ユダヤ人固有の文化を捨ててヨーロッパの世俗文化を学ぶことが,中世以来の社会的差別からユダヤ人を解放する前提であると考えた。19世紀に,民族主義に基づく近代国家が成立すると,彼らは,ユダヤ教の伝統的教義である民族と宗教の間の不可分な関係を否定する〈改革派ユダヤ教〉を創設した。

 しかし,ヨーロッパの民族主義はユダヤ人の同化を拒否し,ユダヤ人をスケープゴートにして激しいアンチ・セミティズム運動を起こした。19世紀後半,帝政ロシア末期の混乱の中で,ユダヤ人を無差別に殺戮(さつりく)するポグロムが広がったため,多数のユダヤ人がアメリカに逃げた。同時に,ユダヤ民族主義シオニズムが勃興し,それをT.ヘルツルが政治運動に組織した。第1次大戦後,ヒトラーのナチス・ドイツは,組織的アンチ・セミティズム政策により,ユダヤ人600万人を殺戮した。この暴挙に衝撃を受けた世界は第2次大戦後の1948年に,シオニズムに基づく新生ユダヤ国家として,イスラエルの独立を承認した。しかし,ユダヤ人に国土を奪われたと主張するパレスティナ人と,それを支援するアラブ諸国は承認を拒否し,イスラエルとアラブ諸国の不幸な戦争状態は今日まで続いている。

現在,ユダヤ人はいずれも概数で,イスラエルに360万,アメリカ合衆国に600万,旧ソ連に140万,ヨーロッパ諸国に130万,その他の地域を合わせて計1400万人いる。イスラエルのユダヤ人人口の4倍に達するディアスポラは,各自が居住する国家のユダヤ教徒市民である。しかし,イスラエルは,1950年に帰還法を制定して,これらのディアスポラがイスラエル移住を希望すれば,ただちにイスラエル市民権を与えると約束した。これは,イスラエルをユダヤ人の〈祖国〉として建設したシオニズムの理念に基づく決定であるが,民族と宗教の関係は不可分であるという伝統的教義の確認でもある。この教義は,政教分離をたてまえとする現代国家イスラエルにとって,複雑な問題を提供している。事実上,ユダヤ教の宗教法は,イスラエルの市民生活を規制している。そこで,市民生活に宗教法を強制的に適用することに対しては,つねに多数の市民が反発しているが,ナチスの犠牲者600万人を〈殉教者〉として弔うことに異議を唱える市民は少ない。

 他方,現在最大のユダヤ人共同体を形成するアメリカのユダヤ人は,共同体の内的崩壊により,アメリカ社会に同化吸収される危険を感じている。アメリカでは,〈ラビのユダヤ教〉の伝統的戒律を文字どおり順守する正統派のほかに,倫理的戒律と生活的戒律を区別して,後者は精神的解釈にとどめようとする改革派と,両派の中間的立場をとって,戒律の歴史的発展を主張する保守派の3派が均衡を保って並存している。しかし,シナゴーグの礼拝に参加するユダヤ人は,全人口の4分の1にとどまり,適齢期の男女の5人に1人は非ユダヤ人と結婚するため,アメリカのユダヤ人共同体の存続を問題視する説がある。これに対して,ソ連のユダヤ人共同体は,国家の強制的同化政策によって消滅の危機にさらされていた。しかし,そのためにかえってユダヤ人であることの意識を強くもち,反体制運動に参加する多数のユダヤ人がいた。アメリカのユダヤ人もソ連のユダヤ人も,アラブ諸国と戦争状態を続けるイスラエルの運命に深い関心を抱いており,そのことが,彼らのユダヤ人としての自意識を支えていることも事実である。ユダヤ教徒は民族なのか,信徒集団なのか,という問題は,簡単に割り切ることができない歴史的問題なのである。

〈ラビのユダヤ教〉は613の戒律を定める。これらの義務律248戒と禁止律365戒は,狭義の宗教的戒律のほかに,倫理的戒律と生活的戒律を含み,民族共同体の生き方そのものが宗教であるユダヤ教の特徴を表している。ユダヤ教において,神の存在は自明な真理であって,その証明を必要としない。神は唯一であり,その統一された意志の下に,宇宙が創造され,イスラエルが選ばれ,歴史が運営されている。神はどのようなかたちも取らず宇宙を超越した存在であるが,同時に宇宙に遍在しているから,神に向かって祈る個人にも神は来臨し,滞留(シェキーナー)する。神は全知全能であり,聖にして完全な存在,永遠の生者である。彼は,憐れみによって世界と人間を創造し,正義によってこれを支配する。

 人間は神のかたちに創造された存在であり,人生の目的は,現在なお進行中の神の創造の業に参加し,これを完成して創造主に栄光を帰すことである。したがって,人間は神のように恵み深く,憐れみに富み,正しく完全でなければならない。しかし,人間の本性の中には悪の衝動が含まれているから,これを押さえて神の創造の業に参加することは,各人が自由意志に基づいて決定しなければならない。神の意志に反抗することが罪である。具体的には,十誡を代表とする律法に定められた戒律違反が罪であるが,特に重罪として,偶像礼拝,姦淫,殺人,中傷の4罪がある。いずれも,神のかたちに造られた人間の尊厳と,選民による共同体の形成にかかわっている。人間は罪を犯しやすい弱い存在であるが,憐れみ深い神は,悔い改めた罪人を必ず許す。しかし,正義の確立によって宇宙創造の完成を目ざす全能の神は,死後も各人の責任を追及する。そこで,この世の終りに,神はメシアを派遣して神の王国の建設を準備させる。その後で来るべき世界が始まると,すべての死者はよみがえり,生前の行為に応じて最後の審判を受ける。その結果,罪人は永遠の滅びに落とされ,義人は永遠の生命を受ける。このような神の姿と人間の運命を示す律法が選民イスラエルに啓示されて以来,律法を順守して神の意志を全世界の諸民族に伝えることが,イスラエルの任務となった。

 〈シェマ・イスラエルShema‘ Israel(聞けイスラエル)〉は,唯一の神に対する中心的信仰告白である。〈聞けイスラエル,我らの神,主は唯一の主なり。汝,全心,全霊,全力を尽くして汝の神,主を愛すべし〉(《申命記》6:4)。ユダヤ教徒は,この告白を書きつけた羊皮紙を収めた革の小箱(テフィリンtefillin)を,一つは左上腕に,もう一つは額に巻きつけて朝禱を捧げる。朝,昼,晩と1日に3度〈アミダーamidah(立禱)〉を起立して祈る。これは,父祖の神の全能と聖名の賛美に始まり,神のシオン帰還とイスラエルの祝福で終わる19項目の祈禱であるが,本来は18項目であったことから,〈シュモネー・エスレーshemoneh-esreh〉(〈18の祝禱〉の意)と呼ばれる。立禱は個人で祈ってもよいが,正式には成人男子10人以上の集団(ミヌヤンminyan)で祈ることになっている。安息日ごとに行われる公の礼拝の中心は,律法(〈モーセ五書〉)の朗読である。律法は,毎週1区分ずつ朗読して,1年間で読了するよう54区分されている。安息日は,金曜日の日没に始まり土曜日の日没に終わるが,神の恵みの業(わざ)を思い起こすため,すべての労働を休む神聖な日である。

 ユダヤ暦は太陰暦で,太陽暦の9~10月に始まる秋年である。次のような祝祭日がある。新年祭(ティシュリ月1日)--神の世界創造を記念し最後の審判を思う。贖罪日(同10日)--断食をして罪の許しを乞う。仮庵の祭(同15~21日)--エジプト脱出後の荒野放浪の記念。律法の歓喜祭(同22日)--1年かかった律法の読了を祝う。ハヌカ祭(キスレウ月25日~テベト月2日)--前164年のエルサレム神殿奪回の記念。プリム祭(アダル月14~15日)--エステルがユダヤ人を救った伝承の記念。過越の祭(ニサン月15~21日)--エジプト脱出の記念。七週祭(シワン月6日)--モーセに十誡が授けられたことの記念。アブ月9日祭--エルサレム神殿の破壊を嘆く。なお,ユダヤ暦については,〈〉の項目の当該部分を参照されたい。

 安息日と祝祭日の食事は,家庭で守らなければならない。したがって,家庭を形成するために結婚することは,重要な戒律として定められている。男子は生後8日目に割礼を受け,同時に命名される。これは,新生児が〈アブラハム契約〉に参加してユダヤ人共同体の一員になったことを示す儀式である。少年は13歳で〈バル・ミツバーbar mitzvah〉(〈戒律の子〉の意)という成人式を行い,戒律を守る義務を負う。祭儀的な潔,不潔の区別が重んじられ,しばしば汚れを清めるために洗手,水浴などを行う。また,〈カシュルートkashrut(適正食品規定)〉に従って,不潔と定められた豚肉などの食用,肉とミルクの混食などが禁じられている。これらの規定は,聖別された選民の身分を守るための戒律である。
イスラエル国 →ユダヤ人
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユダヤ教」の意味・わかりやすい解説

ユダヤ教
ゆだやきょう
Judaism

ユダヤ教はユダヤ人の宗教である。現在全世界にシナゴーグ(会堂)とユダヤ教徒が散在するが、国籍や日常言語、皮膚の色は異なっても、シナゴーグの礼拝に集まる人々はいずれもユダヤ人である。例外的に改宗者がいないわけではないが、改宗の儀式をつかさどるラビ(ユダヤ教教師)は3回にわたって志願者の翻意を促す慣行があるほどで、典型的な民族宗教の一つである。

[石川耕一郎]

歴史

ユダヤ教の歴史は民族の歴史とともに古い。セム人に属する半遊牧的なユダヤ人の祖先が、民族移動の大きな波のなかでメソポタミアから地中海東岸沿いの地に定住するようになったのは、紀元前18世紀ごろのことと考古学では推定する。『旧約聖書』の「創世記」12章以下のアブラハムの記事はこのような状況を反映している。

 ユダヤ教にとって歴史上画期的なできごとは、モーセの指導により民族がエジプトから脱出し、シナイ山において神ヤーウェと契約を結んだことであった。前13世紀前半と推定されるこの事件は伝承(出エジプト記)が語るような民族全体のものではなく、カナーンの地から飢饉(ききん)などで難をエジプトに避けていたヨセフ人を中心とする民族の一部であったろう。しかし、これは民族全体にかかわる神の救いの業(わざ)としてこの民族の意識のなかに深く根を下ろした。神ヤーウェと民とはおのおの主体的な選択に基づく法的行為としてかかわりをもち、その際契約の根底である「聖なる民」となるために教義、慣習、倫理を包括した「教え」(律法(トーラー))が啓示された。ここにユダヤ教の一神性と倫理的性格がすでに明確に打ち出されている。

 前10世紀にエルサレム神殿を建立してからの民族の歴史は、亡国、離散、迫害、虐殺という悲劇的な歩みの連続であり、つねに民族のアイデンティティを求める闘いであった。紀元後70年にローマの手で破壊されたエルサレム神殿の喪失は、ユダヤ教にとってとりわけ決定的な意味をもった。なぜなら、神殿祭儀を中心としていたそれまでのあり方が根本的に変質を迫られることになったからである。このような状況によく対処しえたのは、律法の厳格な遵守を目ざすパリサイ派の流れをくむ規範的ユダヤ教の努力の結果であった。彼らは、神殿祭儀にかえてシナゴーグでの祈りや日常的な律法研究を重視し、神のことばとしての律法のなかにユダヤ人としての行動の規範を追求した。成文律法のほかに口伝(くでん)の伝承をも認める立場が、危機的状況に対処しうる弾力性を与えたといえよう。この口伝律法はその後タルムードに集大成されてユダヤ教徒の生活と行動の規範となったものであり、現在にまで続くユダヤ教の性格を決定することとなった。

 ユダヤ教がタルムード以後規範的宗教としての特質を強調すればするほど、この規範性によっては満たしえない人間の宗教的心情を重視する神秘主義的傾向も大きな流れとなって展開する。これは、律法やタルムードの文字の背後に隠されている真理を霊的努力によって把握しようとする思想であり、中世スペインやパレスチナで盛んとなった。カバラとよばれるこのユダヤ教神秘主義思想は『ゾハール』(光輝の書)などに代表されている。この流れのなかから、近代に入って、祈りに精神を集中することによって神との神秘的交わりを得ることを願うハシディズムがポーランドにおこり、東欧ユダヤ人の心をとらえていった。

 ユダヤ人は中世を通じて宗教的にも文化的にも、また社会的にも離散社会のなかで孤立した生活を続けてきた。しかし近代西ヨーロッパの啓蒙(けいもう)思潮は彼らのうえにも例外なく及び、人間性の解放として展開する。しかし彼らの場合、人間性の解放は同時に民族性の排除でもあった。この動きのなかからドイツで誕生した改革派は、シナゴーグ礼拝の近代化を推し進めたが、祈祷(きとう)書からシオンの再建とエルサレム神殿祭儀の復活を削除するなど、民族性排除の傾向をはっきりとうかがわせる。彼らは普遍性の高い預言者の倫理思想をとくに強調した。この改革派がもっとも自由に活躍しえたのは、伝統の束縛がないアメリカ合衆国においてであった。

 伝統と現代性との間の緊張を問題としつつも、あまりに過激に走る改革派の動きについてゆけぬ人々の間から保守派ユダヤ教が生まれた。彼らは伝統的ユダヤ教の本質をたいせつに維持しながら、歴史に根拠のある改革を受け入れ、現代社会への適応性を高めようとした。このためには、ユダヤ教の歩んできた道を歴史的に検証する必要があり、いわゆる「ユダヤ学」発展の契機となった。

 19世紀の改革派、保守派の動きに同調しなかったヨーロッパのユダヤ人はすべて正統派とよばれる。正統派のうちでもごく一部の人々はいっさいの変革を拒否し、中世的伝統主義ユダヤ教を保守しようとする。彼らはテレビ、新聞をはじめ、現代文化を受け入れない。しかしその他の大部分は、いわゆる新正統派とよばれる人々で、現代社会の文化価値を受け入れる。これは、時代の流れへの譲歩ではなく、環境社会の文化を吸収し、かつその社会のことばでユダヤ教の価値と思想を表現するのは、過去の歴史に明らかなごとくユダヤ教本来の必然性である、と理解するからである。歴史批評的研究方法を彼らが受けつけないことはもちろんだが、日常行動の諸規定であるハラハーHalachaの解釈と基準の適用にはそれでも柔軟性が認められる。このように現代では正統派、保守派、改革派の三派が並存しているのが現状である。

[石川耕一郎]

聖典

ユダヤ教の聖典はヘブライ語の聖書である(内容的にはプロテスタント・キリスト教の『旧約聖書』と共通)。とくに冒頭の「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記(しんめいき)」のいわゆる「モーセ五書」はトーラー(律法)とよばれて神聖視されている。神がその意志をモーセに直接啓示した内容と信じられているからである。しかし後のユダヤ教の伝承によれば、シナイ山でモーセが受けた啓示の内容は、成文化されているトーラーだけではなく、口伝の律法をも含むと考えられた(ミシュナ・アボット1.1以下参照)。したがって成文律法(モーセ五書)と並んで口伝律法(ミシュナ)がともに神的権威をもつものと受けとめられてきた。このミシュナは200年ごろラビ・ユダによって結集され、その後パレスチナ、メソポタミア両地の律法学者がこれを基本テキストとして多様な議論を展開し、かつ注釈を加えていった。この議論および注釈をミシュナ本文とあわせて集大成したのがタルムードである。4世紀後半にパレスチナで完成したものはエルサレム(パレスチナ)・タルムードとよばれ、これとは別にメソポタミア地域の学者の成果を500年ごろ集成したのがバビロニア・タルムードとなった。

 祖国を失い世界の各地に離散したユダヤ人がタルムードの示す宗教的行動規範に従うことによって、ユダヤ人としてのアイデンティティを保持することができたのである。「持ち運びのできる祖国」(C・ロス)と称されるゆえんである。したがってユダヤ教にとってタルムードは聖典に準じるものとしての位置づけをもっているといってよい。

[石川耕一郎]

安息日と祭り

1週間の生活でもっとも重要な「時」は安息日である。金曜の日没から土曜の夕までの1日である。この日ユダヤ人はいっさいの日常の仕事に従事することを禁じられている。神のみが存在するいっさいの創造者であり、主であることを認識するために、自然界と人間が営む世界への働きかけからユダヤ人は身を退けなければならない、とされる。

 古代イスラエルにはエルサレム神殿に詣(もう)でる三大巡礼祭があった。仮庵(かりいお)祭(スッコート)、過越(すぎこし)祭(ペサッハ)、五旬節(シャブオート)である。いずれも収穫に関連した農耕的な祭りであったが、歴史のできごとと結び付けられて神殿喪失後現在に至るまで祝われ続けている。仮庵祭はエジプト脱出後の荒野での生活、過越祭はエジプト脱出時の奇跡的故事、五旬節はシナイ山におけるトーラーの啓示を記念する行事である。

 ユダヤ人の暦では秋のティシュリの月に1年が始まる。月初めに新年祭(ローシュ・ハッシャナ)を祝い、その月の10日に贖罪(しょくざい)の日(ヨーム・キップール)を迎える。この日はユダヤ教におけるもっとも厳粛なときであり、悔い改めと神の赦(ゆる)しを求めてこの日一日完全に断食(だんじき)を守り、シナゴーグで祈りに終始する。罪を告白し、人間の至らなさを悔いるとともに神の無限の慈(いつく)しみをたたえ、心にしみ渡るコル・ニドレイの壮重な調べにのせて宗教的な誓いの束縛からユダヤ人が解放されることを願う。

 このほかに12月に8日間のハヌカー祭がある。前2世紀中ごろセレウコス家(シリア)の支配をはねのけて、穢(けが)された神殿を潔(きよ)めて再奉献したことを祝う。また一説には、わずか一壺(つぼ)の穢れていない油が神殿再奉献の際8日間も灯明(とうみょう)として燃え続けた奇跡を記念するともいわれる。八枝の燭台(しょくだい)を窓辺でともす慣習がある。また春のアダルの月14日には、「エステル記」に語られるユダヤ人の救いを記念したプリムの祭りが祝われる。

[石川耕一郎]

『A・ウンターマン著、石川耕一郎・市川裕訳『ユダヤ人――その信仰と生活』(1983・筑摩書房)』『A・シーグフリード著、鈴木一郎訳『ユダヤの民と宗教』(岩波新書)』『I・エプスタイン著、安積鋭二・小泉仰訳『ユダヤ思想の発展と系譜』(1975・紀伊國屋書店)』『石田友雄著『ユダヤ教史』(1980・山川出版社)』『A・シュラキ著、渡辺義愛訳『ユダヤ思想』(白水社・文庫クセジュ)』『H・H・ベンサソン編、石田友雄他訳『ユダヤ民族史』全六巻(1976~78・六興出版)』『シーセル・ロス著、長谷川真・安積鋭二訳『ユダヤ人の歴史』(1966・みすず書房)』


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百科事典マイペディア 「ユダヤ教」の意味・わかりやすい解説

ユダヤ教【ユダヤきょう】

古代イスラエルに発祥し,唯一至高の神ヤハウェを奉じる世界最古級の宗教。今日約1500万の信徒を擁し,イスラエル共和国,アメリカ,ロシアなど世界各地に散在する。聖典はいわゆる旧約聖書(この呼称はキリスト教徒によるものであることに注意),ミシュナ,タルムード。神とモーセ(〈シナイ契約〉)およびダビデ(〈ダビデ契約〉)の間に交された〈契約〉とメシア(救世主)の思想が根幹にあり,エルサレム神殿がその象徴。会堂をシナゴーグ,聖職者をラビと称する。独得の戒律(豚肉の非食などを含む),礼拝,暦などをもつ。いわゆる〈ユダヤ人〉の激動の歴史とともに種々の曲折を経てきたが,強い共同体意識は現代まで保持されている。カバラハシディズムに代表される神秘主義の伝統にも近年大きな関心が寄せられている。
→関連項目ベック民族宗教ユダヤ啓蒙主義ユダヤ人リクード

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ユダヤ教」の解説

ユダヤ教(ユダヤきょう)
Judaism

広義には,ユダヤ人の信奉する宗教。すなわちユダヤ人が神ヤハウェを唯一神として礼拝し,ヤハウェはユダヤ人を選民として特別の恩恵を与えるという契約関係にある宗教。狭義には,バビロン捕囚より帰還したユダヤ人がエズラ,ネヘミアの指導のもとに,再建されたイェルサレム神殿における祭儀とモーセ律法の遵奉を中心として,捕囚前の政治的独立に代わって教団として民族を結集した宗教。ディアスポラの発展とともに各地にシナゴーグ(ユダヤ教会堂)がつくられ,安息日の礼拝,割礼,食物戒などを守り,イェルサレム神殿に献金,異邦人をも改宗させた。イエスの時代前後にユダヤ教師にサドカイ派パリサイ派エッセネ派などが現れ,第1次ユダヤ戦争によるイェルサレム神殿の焼滅(70年)後,タルムードが結集されてユダヤ教の教義を完成した。近現代においてもユダヤ教はシオニズムイスラエル国建設の推進力となった。

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知恵蔵 「ユダヤ教」の解説

ユダヤ教

唯一の神(ヤハウェ)がユダヤ民族を選んで契約を結び、預言者モーセに教えを啓示したという信仰に基づいて、その教えを生活の中で実践するユダヤ民族の宗教。ユダヤ教の歴史は、紀元前二千年紀カナン(パレスチナ)に移住した民族の祖アブラハムにさかのぼるが、厳密には「ユダヤ教」として認識され始めたのは、キリスト教の登場以降であると考えられる。聖典は「律法・預言書・諸書」の3部からなり、キリスト教で『旧約聖書』と呼ばれているものとほぼ内容的に一致する。また、『ミシュナ』(口伝律法)とその注釈書『ゲマラ』を加えた『タルムード』も重要な信仰のよりどころになっている。さらに、食物についての詳細な規定や安息日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)に一切の仕事を禁じるなど厳しい戒律がある。ユダヤ教徒たちは古代に王国が滅亡して以来、1948年のイスラエル建国まで国を持たない民族として世界各地に離散した。そして、その生活習慣やイエス・キリストの処刑に加担したとの考えから、様々な迫害を受けてきた。しかし、93年、カトリックの総本山バチカン市国とイスラエルとの間に国交が樹立され、2000年3月には、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が過去のカトリック教会が犯した過ちを認め、ユダヤ人迫害を容認したことについてざんげした。1990年代後半から、戦後50年を迎えたことや、ホロコースト(ナチスによるユダヤ人虐殺)をテーマにしたドキュメンタリー映画「ショアー」(クロード・ランズマン監督)の公開、「ホロコーストはなかった」と主張する歴史修正主義の登場などを契機に、ユダヤ人の民族意識の高揚がみられる。

(岩井洋 関西国際大学教授 / 2007年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユダヤ教」の意味・わかりやすい解説

ユダヤ教
ユダヤきょう
Judaism

ヘブライ人のヤハウェ信仰を起源とするユダヤ人の宗教。ヤハウェを唯一絶対神とする一神教であり,しかもヤハウェはユダヤ人を選民としたとする神と人との契約から成立した宗教。聖典は記された律法「トーラー」と,口伝された律法「タルムード」から成る。教団の公式の発足は,バビロン捕囚から帰国したユダヤ人がネヘミア,エズラの指導のもとに民族的団結を唱えた前5世紀後半といえる。その後前2世紀頃からサドカイ派エッセネ派パリサイ派などに分派したが,次第にパリサイ派が主流となり,シナゴーグを中心として律法を重んじるようになった。 70年エルサレム神殿破壊後,国を失ったユダヤ人は,1948年のイスラエル共和国建国までディアスポラとして世界各地に散らばったが,その間もラビの指導により,シナゴーグを中心にその伝統を守った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ユダヤ教」の解説

ユダヤ教
ユダヤきょう
Judaism

ヘブライ(ユダヤ)人が信仰する民族的一神教
前6世紀,“バビロン捕囚”から解放された人びとがイェルサレムに神殿を建てて成立させたもの。その特色は,シナゴーグ(教会堂)を中心に唯一絶対の神ヤハウェ(ヤーヴェ)を礼拝し,いっさいの偶像を否定する。『旧約聖書』を聖典とし,モーセの十戒 (じつかい) を基礎とする律法主義に立つ。自分たちが神に選ばれた民であるとする選民思想や,終末思想・メシア待望などを特色とする。紀元後1〜2世紀に起こした反乱がローマ帝国によって鎮定されてからは,ユダヤ人は追放されて他郷を放浪することになるが,6世紀にはタルムード(儀式・日常生活の規定)ができ,ユダヤ教徒としての民族的団結は維持された。その唯一神観はキリスト教出現の母体となり,またイスラームの成立にも影響を与えている。

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世界大百科事典(旧版)内のユダヤ教の言及

【イスラエル[国]】より

…正式名称=イスラエル国Medinat Yisrael∥State of Israel面積=2万0325km2―ヨルダン川西岸,ガザ,東エルサレム,ゴラン高原を除く人口(1996)=548万人―ヨルダン川西岸,ガザのイスラエル人および東エルサレム,ゴラン高原の人口を含む首都=エルサレムal‐Quds∥Jerusalem―ただし国際的承認はえられていない(日本との時差=-7時間)主要言語=ヘブライ語,アラビア語通貨=シュケルShekel西アジアの地中海東岸に位置するユダヤ人の建設した共和国。
【歴史】
 19世紀の後半,主としてロシアおよび東ヨーロッパに居住していたユダヤ人の間から,前1000年ころから西暦1世紀にユダヤ教徒の王国があったパレスティナに移住し,ユダヤ人の独立国家を建設しようという運動(シオニズム運動)が興り,その後数十年間にわたって移住と建国のための運動が続けられた結果,1948年5月14日にイスラエル国の独立が宣言されるにいたったものである。したがって第2次世界大戦後に誕生した新興国の一つであるが,ユダヤ人の祖先の地にユダヤ国家を〈再興〉したという意識を持つシオニストたちは,古代イスラエル王国との歴史的つながりを強調している。…

【シナゴーグ】より

…ユダヤ教の公的な祈禱・礼拝の場所(会堂)をさす語。ギリシア語で〈集会〉を意味するシュナゴゲsynagōgēに由来し,ヘブライ語では,ベート・クネセットbêṯ kenēseṯという。…

【ユダヤ人】より

…ユダヤ人とはもっぱらモーセの教えを信じる人びとである,という規定がある。そうだとするならば,ユダヤ人という言い方は正確ではなく,ユダヤ教徒と呼ぶべきであろう。これに対して,ひとたびユダヤ教徒を親として生まれたからには,たまたまその人がモーセの教えを捨てて他の信仰に帰依したとしても,やはりユダヤ人であることに変りはない,信仰のいかんにかかわりなくユダヤ人はつねにユダヤ人であり続ける,という考え方もある(ただしヨーロッパの諸語では,両者は同一の単語を用いて表されてきた)。…

※「ユダヤ教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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