ベルク

精選版 日本国語大辞典 「ベルク」の意味・読み・例文・類語

ベルク

(Alban Berg アルバン━) オーストリアの作曲家。シェーンベルクウェーベルンと並ぶ無調主義の代表者。一九二〇年オペラの「ボツェック」を完成。(一八八五‐一九三五

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デジタル大辞泉 「ベルク」の意味・読み・例文・類語

ベルク(Alban Berg)

[1885~1935]オーストリアの作曲家。シェーンベルクウェーベルンと並ぶ十二音音楽の代表者で、叙情的な音楽を残した。作品にオペラ「ボツェック」、弦楽四重奏曲叙情組曲」など。

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百科事典マイペディア 「ベルク」の意味・わかりやすい解説

ベルク

オーストリアの作曲家。ウィーンの裕福な商人の家に生まれ,音楽と文学に早くから関心を深める。初め作曲を独学したが1904年からシェーンベルクに師事し,その門下のウェーベルン,E.ウェレス〔1885-1974〕らと交流。《ピアノ・ソナタ》(1907年−1908年)など後期ロマン派色の濃い作品を経て1910年代から無調(無調音楽)に移行し,《弦楽四重奏曲》(1910年),《アルテンベルク歌曲集》(1912年),《3つの管弦楽曲》(1914年−1915年)などが書かれた。ビュヒナーの戯曲によるオペラ《ウォツェック》(1914年−1922年,1925年初演)はその集大成となり,名指揮者エーリヒ・クライバー(C.クライバー参照)による初演は作曲者の名を一挙に高めた。続くピアノ,バイオリンと13管楽器のための《室内協奏曲》(1923年−1925年)で12音技法(十二音音楽)を導入し,弦楽四重奏のための《抒情組曲》(1925年−1926年),ウェーデキントの戯曲による未完のオペラ《ルル》などを作曲。《バイオリン協奏曲》(1935年)は,マーラー未亡人アルマ〔1879-1964〕とその再婚相手,建築家グロピウスとの間の娘マノンの夭逝(ようせい)を悼んで書かれた鎮魂歌で,完成の数ヵ月後,ベルクもまた40歳で他界した。寡作ながら作品はいずれも20世紀音楽の各ジャンル屈指の傑作として知られ,終生ロマン的な抒情性を保ち続けたその音楽は今日に至るまで多面的な影響を広げている。また《ウォツェック》と《ルル》(作曲家F.ツェルハ〔1926-〕による補筆完成版は1979年初演)はシェーンベルクの作品とともに,音楽における表現主義の典型ともいわれる。→シェルヘンダラピッコラツィンマーマン
→関連項目アドルノアバドクルシェネクシュミットノーマンハルトマンビブラフォンブラウエ・ライターベーム

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改訂新版 世界大百科事典 「ベルク」の意味・わかりやすい解説

ベルク
Alban Berg
生没年:1885-1935

オーストリアの作曲家。音楽を愛好する家庭に育ち,少年期より独学で作曲を試みた。文学にも強い関心をもっていた。1900-02年に数十曲の歌曲を書いたが,これらの数曲を兄が04年秋にシェーンベルクに見せたことが契機となり,ベルクはその門下に加わった。シェーンベルクの指導のもとで音楽的にも人間的にも急成長し,音楽理論と実習課題を集中的に消化した。早くも05年夏には師のもとでの最初の作品,歌曲《部屋で》(《七つの初期の歌曲》第5番)を作曲している。07年に行われたシェーンベルク門下(ウェーベルンら8人)による作品発表の夕べが,作曲家としての正式デビューとなった。

 10年に《四つの歌曲》作品2と《弦楽四重奏曲》作品3を作曲してシェーンベルクのもとでの学習を終えている。これまでが創作の第1期に当たり,作品2の第4曲で示された無調への移行が,続く第2期(1910-22)で一連の無調作品として実を結んでいる。とくにオペラ《ウォツェック》(1922)では無調による種々の技法が集大成されている。第3期(1923-35)は新しい技法への過渡期を経て,歌曲《私の両眼を優しい両手で閉じてください》(第2稿,1925)と弦楽四重奏のための《抒情組曲》(1926)で本格的な十二音技法を採用した作風に至っている。師やウェーベルンと異なる独自の十二音技法(セリー)が,死によって未完に終わったオペラ《ルル》においてさらに追求されている。他の代表作に死の直前に書き上げられた《バイオリン協奏曲》(1935)がある。

 20世紀オペラの傑作である《ウォツェック》と《ルル》(F. ツェルハ補完)は語法的にはそれぞれが無調時代と十二音技法時代に属するものであるが,両作品とも各幕が古典的な器楽形式を採用している点で共通しており,そこにシェーンベルクやウェーベルンとは異なるベルクの古典志向をうかがうことができる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベルク」の意味・わかりやすい解説

ベルク
べるく
Alban Berg
(1885―1935)

オーストリアの作曲家。ウィーンの富裕な商人の家庭で、芸術的な環境のなかに育ち、15歳ごろより独学で作曲を試みる。1904年シェーンベルクに出会い、この時期、表現主義的な無調音楽を作曲していた彼に、6年間師事する。同時期の弟子にウェーベルンがいる。08年ピアノ・ソナタ(作品1)を完成。続いて『四つの歌曲』(作品2、1909~10)、弦楽四重奏曲(作品3、1910)を発表。11年結婚、『三つの管弦楽曲』(1914~15)ほか、本格的な創作を開始する。そして25年、第一次世界大戦中に書き始められたG・ビュヒナーの戯曲によるオペラ『ウォツェック』を初演。大きな議論をよぶ。その後、持病の気管支喘息(ぜんそく)にあえぎながら、弦楽四重奏のための『叙情組曲』(1925~26)、未完のオペラ『ルル』(ウェーデキント台本、1979年ツェルハによる補作版初演)などを書く。35年12月24日、敗血症のため死亡。作風は、新ウィーン楽派(シェーンベルク、ウェーベルン)のなかではもっともロマン主義的で叙情に富んでおり、同楽派のウェーベルンと好対照をなしている。ベルクは古典的形式のなかで、無調、十二音技法を用いることに専念した。

[細川周平]

『T・W・アドルノ著、平野嘉彦訳『アルバン・ベルク』(1983・法政大学出版局)』『W・ライヒ著、武田明倫訳『アルバン・ベルク』(1980・音楽之友社)』『レイボビッツ著、入野義郎訳『シェーンベルクとその楽派』(1965・音楽之友社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベルク」の意味・わかりやすい解説

ベルク
Berg, Alban

[生]1885.2.9. ウィーン
[没]1935.12.24. ウィーン
オーストリアの作曲家。少年時代から独学で作曲したが,1904年に A.シェーンベルクに師事。同門の A.ウェーベルンらとともに革命的な「第2次ウィーン学派」の一人として無調音楽,12音音楽の発展に貢献。主作品は G.ビュヒナーの未完の戯曲に基づくオペラ『ウォツェック』 (1925) ,『抒情組曲』 (26) ,『室内協奏曲』『弦楽四重奏曲』,マーラー未亡人アルマと建築家グロピウスの愛児のレクイエムとして書かれた『バイオリン協奏曲』 (35) ,未完のオペラ『ルル』 (37) 。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「ベルク」の解説

ベルク

正式社名「株式会社ベルク」。英文社名「Belc CO., LTD.」。小売業。昭和34年(1959)「株式会社主婦の店秩父店」設立。同58年(1983)「株式会社主婦の店ベルク」に改称。平成4年(1992)現在の社名に変更。本社は埼玉県大里郡寄居町用土。スーパーマーケット。埼玉県中心に関東圏で店舗展開。イオンと資本・業務提携東京証券取引所第1部上場。証券コード9974。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ベルク」の解説

ベルク

ヴィーンの作曲家。音楽を愛好する家庭で育ち、独学で歌曲を作り始める。1904年にシェーンベルクに弟子入りし、ヴェーベルンも交えて第二ヴィーン楽派の中核となった。
作風は大きく3つの段階に分けられる。 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

デジタル大辞泉プラス 「ベルク」の解説

ベルク

株式会社ベルクが展開するスーパーマーケットのチェーン。主な出店地域は関東地方

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世界大百科事典(旧版)内のベルクの言及

【ウィーン楽派】より

… 一方,20世紀のウィーン楽派は〈第2ウィーン楽派〉あるいは〈ウィーン無調楽派〉とも呼ばれる。これはシェーンベルクを中心に,彼に師事したベルク,ウェーベルンらによって構成される。表現主義的な語法と明確な理論的主張を特徴とするが,とりわけ無調音楽の書法(1907ころ以降)と音列技法および十二音技法(1920ころ以降)の理論は,後の西洋音楽に大きな影響を与えた。…

【ウォツェック】より

…G.ビュヒナー原作,A.ベルク作曲による20世紀オペラの傑作の一つ。ベルクは1914年にビュヒナーのドラマ《ウォイツェックWoyzeck》の上演に接し,ビュヒナーの原作をもとにみずから台本を作成して作曲を開始し,ベルクの最初のオペラ作品として,1925年12月14日にベルリン国立歌劇場で初演された。…

【十二音音楽】より

…音階中の諸音を,主音や主和音の支配の下にまとまりを形づくるものと考える従来の調性による音楽に対して,十二音技法は新しい音楽表現の追求から,平均律の12種の音を均等に用いた作法。十二音技法にはハウアーJoseph Matthias Hauer(1883‐1959)とシェーンベルクの方法があるが,今日通常はシェーンベルクのものを指す。ハウアーは《音楽的なるものの本質についてVon Wesen des Musikalischen》(1920)によって,シェーンベルクより早くこの技法を提唱したが,広まることなく終わった。…

【バイオリン】より

…J.S.バッハ以来とだえていたポリフォニックな書法を要求する無伴奏ソナタが,イザイエやバルトーク,ヒンデミットの手によって自由な新しい表現の場として復活する一方,従来のソナタや協奏曲では,印象派の語法と古典主義との融合を示すドビュッシー晩年のソナタ(1917)以来,バイオリンの演奏技術を作曲家独自の書法に従わせる傾向が強まった。20世紀の代表的なバイオリン協奏曲としては,十二音技法に基づきながらもバイオリンの調性的色彩を生かすことに成功したA.ベルクの協奏曲(1935)や抒情性と多彩なリズムを結びつけたS.S.プロコフィエフの二つの協奏曲(1917,35),さまざまな語法実験をみごとに統一させたバルトークの《協奏曲第2番》(1938)などを挙げることができる。
[日本のバイオリン]
 日本にバイオリンが導入されたのは明治時代にさかのぼる。…

【表現主義】より

…原初的表現への志向は,バイエルンの農民ガラス絵に触発された〈ブラウエ・ライター〉派にもみられるが,彼らはそこにひそむ精神的なものを表現手段(点,線,面,色彩)の自律的な構成にふりむけ,抽象への道をたどった。それはウィーンにおける無調音楽への営みと結びつき,彼らはシェーンベルクらの協力を得て《ブラウエ・ライター》誌を刊行している。また新生を求めるシェーンベルクの悲劇的パトスは,クリムトの影響を脱したウィーンの若い表現主義の画家,つまりココシュカの幻視的人物像やシーレの死を秘めた自画像などにも暗示的な姿で現れている。…

【無調音楽】より

…広義には中心音をもたない音楽のことで,シェーンベルク,ウェーベルン,ベルクらの1908‐10年ころの作品から十二音技法による諸作品,同時期以降のスクリャービンのいくつかの作品,またその後今日に至るまでの,特定の中心音をもたない音楽全般を指す。その意味では,シェーンベルクの十二音技法は無調音楽の理論的組織化といえる。…

【ルル】より

ベルクの晩年のオペラで,《ウォツェック》とともに20世紀最大のオペラの傑作と評価されている。ベルクは1929年にウェーデキントの戯曲《地霊》と《パンドラの箱》をもとに台本を作ってオペラの作曲にとりかかり,まず34年に《ルル交響曲》という形でまとめて師シェーンベルクの60歳の誕生日に彼にささげた。…

【ワイマール文化】より


[音楽]
 ワイマール文化のモダニズム的革新性と虚妄性の逆説的結合は,音楽の領域においても顕著だった。ベルリン音楽院作曲科の教授として,F.ブゾーニに続いてシェーンベルクが招かれたことは,執拗に反対した保守派に対するアバンギャルドのコスモポリタニズムの一時的勝利ではあったが,ベルクの《ウォツェック》を除けば,〈無調性〉の音楽は結局一般の支持を受けることはできなかった。ブレヒトの《三文オペラ》のためにクルト・ワイルが作曲したソングは圧倒的な成功を収めたが,この消費音楽の音素材はまことに陳腐なものだった。…

※「ベルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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