ボルテール(年譜)
ぼるてーるねんぷ
1694 2月21日、パリに生まれる
1704~1711 イエズス会系の名門校ルイ・ル・グランに学び、優秀な成績を収める
1717 5月16日、筆禍でバスチーユに投獄される
1718 4月14日釈放。悲劇『エディプ』
1726 4月17日、シュバリエ・ド・ロアンシャボとのいさかいのため再度バスチーユに投獄される。5月、イギリスに渡り、2年7か月滞在。この間スウィフト、ポープらと交遊
1731 『カルル12世』
1734 4月『哲学書簡(イギリス書簡)』。5月3日焚書、著者に封印状が出、愛人デュ・シャトレ夫人とシレーへ逃亡。約10年間滞在(~1744)
1736 9~10月『この世の人』をめぐるスキャンダル
1738 『人間論』『ニュートン哲学入門』
1740 9月11日、フリードリヒ2世に謁見
1745 3月27日、フランス修史官に任命される
1746 4月25日、アカデミー・フランセーズ会員となる
1749 9月10日、デュ・シャトレ夫人死去
1750 6月25日、プロシアへ出発
1751 3月『ルイ14世の世紀』
1753 3月26日、フリードリヒ2世との不和とモーペルチュイとの反目からポツダムを去る
1755 3月、ジュネーブのサン・ジャンに居を構え、栖(すみか)を悦楽荘(レ・デリス)と命名。12月、リスボンの大地震(11月1日)をめぐり、『リスボンの災厄に関する詩』を発表。それについてJ・J・ルソーと激しく論戦
1756 『百科全書』の項目「ジュネーブ」執筆のためダランベールが悦楽荘に滞在
1759 1月『カンディード』
1760 スイスの国境に近いフェルネーに移住
1762 8月、カラス事件を機に『寛容論』を執筆
1764 5月、哲学コント『ジャノとコラン』
1767 9月、哲学コント『自然児』
1773 2~3月、有痛性排尿困難症に苦しむ
1778 2月5日、フェルネーを去り、パリに向かう。3月16日、コメディ・フランセーズで自作の戯曲『イレーヌ』の初演。5月30日、長旅の疲労も加わりパリで永眠。享年84歳
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例