ヤング(Thomas Young)(読み)やんぐ(英語表記)Thomas Young

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ヤング(Thomas Young)
やんぐ
Thomas Young
(1773―1829)

イギリスの医学者、物理学者、考古学者。目の解剖学的・生理学的研究をはじめ、光の干渉実験と光の波動説提唱、弾性力学におけるヤング率の導出、さらに古代エジプト文字の解読と多岐にわたる分野で研究を行った。

 1773年6月16日サマーセット県ミルバートンでクェーカー教徒の両親のもとに生まれた。14歳でラテン語、ギリシア語、イタリア語、フランス語、ヘブライ語、アラビア語などに通じ、17歳でニュートンの『プリンキピア』や『光学』、リンネの『植物学』、ラボアジエの『化学綱要』などを独学した。ハンターの主催する解剖学教室に1年間通ったのち、1793年ロンドンのセント・バーソロミュー病院の学生になった。ここで視力調節のための筋肉組織の存在を解剖によって確かめて処女論文を書き上げ、21歳で王立協会フェローに選出された。1795年エジンバラ、1796年ゲッティンゲン、1797年から2年間ケンブリッジで医学を学び、1800年ロンドンで医業を開業。その一方で1801年から1803年王立研究所教授、1804年から死ぬまで王立協会書記など、多くの学会、委員会の要職についた。

 目の解剖学的・生理学的研究から物理学、とくに光学研究に進み、1800年、光は「発光体によってエーテルに伝達された衝撃」であるとして光の波動説を展開した。ニュートンのようにあらゆる色の「光の粒子」に対応する網膜を想定することは不可能だとし、網膜は赤・青・緑の三原色に対応する神経要素からなることを明らかにした。また音の伝播(でんぱ)の類推から、光である波とそれを励起する媒質の運動を区別して「干渉の原理」を導き、薄膜やニュートン・リング(ニュートン環)などさまざまな色づき現象での色の周期性は光の波長の違いによって統一的に説明できるとして、1802年「物理光学に関する実験と計算」で実験的にこれを確かめた。ここで光を音波のような縦波と考えるなど限界はあったが、フレネルに先だって、当時明らかにされつつあった光と物質との相互作用を統一的に説明するうえで、「粒子説」に対して「波動説」の優位性を明らかにしたものであった。

 有名なヤングの干渉実験は、1801年から1803年にかけて行った王立研究所での講演をまとめた『自然哲学講義』(1807)に含まれている。またアーチ固有の構造に関する講演では、応力とゆがみの比は一定であるとしてヤング率を導いた。晩年はロゼッタ石の解読に専念し、死の直前古代エジプト文字の辞書編集を完成させた。

[高橋智子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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