バルバロス・ハイレッディン・パシャ(読み)ばるばろすはいれっでぃんぱしゃ(英語表記)Barbaros Hayreddin Paşa

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

バルバロス・ハイレッディン・パシャ
ばるばろすはいれっでぃんぱしゃ
Barbaros Hayreddin Pasa
(1483ころ―1546)

オスマン帝国の海軍提督。本名はフズルHlzlr。レスボス島の騎士の息子。兄オルチとともにチュニスを根拠地として海賊通商をしながら西地中海に勢力を広げた。1516年にアルジェリア城塞(じょうさい)を占領。この城塞と奴隷をセリム1世に献上してオスマン帝国の臣下となった。33年、スレイマン1世によってアルジェリアの州軍政官に任命された。のち、オスマン艦隊の造船に尽力した功績により海軍提督となり、自ら艦隊を率いて、エーゲ海上の島々を征圧した。38年プレベザ(プレベゼ)の海戦では宿敵アンドレア・ドリアの率いるヨーロッパ連合艦隊を破り、オスマン帝国による地中海制海権の確保を実現した。

[永田真知子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

バルバロス・ハイレッディン・パシャ
Barbaros Hayreddin Paşa

[生]1483? レズボス島
[没]1546.7.4. イスタンブール
オスマン帝国の提督。本名は Hızır。バルバロスは「赤ひげ」の意であだ名。シパーヒーの家に生れ,兄弟4人とも海賊として名高い。青年時代,海賊の捕虜になりロドス島に捕われたが逃亡し,アンタリヤでオスマン帝国の王子コルクトの従者となった。しかし,兄オルチとともに再び海賊となり,地中海沿岸を荒し,富と名声を獲得。 1516年にはアルジェリア城を支配した。スルタンセリム1世のエジプト征服に従い,スルタンにアルジェリア領土の安堵請い,受入れられた。 33年スレイマン1世に招聘され,提督に任じられた。このとき,ハイレッディン・パシャの名称を賜わった。彼は 13年間この地位にとどまり,ギリシアの島々,イタリアの沿岸を攻撃。プレベザの海戦 (1538) ではスペイン,ベネチア,ローマ教皇の連合艦隊を破り,地中海におけるオスマン帝国海軍の制海権を確立させた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android