デュシャン

精選版 日本国語大辞典 「デュシャン」の意味・読み・例文・類語

デュシャン

(Marcel Duchamp マルセル━) フランスの画家。キュービズムに加わったのち、ダダイズムの中心的存在となる。のち絵画を捨て、アメリカで実験的美術作品の制作を続け、現代芸術に大きな影響を与えた。一九二三年以降は美術制作を放棄した。(一八八七‐一九六八

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デジタル大辞泉 「デュシャン」の意味・読み・例文・類語

デュシャン(Marcel Duchamp)

[1887~1968]フランス生まれの画家。ダダイスム代表者の一人。1915年渡米。既成の絵画の枠を超えた実験的作品を制作する一方、日用品を芸術作品として提出する、いわゆる「レディーメイド」のオブジェを発表。作「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁」など。

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百科事典マイペディア 「デュシャン」の意味・わかりやすい解説

デュシャン

フランス出身の美術家。ノルマンディー生れ。1904年パリに赴き,長兄ジャック・ビヨン,次兄レーモン・デュシャン・ビヨンらのキュビスム運動〈セクションドール〉に参加。肉体を性的な機械の運動として描いた《階段を下りる裸体No.2》を1913年米国のアーモリー・ショーに出品し,スキャンダルとなる。しかし,近代絵画がただ見るだけの〈網膜的〉楽しみに堕したと考えて絵画を放棄し,自転車の車輪やコップの乾燥器にサインをしただけの〈レディメード(既成品)〉のオブジェを発表。なかでも男性用便器を用いた《泉》(1917年)は展覧会出品を拒否されたことで知られる。1914年渡米,マン・レイらと〈ニューヨークダダ〉を結成し,以降主に米国で活動(後に帰化)。1915年―1923年には,2m×3mのガラス板に,永遠に交わることのない不毛の愛を暗示的に描いた《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁,さえも》(通称《大ガラス》)を制作(未完。フィラデルフィア美術館蔵。滝口修造らの手によるレプリカが東京大学にある)。また,《ロトレリーフ》や《大ガラス》制作中のメモを収めた《グリーン・ボックス》などを手がけ,パリのシュルレアリスム運動にも参加した。戦後はもっぱらチェスに熱中し,〈作らない芸術家〉として生涯を終えた。ところが,遺言によって《1.水の落下,2.照明用ガス,が与えられたとせよ》(通称《遺作》。1946年―1966年,フィラデルフィア美術館蔵)が死後公表され,戦後の〈デュシャン神話〉までもが覆される結果となった。これは扉に開けられた穴をのぞくと,手にランプを掲げ股を開いた全裸の女性が見えるという,性的なファンタスムと〈網膜的〉楽しみに満ちた作品である。デュシャンの活動は〈美術〉の概念を大きく変革し,第2次大戦後の美術の展開に決定的な影響を及ぼした。
→関連項目偶然クレールコンセプチュアル・アートポップアートマレーミニマル・アート

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改訂新版 世界大百科事典 「デュシャン」の意味・わかりやすい解説

デュシャン
Marcel Duchamp
生没年:1887-1968

フランス(後年アメリカ国籍)の美術家。フランスのノルマンディーのブランビルに生まれる。数少ない作品とおびただしいメモを残したが,その思想と生き方によって,既成の芸術概念を否定し,とくに第2次大戦後の現代美術に大きな影響を与えた。1904年パリに赴き,長兄ジャック・ビヨンJacques Villon(1875-1963),次兄レーモン・デュシャン・ビヨンRaymond Duchamp-Villon(1876-1918)らの〈セクション・ドールSection d'Or〉というキュビスム運動に参加するが,《階段を下りる裸体No.2》(1912)あたりから,肉体をエロス的機械の運動としてとらえる特異な作品を描きはじめ,同年いくつかの名作をやつぎばやに描いた後,絵を描くことを放棄。近代絵画が思想や観念と切り離されて,ただ見るだけの〈網膜的〉楽しみに堕したと考えたからで,女の肉体を奇妙な機械装置として描いた《花嫁》(1912)がほとんど最後の油絵となった。15年から8年間,2m×3mのガラス板に《独身者たちによって花嫁は裸にされて,さえも》(通称《大ガラス》)という大作を作りつづけ,未完のままに残す。上下に仕切られたガラスの上部に肉片のような〈花嫁〉を,下部に機械的な〈独身者〉を描いた《大ガラス》は,子どもを生む女=母=創造の象徴である〈花嫁〉と,自慰=不毛=味けない日常の象徴である〈独身者〉との,永遠に交わらない愛を暗示する神話的世界である。第1次大戦中,ニューヨークでマン・レイらと〈ニューヨーク・ダダ〉運動を起こし,パリではA.ブルトンのシュルレアリスム運動に参加,男性用便器や瓶掛け,自転車の車輪など,量産品に署名をしただけのレディ・メードオブジェを提示し,手仕事の特権性を嘲笑すると同時に,産業社会での素材や表現の新しい可能性を示唆した。デュシャンはまた,〈グリーン・ボックス〉や〈ホワイト・ボックス〉などに集められた数多くのメモを書きつづけ,独自な言葉遊びや晦渋な観念作用を,発生状態のままの言語として残し,〈網膜的〉な美術を,非網膜的な〈見えない〉世界にまで拡大した感がある。《大ガラス》や〈レディ・メード〉以降は,チェスのゲームに没頭し,とくに第2次大戦後は,デュシャンの生存そのものが,表現行為を嘲笑する〈作らない芸術家〉として脅威を与え,ミニマル・アート,コンセプチュアル・アート(概念芸術)などに影響を及ぼした。ところが彼の死後,遺言によって《遺作》(正式には,《1.水の落下,2.照明用ガス,が与えられたとせよ》1946-66)が公表されるに及び,〈作らない芸術家〉という伝説そのものが否定されてしまった。扉の穴からのぞくと,股を開き,手にランプをかかげた全裸の女が見える《遺作》は,秘教的な《大ガラス》とは対極にあるキッチュなポルノグラフィーであり,まさに〈網膜的〉であって〈否定〉を否定する精神の自由を証明してやまない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デュシャン」の意味・わかりやすい解説

デュシャン
Duchamp, Marcel

[生]1887.7.28. ブランビル
[没]1968.10.2. ヌイイシュルセーヌ
フランスの美術家。画家ジャック・ビヨン,彫刻家レイモンド・デュシャン=ビヨンの弟。1904年パリへ出てアカデミー・ジュリアンで絵を学ぶ。ポール・セザンヌフォービスムの影響を経て,1912年キュビスムの一派である「セクシオン・ドール(黄金分割)」展に『階段を降りる裸体』(フィラデルフィア美術館)を発表。これは翌 1913年ニューヨークのアーモリー・ショーに出品されて,大反響を呼び起こした。しかし,1913年には絵画を放棄し,ガラスを用いた大作『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁,さえも』(フィラデルフィア美術館)の制作に専心した。1915年渡米,ニューヨークでマン・レイ,フランシス・ピカビアらとダダ的運動を推進。1919~23年パリのダダ,次いでシュルレアリスムの運動に協力する。既製品をそのまま作品とする「レディメード」のオブジェでも知られる。1917年には白い便器を『泉』と題した作品が物議をかもした。また,秘匿していた作品『(1) 落ちる水,(2) 照明用ガスが与えられれば』を没後に発表させるという前代未聞の遺言も話題となった。

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世界大百科事典(旧版)内のデュシャンの言及

【オブジェ】より

…その先駆は,未来派の彫刻家ボッチョーニが,1911年,多様な素材を合成して〈生の強度〉に迫るべく,毛髪,石膏,ガラス,窓枠を組み合わせた作品をつくり,ピカソがキュビスムの〈パピエ・コレ(貼紙)〉の延長として,12年以後,椅子,コップ,ぼろきれ,針金を使った立体作品を試みたあたりにある。デュシャンは13年以後,量産の日用品を加工も変形もせず作品化する〈レディ・メード〉で,一品制作の手仕事による個性やオリジナリティの表現という,近代芸術の理念にアイロニカルな批判をつきつけ,ピカビアの〈無用な機械〉と名づけた立体や絵画も,機械のメカニズムをとおして人間や芸術を冷笑した。第1次大戦中におこったダダは,これらの実験を総合し,アルプやハウスマンの木片のレリーフ状オブジェや,シュウィッタースのがらくたを寄せ集めた〈メルツMerz〉,エルンストの額縁に入った金庫のようなレリーフ状作品などで知られる。…

【キュビスム】より

… 〈ピュトー派〉は,11年のアンデパンダン展での大規模な集団展示を皮切りに,波状的な示威運動を続けたが,特に12年の〈セクシヨン・ドールSection d’or(黄金分割)〉展には,ピカソとブラックの創始者を除いて,この造形的傾向に共鳴するほとんどの画家や彫刻家が参加した。おもな出品者は,ビヨン兄弟(J.ビヨン,彫刻家のデュシャン・ビヨンRaymond Duchamp‐Villon(1876‐1918),マルセル・デュシャン),グレーズAlbert Gleizes(1881‐1953),メッツァンジェJean Metzinger(1883‐1957),ピカビア,ラ・フレネーRoger de La Fresnay(1885‐1925),レジェローランサン,マルクーシスLouis Marcoussis(1878‐1941。本名Ludwig Markus),〈洗濯船〉グループのグリス,それに彫刻家のロートAndré Lhote(1885‐1962)らである。…

【ダダ】より

…自発性から生まれるあらゆる神々への絶対で,議論の余地なき信頼,ダダ〉(《ダダ宣言1918》)とあるように,ツァラたちは嫌悪と自発性だけを原理に,あらゆる物質と行為から芸術を再生させようとした。 一方,同じころニューヨークでは,1913年の〈アーモリー・ショー〉に,《階段をおりる裸体》を出品して反響を呼び,17年レディ・メイドの便器(《泉》と題される)を出品して物議をかもしたM.デュシャン,〈無用な機械〉シリーズで知られるマン・レイ,13年写真家スティーグリッツの画廊〈291〉で個展を開き,18年秋チューリヒに赴きツァラと意気投合する反芸術の闘士ピカビア,騒音音楽のバレーズらがダダ的サークルを形づくっていた。 17年1月ベルリンに戻ったヒュルゼンベックは,フォトモンタージュの名人ハウスマンとその恋人ハンナ・ヘーヒHannah Höch(1889‐1978),戦争中排外主義を嫌って英語風に改名した,政治的フォトモンタージュ作家ジョン・ハートフィールドと弟の編集者ウィーラント・ヘルツフェルデ,軍人とブルジョアを風刺する画家グロッス,ざれ歌詩人メーリングらとともに,18年4月〈ベルリン・ダダ〉を結成した。…

【ノンセンス】より

…この常識の枠を組みかえ,〈現実〉を過激な形でずらそうとするねらい(先述の〈ある意図〉)をもった〈しかけ〉はすべて,広義のノンセンスといえる。便器に署名して展覧会に出品したデュシャンや,ピアニストに4分33秒間なにも弾かせないことによって聴衆に〈沈黙〉と〈意図されなかったあらゆる音〉をきかせたJ.ケージなどは,最高のノンセンス芸術家であり,チャップリンやキートンのような無声映画のコメディアンも同様である。 しかし〈現実〉を構成するもっとも重要な要素は言語であるから,当然,言語の合意された意味(センス)や用法をかく乱することがノンセンスの最大の領域となる。…

【レディ・メード】より

…〈既製品〉の意味だが,ダダ時代のM.デュシャンが,一連の量産品に署名しただけのオブジェを〈レディ・メードのオブジェ〉と呼んだことに由来する。ダダやシュルレアリスムのオブジェは,セザンヌからキュビスムをへて20世紀美術に台頭した物体への意識がはっきりと即物的な面であらわれたもので,とくにシュルレアリストたちは,意識下の領域の象徴としてオブジェをとらえようとした。…

※「デュシャン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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