フェリペ(2世)(読み)ふぇりぺ(英語表記)Felipe Ⅱ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェリペ(2世)」の意味・わかりやすい解説

フェリペ(2世)
ふぇりぺ
Felipe Ⅱ
(1527―1598)

スペイン国王(在位1556~98)。カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の子。1556年父帝の退位により、スペインの王位とともにネーデルラントフランシュ・コンテミラノナポリシチリアなどのヨーロッパ所領および新大陸とアジアの植民地を継承、さらに1580年にはポルトガルとその海外領土併合し、ここに「陽(ひ)の没することのない」大帝国が出現した。しかしこの強大さがヨーロッパの勢力均衡を破壊したことから、フランス、イギリス、教皇庁の警戒心をよび、これら諸国を敵に回すはめとなった。その結果スペインはこれら領土とカトリック護持のため、絶え間ない戦争に駆り立てられることになった。

 彼の治世前半は、1559年に有利な条件でカトー・カンブレジの和約をフランスと締結することによって長年続いたイタリア戦争を終結させ、1571年にはレパントの海戦でオスマン・トルコ艦隊を大破し、またネーデルラント(オランダ)の独立運動もいちおう制圧できた。しかし、治世末期は、しだいに強まる独立運動を抑えきれなくなるとともに、フランスの内乱にも深入りしすぎ、アルマダ無敵艦隊)がイギリス海軍に大敗を喫するなど、外交・軍事面で後退を余儀なくされていった。外国への過剰な介入は、西インド諸島からの銀の流入にもかかわらず、対外債務を増大させ、再三にわたる国家財政の破綻(はたん)を招いた。また、15世紀末からいちおうの発展をみた農業と手工業も、対外戦争遂行に伴う重税と国家の適切な保護の欠如から、治世最後の10年には衰退に向かった。同時に、対プロテスタント戦争という側面をもつこれらの対外戦争は、国内にも大きい精神的緊張をよんだ。彼の正統信仰護持の姿勢は、異端に対する厳重な取締りはいうに及ばず、祖先に異教徒の血をもつ者をも追及し、外国との知的交流をも断つ結果となり、このこともスペインの没落を促す要因となった。それゆえ当時のスペインは、「泥の足をもった巨人」と形容される。彼は、死の直前まで国王としての使命感にあふれ、政務に精励した。1598年9月13日、エル・エスコリアル宮で死去。なお、1584年には日本からの天正遣欧使節(てんしょうけんおうしせつ)を謁見した。

[芝 修身]

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旺文社世界史事典 三訂版 「フェリペ(2世)」の解説

フェリペ(2世)
Felipe Ⅱ

1527〜98
絶対王政期のスペイン王(在位1556〜98)
カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)とポルトガル王女イサベラの子。カトリック以外の宗教を禁止。本国以外にイタリア・ネーデルラント・新大陸など広大な領土を領有し,レパントの海戦(1571)でオスマン帝国を撃破してポルトガルを併合(1580)してアジアの植民地も獲得。“太陽の沈まぬ帝国”を建設した。しかし,オランダ独立戦争の制圧に失敗し,無敵艦隊の対英敗戦(1588)と国内産業の衰えによって財政は破綻し,国力は衰退に向かった。

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