精選版 日本国語大辞典 「フェレイラ」の意味・読み・例文・類語
フェレイラ
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日本名沢野忠庵(さわのちゅうあん)。転び伴天連(バテレン)。ポルトガルのジブレイラに生まれ、1596年イエズス会に入会。1609年(慶長14)ごろ来日し、京都、大坂など上方(かみがた)を中心に布教活動を行い、1632年(寛永9)同会日本管区長となる。キリスト教迫害下の長崎に潜伏中、1633年に捕らえられ、過酷な穴吊(づ)りの拷問にあって、耐えきれず棄教した。その後、沢野忠庵の名で幕府のポルトガル通詞(つうじ)となり、またキリシタン検索のために行われた宗門改(あらため)に協力して、「目明し忠庵」とよばれた。キリシタン排撃の書である『顕偽録』(1636)を著したほか、鎖国下の日本に西洋医学や天文学を伝えた『天文備用』(1644)、『南蛮外科秘伝書』などがあり、蘭学(らんがく)発展の基礎をつくった。
[磯見辰典 2018年2月16日]
『古賀十二郎著『長崎洋学史』(1966・長崎文献社)』
イエズス会司祭。のち棄教して,日本名沢野忠庵を名のる。ポルトガルのトレス・ベドラス出身。1596年イエズス会に入り,1609年(慶長14)来日して京都布教に従事。禁教令施行後も日本に残留潜伏し長崎で管区長秘書を務め,のち23年(元和9)ころ上京し当地方の地区長,32年(寛永9)日本準管区長に任命されるが,翌年捕らわれ穴吊り刑の拷問にかけられ棄教,36年イエズス会より追放される。同年沢野忠庵の日本名で《顕偽録》を著しキリシタン宗門の真偽を論じて排耶論を展開し,のちの排耶書に教理的裏づけを与えた。長崎に居住し奉行の配下に入って目明し忠庵と称せられた。また43年筑前大島に潜入したイエズス会司祭が携帯していた天文書の邦訳を命ぜられた。これが《乾坤(けんこん)弁説》であり,ヨーロッパの科学思想の紹介に寄与した。50年(慶安3)死去したが,信仰に立ち返ったためと言われている。
執筆者:五野井 隆史
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