ポートサイド(英語表記)Port Said

翻訳|Port Said

デジタル大辞泉 「ポートサイド」の意味・読み・例文・類語

ポート‐サイド(Port Said)

エジプト北東部の港湾都市スエズ運河北端地中海側に位置する。米・綿花・塩の積み出し港。非関税地域としても知られる。1859年に運河とともに建設された。名称ムハンマドアリー朝のエジプト太守サイード=パシャに由来する。ポートサイード。

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精選版 日本国語大辞典 「ポートサイド」の意味・読み・例文・類語

ポート‐サイド

(Port Said) エジプト‐アラブ共和国の地中海岸、スエズ運河の北側入口にある港湾都市。一八五九年スエズ運河開削の時に建設された。米・綿花・塩の積出港。また、石炭石油の大貯蔵港で、造船所もある。アラビア語名ブールサイード

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改訂新版 世界大百科事典 「ポートサイド」の意味・わかりやすい解説

ポート・サイド
Port Said

エジプト北東部,スエズ運河の地中海側の入口にある都市。人口47万(1996)。アラビア語ではブール・サイードBūr Sa`īd。マンザラ湖という塩湖と地中海の間の狭い砂地に,1859年スエズ運河工事に伴い建設された。その名は工事開始当時のエジプト総督(ワーリー)であったサイード・パシャにちなんで名づけられた。それ以前は人口約4000の村にすぎなかったが,69年に運河が開通すると人口が急増した。1925年ポート・サイドが手狭になったので技師たちの住宅用地として対岸にポート・フアードが建設された。二つの町は区画整理された美しい町並みが残る近代都市で,当時はこの地に本社のあった万国スエズ運河会社が管理していた。運河の入口には運河会社の創設者レセップスの像が建てられていたが,その後撤去された。56年運河の国有化が宣言され,その所有をめぐってスエズ戦争(第2次中東戦争)が勃発し,町はイギリス,フランス両軍の攻撃を受けて破壊された。67年には第3次中東戦争が起こり運河は閉鎖されたが77年に再開され,サーダート大統領が出席して祝典が華々しく挙行された。ここはフリーゾーンで免税地帯であるため物価が安く,かつてエジプト人の買物客でにぎわった。しかし結局町を出てエジプトに入国するとき課税されるので,一時ほどはやらなくなった。東西二つの埠頭から成る外港船舶往来が頻繁で,現在では石炭や石油の巨大な貯蔵庫やドックなどがある近代的な工業都市として発展を続けている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポートサイド」の意味・わかりやすい解説

ポートサイド
Port Said

アラビア語ではブールサイード Būr Sa`īd。エジプト北東部,スエズ運河北端にある港湾都市。ブールサイード県の県都。 1859年,スエズ運河建設開始にあたり,人口の島につくられた町で,当時のエジプト王サイード・パシャにちなんで名づけられた。 19世紀には世界最大の石炭補給港,次いで石油補給港として発展。 1904年カイロからの鉄道が完成。港外の停泊地は全長約 6.4km,2本の防波堤,高さ 53mの灯台がある。付近で漁業,製塩が行われる。町は 56年スエズ動乱で英・仏軍によって破壊され,復旧したが,67年6月の中東戦争で再び戦火を受けた。その結果,75年までスエズ運河は閉鎖されて衰退したが,運河再開後に復興。衣料,ガラス,陶器,タイヤ,電子,印刷などの工業が発達。人口 46万 1000 (1990推計) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ポートサイド」の解説

ポートサイド
Port Said

エジプト・アラブ共和国の都市。スエズ運河の地中海側出入口の港。1859年運河着工に先だって建設され,運河建設の許可を与えたサイード・パシャを記念して命名された。

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