ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz)(読み)へるつ(英語表記)Heinrich Rudolf Hertz

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz)
へるつ
Heinrich Rudolf Hertz
(1857―1894)

ドイツ物理学者。ハンブルク生まれ。1876年ドレスデン工科大学に短期間学んで、1876年兵役につき、工学よりも理論的科学を学びたいと考えて1877年ミュンヘン大学に入学、物理学を理論と実験両面から学んだ。1878年ベルリン大学に移り、ヘルムホルツ師事、ベルリン大学哲学部が提示した電気の慣性についての懸賞論文に取り組み、1879年賞を得た。1880年、回転する導体中での電磁誘導に関する理論的研究学位を取得、同年ヘルムホルツの有給助手、1883年キール大学私講師となる。キール大学では実験設備がなかったため理論的研究に力を注ぎ、1884年、マクスウェル理論がウェーバーノイマンの理論より優れていることを論じた論文を発表した。

 実験設備を求めて1885年カールスルーエ工科大学に移り、物理学教授となる。そこでベルリン科学アカデミーが提示していた懸賞問題、すなわち誘電分極の時間的変化(変位電流)が通常の電流と同じ電磁作用をもつというマクスウェル理論の中心仮定を実験的に確かめるという研究に取り組むことを通して、1888年電磁波の存在を実験的に確立し(ヘルツの実験)、マクスウェル理論の正しさを示し、その受容に貢献した。1889年ボン大学に移ってからは、マクスウェルの理論から遠隔作用論残滓(ざんし)を除いて、それを一貫した体系に定式化することに努めた。また1891年からは、力学の新しい体系化に向けての理論的研究を行った。それは、すべての物理学理論が力学理論に包摂されるという、力学的自然観が背景にあってのことであった。

 また電磁波の発見に至る実験的研究の過程で、一次回路の放電の火花(紫外光)を二次回路に当てると二次回路に誘導される火花放電が強くなることを発見し、1887年に発表した。これは光電効果を検出していたことになるのだが、マクスウェル理論の仮定を確かめるという研究本来の目的からそれるため、それ以上探究しなかった。また1883年には陰極線について実験的研究を行い、陰極線は電荷の流れであるという当時の通説とは逆に、エーテル中の波動であると主張した。1891年にはさらに、光が透明な物体を通過するように、陰極線が金属の薄膜を通過する場合もあることを示して、陰極線波動説をさらに強固にした。この説は誤っていたが、学界の大御所ヘルムホルツが支持したこともあって、ドイツを中心に広く受け入れられた。

[杉山滋郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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