トルストイ(年譜)(読み)とるすといねんぷ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トルストイ(年譜)」の意味・わかりやすい解説

トルストイ(年譜)
とるすといねんぷ

1828 8月28日、伯爵家四男としてトゥーラ市近郊ヤースナヤ・ポリャーナに生まれる
1844 外交官を志し、カザン大学へ入学、落第
1847 転科した法科退学、故郷で地主生活に入るも挫折。3年間を都市の享楽にふける
1852 カフカスで砲兵隊勤務中に『幼年時代』を『同時代人』に発表
1854志願ののちクリミア軍に転属。『少年時代』
1855 ペテルブルグ帰還。『セバストポリ物語』(~1856年)
1856 故郷へ戻る。『地主の朝』
1857 ヨーロッパ旅行。『青年時代』
1859 『三つの死』『家庭の幸福』
1860 教育活動に傾注。長兄死す
1861 農奴解放令布告。農地調停委員に選ばれ、翌年辞任
1862 18歳のソーフィヤ・アンドレーエブナと結婚
1863コサック』。『戦争と平和』、1869年完結
1873アンナ・カレーニナ』に着手、1877年完結。『ロシア語読本』
1875 肉親の死が続く
1876 宗教的問題を考えだす
1878 ツルゲーネフと和解
1881 アレクサンドル2世暗殺される。ドストエフスキー死去
1882懺悔
1884 『わが信仰はいずれにありや』
1885 『さらば我ら何をなすべきか』、民話イワンのばか』
1886 『イワン・イリイーチの死』、戯曲『闇の力』
1887人生論
1890クロイツェル・ソナタ
1891 秋以降、飢饉救済活動に没頭
1895主人と下男』
1897芸術とは何か』
1899復活
1900 アカデミー会員に選ばれる。『生ける屍』
1901 ギリシア正教会から破門
1904 日露戦争勃発。『考え直せ』
1908 『黙す能わず』
1910 10月28日、医師マコビツキーを伴って家出11月7日肺炎で死去

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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