トレド(英語表記)Toledo

翻訳|Toledo

デジタル大辞泉 「トレド」の意味・読み・例文・類語

トレド(Toledo)

スペイン中央部の都市。タホ川に臨む。西ゴート王国の首都として、またイスラム時代の8~11世紀に繁栄。画家エル=グレコの家、アルカサルの城などがある。1986年「古都トレド」の名で世界遺産(文化遺産)に登録された。
米国オハイオ州北西部の都市。エリー湖南西岸に位置し、ミシガン州との州境に近い。良港に恵まれ、積出港として発展。ガラス工業が盛ん。トレド大学やガラス工芸品を収蔵するトレド美術館がある。

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精選版 日本国語大辞典 「トレド」の意味・読み・例文・類語

トレド

(Toledo)
[一] スペイン中央部、マドリードの南西方にある都市。紀元前ローマの植民地として開け、西ゴート・トレド・カスティーリャ・イスパニア各王国の首都ないし代表都市となった。
[二] アメリカ合衆国、オハイオ州北部の港湾都市。エリー湖の西端に面し、石炭の積出し港として知られ、自動車・ガラス・造船などの工業が発達。

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改訂新版 世界大百科事典 「トレド」の意味・わかりやすい解説

トレド
Toledo

スペイン中央部,新カスティリャ地方の同名県の県都。人口6万1813(1982)。三方をイベリア半島最長のタホ川に守られた小高い丘の上に立ち,その起源は先史時代にさかのぼる。古称トレトゥムToletum。以来今日まで幾度かイベリア史の主要舞台となり,このために町全体がさながら歴史博物館といっても過言ではない。ちなみに市内の建築物の外観は今日いっさいの改造が厳禁されている。

 トレドが歴史に大きく浮かび上がってくるのはローマ時代末期で,400年にイベリアのキリスト教会がその第3回司教会議をここで開催したときからである。その後,半島の支配権がローマからゲルマン人の一派西ゴート(ビシゴート)族に移ると,その王アタナギルドAtanagildo(在位554-567)は560年に宮廷をトレドに定めた。こうして711年の西ゴート王国崩壊までトレドはイベリア全土の政治の中心地となり,聖俗両界にまたがって政策の審議決定の場となった教会会議も17回ここで開かれた。これに伴いトレド司教座の権威は7世紀に入るとしだいに他を抜いて高まり,首都大司教座を経てやがてイベリア全土の首座大司教座として認められるようになった。トレド大司教の発言が現在でもスペイン世論の中で重きをなすのはこのためである。

 711年に始まるイスラム期ではアル・アンダルス(イスラム・スペイン。アンダルス)の首都が南部のコルドバに置かれ,トレドは東のサラゴサおよび西のメリダと並んで,まもなく興るキリスト教スペインに対する国境防衛の拠点となった。しかし,住民の大半は従来のそれと変りはなく,彼らはイスラム教徒となった後もコルドバからの支配を喜ばず,機会あるごとに反抗を試みた。このためにトレドはときとして歴史に名を残す惨劇の舞台と化した。1031年の後ウマイヤ朝崩壊後アル・アンダルスが小国群に分裂すると,トレドはそのひとつの首都となった。現在の大聖堂と王城(アルカーサル)は,外観こそ異なるものの,イスラム期に同じ場所にあったはずの同種の建物の規模をほうふつとさせ,ソコドベール広場は同時代の活発な経済活動をしのばせる。またアル・アンダルスの他の都市と同じく,トレドにも有力なユダヤ教徒の社会(コロニー)があった。彼らはやがて後述の翻訳事業でかけがえのない役割を果たす一方,二つのシナゴーグに紛うかたない自分たちの足跡を残していった。

 1085年,カスティリャ王アルフォンソ6世の軍勢に包囲されたトレドは,もはや抵抗がむだなことを悟って無血開城した。しかし,アル・アンダルスの他の王たちはこの事態に危機感を深め,北アフリカの同胞に来援を求めた(ムラービト朝)。トレドをめぐる激しい攻防戦はしばらくの間繰り返された。キリスト教徒軍は幾度も大敗を喫し,アルフォンソ王はたった一人の王子を戦場に失った。しかし,それでもトレドは死守され,二度とイスラム教徒の手には戻らなかった。

 戦線が南へ遠のき一応の平和が確保されると,トレドはにわかに広く西ヨーロッパの知識人の強い関心の的となった。アル・アンダルス文化の高い水準は早くから知られていたが,これを支える学術書が多数トレドに残されていたのである。こうして12世紀前半から13世紀末にかけて,〈トレド翻訳学校〉と通称される画期的な知的作業がイスラム教徒,ユダヤ教徒,キリスト教徒の各学者たちの協同によって進められ,ヘレニズムの遺産とこれに触発されたイスラム教徒学者の研鑽の成果がアラビア語からラテン語へ翻訳された。アリストテレスの哲学,ユークリッドの数学,プトレマイオスの天文学,ヒッポクラテスの医学などが,この時ピレネーを越えて西ヨーロッパに流布した。それは,このときをもって中世西ヨーロッパの哲学史と科学史は前後に二分されるといわれるほど,後の西ヨーロッパ文化の展開にとって決定的なできごとであった。ただ皮肉にも,当のイベリア諸国には,この翻訳事業の恩恵に浴する文化的受皿が十分に用意されていなかった。

 中世末期から近代初期にかけてトレドはブルゴスやアビラやセゴビアなどと並んでカスティリャを代表する都市であった。議会(コルテス)の場ともなれば,当時まだ決まった首都をもっていなかった同国宮廷の一時的な逗留地ともなった。商業ブルジョアジーの発展も順調で,彼らの先駆的政治意識のほどは,スペインの事情に暗いカルロス1世(カール5世)の即位直後に勃発したコムネロスの反乱におけるトレドの指導的役割にうかがえる。

 1561年,フェリベ2世によってそれまでトレドにあった宮廷はマドリードに移され,二度と戻ってはこなかった。当時のヨーロッパの最強国スペインの首都となったマドリードが急速な発展を遂げる一方で,トレドは一地方都市に化していった。しかし,77年ころ一人の外国人画家がこの都市に住みついた。エル・グレコである。クレタ島生れの彼の中にある神秘主義は,16世紀カスティリャ社会の高揚した宗教感情とトレドにおいて深く結びつき,いまに残る数多くの傑作として結実した。今日トレドはグレコの名と一体をなし,将来もグレコとともに世界中の人々に記憶されるであろう。
執筆者:

イスラム時代の最も重要な遺構は,1000年ころ完成したモスク,ビーブ・マルドンで,12世紀に教会堂(エル・クリスト・デ・ラ・ルス)に転用された。現存する数少ない中部スペインのモスク建築の傑作の一つである。規模が小さく,元来パビリオンであったと思われる。北側の石造のファサードを除き,すべて煉瓦造。現存するシナゴーグは,サンタ・マリア・ラ・ブランカとエル・トランシトで,共にムデーハル様式による。前者は12~13世紀に建造され,14世紀に教会堂に転用された。タイル(アスレホ)装飾,ペルシア風柱頭,馬蹄形アーチなどにマグリブのムワッヒド(アルモアデ)朝の文化や東方イスラム建築の影響が認められる。後者は1356年に建造され,1492年に教会堂に転用され,現在,博物館としてスペイン系ユダヤ人セファルディム関係の資料を展示する。そのほか城門プエルタ・ビエハ・デ・ビサグラ(11世紀),ローマ時代起源で1000年ころと15世紀に再建されたムデーハル様式のアルカンタラ橋が残る。なお,西ゴート王国時代の遺例として,エル・サルバドル教会に柱が見られる。

 13~15世紀建立の大聖堂はゴシック様式によるが,幅が広くてあまり高くなく,また多葉形アーチやからみ合うアーチの使用など,スペイン色が濃い。同大聖堂には,西正面や翼廊(トランセプト)玄関口の彫刻,ステンド・グラス,祈禱席(A. ベルゲーテ他の木彫)と見るべきものが多い。ナルシーソ・トメー作の大理石と青銅製のバロック祭壇(トランスパレンテ)は背後からの採光にマリアや天使が浮かび上がり,幻想的かつ劇的な効果をもつ。市内に〈グレコの家〉があり,彼の大作《オルガス伯爵の埋葬》(1586-88)はサント・トメー教会に所蔵される。博物館としては考古学博物館(1504-14年建造のサンタ・クルス施療院内。イスラム関係の史料は14世紀建造のタレル・デル・モロ宮殿に展示),レルマ公博物館(タピスリー,家具等を所蔵)がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トレド」の意味・わかりやすい解説

トレド
Toledo

スペイン中部のカスティリア・ラマンチャ自治州中部,トレド県の県都。マドリードの南南西約 70km,タホ川の曲流部に三方を囲まれ,右岸に位置し,スペイン文化の特質を最もよく備えた都市といわれる。前2世紀にローマ帝国の重要な植民都市トレツムとなり,8~11世紀にベルベル人に支配されたが,1085年アルフォンソ6世が奪回,その後はカスティリア王国の政治,文化の中心として発展した。1560年フェリペ2世のマドリード遷都によって,政治的中心としての役割を喪失。古来剣の産地として知られ,今日でも軍需品の製造やムデハール様式の伝統を受け継ぐ金属加工が盛ん。ほかにクリスマス用の砂糖菓子製造で知られる。ローマ時代の橋や城,中世のイスラムのモスク,ムデハール様式のユダヤ会堂,城(→アルカサル),キリスト教聖堂などの歴史的建築物が残存する旧市街は,1986年世界遺産の文化遺産に登録された。特にイスラム文化の影響を反映しているスペイン・ゴシック様式の大聖堂(1226着工)は最もスペイン的と評価される。博物館にはこの地にゆかりの深いエル・グレコをはじめ,フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス,アンソニーファン・ダイクなどの絵が収められ,エル・グレコの住家は博物館として保存されている。人口 7万7601(2006推計)。

トレド
Toledo, Alejandro

[生]1946.3.28. カバナ
ペルーの政治家,経済学者。大統領(在任 2001~06)。フルネーム Alejandro Celestino Toledo Manrique。選挙で選ばれたペルー初の先住民系の大統領。支持者には「エル・チョロ」(インディオの意)の愛称で親しまれた。ケチュア族の貧農の息子として生まれ,北部沿岸のチンボテで靴磨きをして少年時代を過ごした。奨学金を得てアメリカ合衆国に留学し,1970年にサンフランシスコ大学を卒業。スタンフォード大学で 1971年に人的資源経済学,1972年に経済学の修士号を取得後,1976~78年と 1989年に国際連合および 1979~81年には世界銀行で国際エコノミストを務める。1981年に帰国,アルフォンソ・グラドス労働大臣の社会政策顧問に就任した。1993年スタンフォード大学で人的資源経済学の博士号を取得後,ハーバード大学国際開発研究所の客員研究員となる。1998年,リマのペルー経営大学院 ESANで国際問題学部長に就任。1995年の大統領選挙に中道派ペルー・ポシブレ党から初めて立候補,得票率はわずか 3%にとどまり,アルベルト・フジモリに敗北を喫した。2001年の大統領選挙では 6月の決選投票で勝利,同 2001年7月,大統領に就任した。就任演説で,観光業振興を通じた雇用創出,汚職や麻薬密輸,人権侵害の撲滅を訴え「全ペルー国民および全人種の大統領となる」ことを約束した。在任中にペルー経済は成長しインフレーションはほぼ解消したが,失業率改善はわずかにとどまった。

トレド
Toledo

アメリカ合衆国,オハイオ州北西部,エリー湖の西岸に近い工業都市。 18~19世紀に開拓され,エリー湖水運の要衝として発達。 1825年にエリー運河が開通し,オハイオ運河網建設が開始されると物資流通の大中心地となった。 37年市制。ガラス工業が有名で,造船,製油,自動車部品製造などの工業も盛ん。港は内陸港としては規模が大きく,移入は穀物,パルプ,紙,鉄鉱石,石材など,移出は石炭,石油製品,ガラス,自動車,工具,造船などである。トレド大学 (1872創立) ,美術館などがある。人口 28万7208(2010)。

トレド
Toledo

フィリピン,ビサヤ諸島中部,セブ島西岸の町。フィリピン最大の銅鉱山があり,露天掘りされている。近くに炭田もある。トウモロコシ,コプラなどを集散する港町でもある。人口 12万 (1990推計) 。

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百科事典マイペディア 「トレド」の意味・わかりやすい解説

トレド

スペイン中央部の古都。マドリード南南西約65km,タホ川に臨む。絹・毛織物工業,陶業が行われ,古来刀剣製造で有名。13世紀のトレド大聖堂がある。起源は古代ローマ以前で,6―7世紀は西ゴートの首都。教会会議がたびたび開かれたため,トレドの司教座は現在もイベリア全土に大きな影響力を持っている。8―11世紀はイスラム支配下に商工業・文化の中心。1087年―1560年レオン・カスティリャ王国の首都。この間に翻訳学校が作られ,ヘレニズム文化とイスラム文化の精華が西ヨーロッパに伝えられ,その後のヨーロッパ文化の発展に重要な役割を果たした。画家エル・グレコが暮らした街でもある。1986年世界文化遺産に登録。7万7000人(2006)。

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世界遺産情報 「トレド」の解説

トレド

トレドはマドリッドから南へ70キロのところにある県及び市で、スペインの古都として知られています。1986年、トレド大聖堂など旧市街全域が歴史地区としてユネスコの世界遺文化遺産に登録されました。街全体が中世そのままの姿で保存されているうえ、新しい建物も周囲の環境に調和するよう工夫がなされています。画家グレコは16世紀にトレドに魅せられ、トレドの景観を描き続けました。今日のトレドの景観と比べてみてもあまり違わないほど、街の美しさとその保存には定評があります。

出典 KNT近畿日本ツーリスト(株)世界遺産情報について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「トレド」の解説

トレド
Toledo

スペイン中部,マドリードの南西にあるタホ河畔の古都
ローマ時代のイベリア支配の拠点で,西ゴート王国の首都。イスラーム支配時代に商工業都市として栄え,1087年カスティリャ王国の首都となったが,1560年スペイン王国の成立を機に,その地位をマドリードに譲った。1577年から画家のエル=グレコがこの都市に住み,多くの傑作を残した。

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デジタル大辞泉プラス 「トレド」の解説

トレド

ドイツ、ペリカン社の万年筆の商品名。1931年発売。本体に手彫りの彫金が施される。太さ、長さ別に2種類ある。

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