ブリタニア(英語表記)Britannia

翻訳|Britannia

精選版 日本国語大辞典 「ブリタニア」の意味・読み・例文・類語

ブリタニア

(Britannia)
[一] 古代ローマ時代に、イギリス大ブリテン島、特にローマの州が置かれた南部地方をさして用いられた呼称。
[二] 大ブリテン島または大英帝国雅称

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「ブリタニア」の意味・読み・例文・類語

ブリタニア(Britannia)

古代ローマ時代のイギリスのグレートブリテン島、特に、ローマ領土となっていたその南部地域の呼称。
グレートブリテン島大英帝国の美称。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ブリタニア」の意味・わかりやすい解説

ブリタニア
Britannia

今日のイギリス本国,グレート・ブリテン島のローマ時代における呼称。この島の南東部にヨーロッパ大陸から移り住んでいたケルト人の一派のブリトン人(ラテン語でブリタンニBritanni)に由来し,〈ブリトン人の国〉を意味する。この島とローマとの関係は,前1世紀中ごろガリア征服を進めていたカエサルが,ガリアのケルト人を支援していたブリトン人を討つべく,前55年と前54年の2度にわたってこの島の南東部に侵入したときに始まる。カエサルは島の占領までは意図せず引き揚げたが,これは約1世紀後に始まるローマのブリタニア支配の前提となった。後43年クラウディウス帝はこの島の恒久的征服に乗り出した。ローマはカラタクスイケニ族の女王ボアディケアなどの抵抗にあったが,ドミティアヌス帝時代の総督G.J.アグリコラのもとで北部を除く島の大半を領有するにいたり,さらに北方のカレドニア(今日のスコットランド)にまで作戦を展開した。しかし兵力の削減により,タイン河口とソルウェー湾を結ぶ線へ後退を強いられ,そこに120kmに及ぶ長大な石造の〈ハドリアヌスの防壁〉が築かれた。その後ローマは一時北進に成功したが,ローマの支配はだいたいにおいて〈ハドリアヌスの防壁〉以南の地に限られていた。

 ローマの支配により,ロンディニウム(今日のロンドン)など各地にローマ風の都市が造られ,貨幣や道路網により商業も発展した。しかしローマ化は都市部に限られ,田舎の住民は依然,牧畜と農耕による自給自足の生活を続けていた。ローマの支配はケルト人の社会を根底から変革するものではなく,ブリトン人の部族国家は,ローマにより征服された後も,半独立的地位と部族制を保った。5世紀初め,西ローマ皇帝ホノリウスがブリタニアより軍隊を撤退してこの島を放棄したあとには,ローマ文化の痕跡はほとんど残らなかった。
イギリス
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブリタニア」の意味・わかりやすい解説

ブリタニア
ぶりたにあ
Britannia

イギリスの古称。とくに古代ローマの州があったグレート・ブリテン島南部のローマ(ラテン語)名。「ブリトン人の国」の意味で、当時グレート・ブリテン島南部に住んでいたブリトン人に由来する。旧石器時代より狩猟の跡がみられるが、早くから北西ヨーロッパのケルト人が優れた青銅器文明をもたらし、紀元前4世紀にはラ・テーヌ文化の影響下に鉄器文明が発展した。前75年ベルガエ人がブリテン島南部に来てベルガエ人の王国を建設、前55~前54年ガリア遠征中のカエサルの攻撃を招いた。紀元後43年ローマ皇帝クラウディウス1世の遠征で、ブリタニアはローマの支配下に入る。79年ごろアグリコラ将軍の下で北辺が鎮定され支配が安定した。122年皇帝ハドリアヌスが渡来して長城を建設し、国境とした。続いてその北にアントニヌスの長城が設けられたが、これは短命であった。ブリタニアはローマの皇帝領として経営され、各地でローマ的都市の建設も進み、それらを結ぶ道路も整備され、農村でもローマの制度を取り入れた私有大領地経営が進められた。穀物、毛織物のほか、鉱産資源も豊かであった。ローマ以前にはケルト人の宗教ドルイド教が行われていたが、それ以後はローマの主神ユピテル(ジュピター)信仰やキリスト教も入り、4世紀には3人の司教がいた。4、5世紀からスコット人、アングロ・サクソン人の侵入が激化してローマが撤退したのち、各地にブリトン人の結集とブリトン文化の復活をみた。

[富沢霊岸]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブリタニア」の意味・わかりやすい解説

ブリタニア
Britannia

イギリスのグレート・ブリテン島の古代ローマ時代の呼称。ローマが侵入する以前,この島にはローマ人によってプリタニ (入墨を施した者の意) と呼ばれる民族が居住し,また対岸の北ガリアにはブリタニと呼ばれる民族がいたが,ローマ人が両者を混同して,この島をブリタニア (ブリタニの住む地) と呼ぶにいたった。この島は前1世紀なかば,カエサルが2度侵入したのち,43年ローマ皇帝クラウディウス1世によって征服され,2世紀になって皇帝ハドリアヌスにより長城が築かれ,これがローマ帝国の領域の北限となった。以後5世紀初めまでローマの属州であった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ブリタニア」の意味・わかりやすい解説

ブリタニア

英国のグレート・ブリテン島のローマ時代の呼称。島の住民ケルト系のブリトン人の名に由来。1世紀半ばから5世紀初めまでに大部分がローマの属州となった。
→関連項目イギリスカエサル

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブリタニア」の解説

ブリタニア
Britannia

イギリスのブリテン島のローマ時代の呼称。この島の大部分は1世紀半ばから5世紀初めまでの間ローマの属州となった。その名称は当時この地に居住していたケルト系のブリトン人に由来する。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル大辞泉プラス 「ブリタニア」の解説

ブリタニア

《Britannia》イギリス海軍の戦艦。キング・エドワード7世級。1904年進水、1906年就役の前弩級戦艦。1918年、第一次世界大戦の休戦直前に、ドイツ潜水艦の雷撃により沈没。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ブリタニア」の解説

ブリタニア
Britannia

イギリス,ブリテン島のローマ時代の呼称
ケルト系のブリトン人に由来。古代ローマ時代から七王国時代(449〜829)までこう呼ばれた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のブリタニアの言及

【イギリス】より

…【香内 三郎】
【歴史】

[先史時代]
 はるかな太古,地表の大部分がまだ厚い氷河で覆われていた旧石器時代には,イギリス諸島は大陸と地続きであった。グレート・ブリテン島(ブリタニア)で発見された最古の化石人類(旧人)はスウォンズコーム人で,約25万年くらい前のものと思われる。以後大陸からさまざまの人類が移り住んで,採集・狩猟・漁労の生活を営んだ。…

【グレート・ブリテン[島]】より

…プレタンニカとはケルト語の〈彩色した〉人,すなわち入墨した部族の意味である。しかしローマ時代に入ると,最も遅くこの島へ移住したケルト系ブリトン人にちなむ〈ブリタニア〉の名称が定着し,今日のブリテンとなった。正式にグレート・ブリテンの名称が採用されるのは,1707年にイングランドとスコットランドが合同して連合王国を形成したときであり,フランスのブルターニュ地方をさすリトル・ブリテンと区別するため命名された。…

※「ブリタニア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android