メラー・ファン・デン・ブルック(読み)めらーふぁんでんぶるっく(英語表記)Arthur Moeller van den Bruck

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

メラー・ファン・デン・ブルック
めらーふぁんでんぶるっく
Arthur Moeller van den Bruck
(1876―1925)

ドイツの評論家。第二帝政を嫌悪し、一時フランス、イタリアに住んだが、ここでドイツ人意識を強くもつこととなった。1918年の十一月革命ののち、雑誌『良心』Das Gewissenを刊行し、「若き保守主義」グループの理論的指導者として、「東方の若い諸民族スラブ人)」「技術的に優れた北アメリカ人」「世界観的・文化的才能をもつドイツ人」に「老いた西欧」の克服、「土地(ラウム)と民族」の再編を期待した。その著書『第三帝国』(1923)において、マルクス主義自由主義を激しく批判し、ナショナリズム社会主義とを総合する「革命的保守主義」を唱え、青年層に大きな影響を与えた。この意味でナチズムへの道を開いたといえるが、彼にはナチズムの特質とされる人種論的観点はなかった。

[吉田輝夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

メラー・ファン・デン・ブルック
Möller van den Bruck, Arthur

[生]1876.4.23. ゾーリンゲン
[没]1925.5.30. ベルリン
ドイツの文芸評論家,思想家。「第三帝国」の命名者として知られる。青年時代にはパリのほかイタリアなどに長く滞在,F.ニーチェの影響の濃い文学論,造形美術論を多く発表する一方,最初のドイツ語版ドストエフスキー全集を監修した。第1次世界大戦中,軍の対外プロパガンダ機関に協力し,戦後共和制講和条約を激しく非難する政治評論に転じた。しかし帝制復活派とは一線を画し,青年保守主義派と称してその中心的イデオローグとなった。代表作に『第三帝国』 (1923,ベルリン) があるが,この表題はのちにナチスの利用するところとなった。精神に異常をきたして自殺した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

メラー・ファン・デン・ブルック
Arthur Moeller van den Bruck

1876~1925

ドイツの評論家。主著『第三帝国』(1923年)のなかで自由主義マルクス主義を厳しく批判し国家主義と社会主義との結合を主張,革命的な保守主義を唱えて青年層に大きな影響を与えた。

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