精選版 日本国語大辞典 「ポリス」の意味・読み・例文・類語
ポリス
ポリス
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翻訳|polis
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古代ギリシア語で一般に都市や都市国家(非ギリシア人のものも含めて)を指す。歴史学の用語としては,前8世紀ころに成立し,前5世紀を頂点として繁栄したギリシア人の特有な都市国家を意味する。青銅器時代にはギリシア各地に王国が割拠していたが,前11世紀ころ,鉄器時代に入るとともにそれらは崩壊し,王家が存在した場合でも弱体化して,貴族政が支配的になる。この頃,貴族が中心となり,一般自由民の潜在的主権を背景として,小規模な国家が各地に形成されたらしい。これがポリスであり,外形的には中心に町があり,それを囲んで領土があるが,最も広い場合でも日本の県ほどの広さであった。町の中心にはアクロポリスやアゴラがあり,行政,経済,宗教の中心ともなっていた。町の周囲には城壁が築かれることが多く,戦時には町の外の農民なども,ここへ避難する。最初は行政,司法,祭儀などを貴族が担当したが,前6世紀ころ,商工業の活発化に伴い党派抗争が発生し,非合法の独裁政(僭主政)が成立することもあった。その間に一般自由民が市民として発言権を高め,前5世紀には,貴族と抗争を続けたり,完全な民主政へと進んだりする。以前は貴族や有産階級に限られていた重要な役職も,しだいに一般市民にまで開放され,民会(市民総会)の権限が強化されたので,有能な指導者を欠く場合には衆愚政治に堕する危険があった。
このように,しだいに民主化される傾向はあったが,参政権はあくまで世襲的な市民の成年男子に限られ,メトイコイ(在留外人。多くは商工業に従事する)や奴隷は除外されていた。したがって市民の地位は特権的なものであり,また直接民主政という必須の条件があったから,市民数には限度があった。最も多いアテナイの場合でも,成年男子市民は3万~4万人程度であり,理論的には数千人程度が理想と考えられた。
古代ギリシアの盛時には,このようなポリスがギリシア本土やエーゲ海地域ばかりでなく,植民活動の結果として,黒海沿岸やイタリア南部,シチリア島,フランスやスペインの南岸などにも分布していた。その数は数百から千数百にも及んだはずであるが,地理的条件や歴史的条件に制約されて,規模や形態や社会構成は多様であった。独立自治を原則としたが,実際には多少とも従属的な地位に落ちていたものも多い。したがってポリスの数を数えることは不可能なことである。その歴史や機構が詳細に知られるのは,アテナイとスパルタという例外的に大きいポリスだけに限られ,しかも両者は多くの点で対照的に異なっていたのである。ポリス相互間には多少の抗争は絶えず発生していたが,前5世紀後半ころから,これが大規模化し,長期化する。さらにポリス内部にも貴族派と民主派との抗争があった。このようにして分裂しているうちに,北方のマケドニアに征服され,ヘレニズム時代に入るが,ギリシア世界の多くのポリスは依然として多少の独立を保っていて,自治的活動は続けた。
→都市国家
執筆者:藤縄 謙三
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古代ギリシア人の都市国家。polisの語は本来外敵に対し防御,避難に適する丘を意味した。ギリシア人の都市国家はこのような丘を持つ中心市(アステュ〈asty〉)を軸に形成されたので,周囲の領土を含め国家全体がポリスと呼ばれた。古代社会のなかでポリスに似たものとしては共和政初期のローマがあげられるのみで,都市国家と呼ばれるもののなかでもポリスは独特の性格を持っている。それは前750年頃から成立し始め,法制的には長期にわたって完成された。ポリスは内部の社会構成によってスパルタ型とアテネ型の二つに分けることができる。前者はスパルタとかクレタ島にできた多数のポリスのように,ドーリア人が先住民を征服し,これを奴隷身分におとしいれて形成した国家であり,少数の市民は征服後,割り当てられた世襲地(クレーロス〈kleros〉)を奴隷身分の世襲的農民に耕作させた。この型のポリスでは市民の戦士共同体的性格が特に強かった。一方アテネ型では,征服・被征服に由来する社会階級の対立はみられず,初期には,広義の市民と呼ぶべき共同体成員の間に,貴族と平民の身分的な差異が顕著で,政権は貴族が独占した。しかし重装歩兵戦術の普及とともに中小農民の政治的地位が向上し,さらに前5世紀以降,軍艦漕者としての無産市民の発言権の増大により民主政ポリスの段階に到達した。その頃には,初期には少なかった購入奴隷が家内奴隷として,また工業生産のために多く使われ,市民と在留外人(メトイコイ)の身分的差別も確立した。アテネの例でみると,市民共同体としてのポリスの排他性はソロンの頃にはまだゆるく,民会が前451年に,両親ともアテネ人たる者のみをアテネ市民とする,と決議したとき,排他性が極まって,ポリスは法制的に完成した。
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…このうちビザンティン文化はギリシア正教を精神的支柱として今日まで民衆の生活の中に脈打っている。古代文化は,ギリシア語とギリシア文字としてギリシア人の歴史全体を貫いているが,ポリス政治の中で発達した直接民主政や多神教の宗教思想のような古代に特徴的な生活規範は今日ではまったく消え去っているといってよかろう。もとより古典演劇は今日でも現代風演出のもとで古代劇場において催されているし,古典古代文化の研究は,文学,哲学から歴史学,考古学,碑文学,さらには音楽の復元に至るまで盛んに行われているが,民衆の生活意識の中に古代が生きているといったようなものではない。…
…この意味での公共,すなわち公的領域は,私的領域に対立して人間生活の一半を構成する。それが典型的に成立したのは,ギリシアのポリスにおいてであった。H.アレントによれば,公的なものとは,万人によって見られ,聞かれ,かつ評価される存在を意味する。…
…バビロニアやアッシリアにおいて高度に発達した商業は,強力な国家の支配する管理貿易や朝貢貿易の形をとっていたが,そのなかから芽生えた市場交易は東地中海において発達した。ギリシアのポリスは,ほとんどすべて海岸やそれに近接した地域に建設されたことからわかるように,遠隔地貿易と密接な関係があった。前7世紀ごろに金属貨幣が発達したのもこの地域であった。…
…ギリシア語ではアポイキアapoikia,ラテン語ではコロニアcoloniaという。西洋の古代文明は主として都市の文明であったが,とりわけギリシアではポリスと呼ばれる多数の都市国家を基盤として文明が盛衰した。ポリスは前8世紀ころにギリシア本土や小アジア西岸で成立するが,そのうち特に活発なポリスは以後200年間に多くの植民市を建設する。…
…古い大都市周辺部の衛星都市がそれぞれ膨張して,市街地が連接するようになったことである。第3には,巨大都市といくつかの大都市がその都市圏を連接し,一つの共通都市圏を形成するにいたったメガロポリス(巨帯都市)の誕生である。アメリカ合衆国北東部のボストンからニューヨークを経てフィラデルフィアに至る地帯に名づけられた名称であるが,ライン・ルール,ロンドン・バーミンガム,シカゴ・シンシナティ,ロサンゼルス,東京・大阪などもメガロポリスの性格をもっているといわれるようになった。…
※「ポリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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