マイヨール(英語表記)Mayor, Michel

精選版 日本国語大辞典 「マイヨール」の意味・読み・例文・類語

マイヨール

(Aristide Maillol アリスティード━) フランス彫刻家ロダンブールデルと並ぶ近代彫刻の巨匠。柔和で豊満な女性表現にすぐれる。作「地中海」など。(一八六一‐一九四四

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デジタル大辞泉 「マイヨール」の意味・読み・例文・類語

マイヨール(Aristide Maillol)

[1861~1944]フランスの彫刻家。裸婦像の傑作を多く制作。作「地中海」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マイヨール」の意味・わかりやすい解説

マイヨール
Mayor, Michel

[生]1942.1.12. ローザンヌ
ミシェル・マイヨール。スイス天文学者。フルネーム Michel Gustave Mayor。ディディエ・ケローとともに太陽と似た恒星のまわりを公転する太陽系外惑星を発見し,2019年ケロー,ジェームズ・ピーブルズとともにノーベル物理学賞(→ノーベル賞)を受賞した。
1966年にローザンヌ大学で物理学の修士号,1971年にジュネーブ大学天文学の博士号を取得。その後もジュネーブ大学で研究を続け,1988年に同大学教授,1998年同大学付属ジュネーブ天文台台長,2007年名誉教授。
初期の研究では連星散開星団および球状星団天の川銀河の構造と進化などに重点をおいた。1994年,大学院生のケローとともに,フランスのオートプロバンス天文台で恒星の視線速度を正確に計測できる最新の分光器 ELODIEを用い,142個の恒星の観測を始めた。惑星が恒星を公転するとき,惑星と恒星は共通の重心を中心に回るため,重心に対する恒星の動きがスペクトル線の変化として観測できる。ELODIEは恒星が 13m/sの視線速度で動くことを検出し,これが太陽系最大の惑星である木星によって生じる太陽の視線速度の変化とほぼ同じであることがわかった。しかし,木星の公転周期は約 12年であるため,マイヨールらはすぐに惑星発見という結果が得られるとは予想しなかった。1994年9月にペガスス座51番星の観測を開始したマイヨールとケローは,1995年1月に質量が木星の約半分で公転周期が 4.23日の惑星ペガスス座51番星bを発見した。太陽系のどの惑星とも似ていないペガスス座51番星bの存在は天文学者を驚かせ,太陽系外惑星の研究という天文学の新たな分野を切り開いた。ペガスス座51番星bの発見から 20年以上の間に発見された太陽系外惑星は数千個に上る。
マイヨールらはさらに研究を進め,1998年以降チリのラ・シジャ天文台にある分光器 CORALIEを用いて恒星から近距離にある惑星 1647個を探しあて,そのうち100個以上を太陽系外惑星の候補とした。また,30cm/sの視線速度の変化を観測できるラ・シジャの分光器を利用した高精度視線速度測定惑星探査装置 HARPSプロジェクトでは主任研究者を務め,2003年の観測開始以降,100個以上の太陽系外惑星候補を発見,そのなかには質量が地球より大きい岩石惑星「スーパーアース」も数個含まれている。

マイヨール
Maillol, Aristide

[生]1861.12.8. バニュルスシュルメール
[没]1944.9.27. バニュルスシュルメール近郊
フランスの彫刻家。初め画家を志し,1882年パリに出てエコール・デ・ボザールを受験したが落第,1886年まで聴講生として絵を学んだ。タペストリーに興味をもち,1893年故郷に小さい織物工場を開いたが,視力を害して断念し彫刻に専念。 1894年ゴーガンと出会って勇気づけられ,1900年頃にはナビ派のグループと交わり作品を発表。青銅や大理石の作品も制作し,1905年に坐像の裸婦『地中海』 (1902~05,ニューヨーク近代美術館) で彫刻家としての評価を確立。 1909年にギリシアを旅行し,帰国後は女性裸像をモチーフとした純粋造形の世界を追究。交通事故で死亡。主要作品『欲望』 (1905~07,ニューヨーク近代美術館) ,『イル・ド・フランス』 (1921~25) など。

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百科事典マイペディア 「マイヨール」の意味・わかりやすい解説

マイヨール

素潜(すもぐ)りのスペシャリストとして知られるフランスの海洋生物学者。水深100mを突破した最初の人。彼の創意・工夫による特別なトレーニングによって自らの身体を素潜り用に加工し,成功。彼が実証するまでは,呼吸を2分以上停止すること,および水深30mを超して潜水することはきわめて危険である,というのが学会の定説であった。彼はイルカと一緒に泳ぎたい一心で,自らの身体をイルカに近づけるべく努力する。そのための主たる方法が,いわゆる瞑想(めいそう)系身体技法と呼ばれるもので,座禅やヨーガなどの瞑想に取り組む。その結果,彼の身体は瞑想時には安静時のエネルギー代謝率(基礎代謝率)よりも低い値を示すようになる。例えば,彼が瞑想に入って数分後には呼吸数も脈拍数も血圧も,すべて彼の安静時の値よりも低くなってしまう。このようにして,消費エネルギーを意のままに減少させることができるようになって初めて,2分以上の呼吸停止と水深30mの突破に成功する。これを突破口にして,彼はさらに身体を加工していく。 1976年,50歳の時に,イタリアのエルバ島沖で水深100mの素潜りに成功する。呼吸停止時間は3分40秒。56歳で105mに成功。その超人ぶりは世界を驚かせた。さらに彼は,瞑想を繰り返すことによって深い禅定(ぜんじょう)に入ることができるようになると,それに比例してイルカに接近することも可能となることを実証する。今日では,イルカのこころ,イルカの直感力で海中を観察することによる,新しい〈知〉の地平の拡大に取り組んでいる。彼のこうした実験は,人体に秘められた無限の潜在能力の存在を予感させるに十分である。映画《グラン・ブルー》(1988年)や著書《イルカと,海へ還る日》(1983年)をとおして,マイヨールの到達した時空は世界的に知られるところとなった。

マイヨール

フランスの彫刻家。地中海に面するバニュルス・シュル・メール生れ。初め画家を志し,アンデパンダン展に第1回から出品。1894年ゴーギャンを知り,ナビ派と交わる。このころからタピスリーを試み,陶器,彫刻も始める。40歳で彫刻に専心。女性の肉体を豊かな量感のうちに表現し,地中海を思わせる静かな調和をもつ作品を発表し,ロダン以降の20世紀彫刻を代表する一人となった。代表作に《地中海》(1902年―1905年),《イル・ド・フランス》(1920年―1925年)などがある。ウェルギリウス農耕詩》などの挿絵(1925年)も手がけた。
→関連項目コルベ彫刻の森美術館メシュトロビチレーンブルック

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改訂新版 世界大百科事典 「マイヨール」の意味・わかりやすい解説

マイヨール
Aristide Maillol
生没年:1861-1944

フランスの彫刻家,画家。スペインとの国境に近い地中海の漁港バニュル・シュル・メールBanyuls-sur-Merに生まれる。奨学金を得てパリに出,エコール・デ・ボザール(国立美術学校)でジェロームとカバネルに師事するが,むしろ印象主義,あるいは1894年に友人を介して知りあったゴーギャンたちの影響を受け,ナビ派風の装飾的構図で油彩,タピスリー下絵を描く。しかし,1893年彼自身が故郷に創設したタピスリー工場での作業で視力を弱くし,98年ころより独学で彫刻を始める。すでに1902-05年には代表作の一つ《地中海》を制作。その他《イル・ド・フランス》(1920-25)など,主として裸婦を古典的な明るい感性で扱い,豊かな量感,柔軟で明確なフォルムを生み出し,ロダン以後の20世紀彫刻の最初の指標となった。バニュル・シュル・メールとパリ西郊マルリ・ル・ロアMarlys-le-Roiで制作。またウェルギリウス《農耕詩》などの挿絵(1925)も残す。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マイヨール」の解説

マイヨール
Aristide Maillol

1861~1944

フランスの彫刻家。ゴーガンの影響を受け,古代ギリシアの古拙味と現代との総合を図ったフランス彫刻界の巨匠。簡素で充実したフォルムと力強いマッスが特徴といわれる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「マイヨール」の解説

マイヨール
Aristide Maillol

1861〜1944
フランスの彫刻家
古典的な清明さに満ち,しかもみずみずしい作品を残した。

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