ディディエ デシャン(英語表記)Didier Deschamps

現代外国人名録2016 「ディディエ デシャン」の解説

ディディエ デシャン
Didier Deschamps

職業・肩書
サッカー指導者 サッカー・フランス代表監督

国籍
フランス

生年月日
1968年10月15日

出生地
バイヨンヌ

本名
Deschamps,Didier Claude

経歴
現役時代は中盤の要ボランチとして活躍。1985年ナント、’89年マルセイユ、’90年ボルドー、’91年再びマルセイユを経て、’94年イタリア・セリエAユベントス、’99年イングランド・プレミアリーグチェルシー、2000年スペイン・バレンシア移籍。フランス代表としては、1998年地元開催のW杯で、主将としてジダンらアルジェリア系と自身も含めバスク系の選手をまとめ、フランスのW杯初優勝に貢献。2000年UEFA欧州選手権(EURO2000)準決勝の対ポルトガル戦でフランス代表として初の国際Aマッチ通算100試合出場を達成。同大会を制し、史上初のW杯、欧州選手権の連続優勝に貢献。戦術能力が高く、豊富な運動量で中盤の軸として活躍、精神的にも強く、リーダーシップも旺盛で、“将軍”の愛称で親しまれた。マルセイユ時代にフランスリーグ優勝2回、UEFA欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL)優勝(1992〜93年)、ユベントス時代にセリエA優勝3回、UEFAカップ優勝(’94〜95年)、欧州CL優勝(’95〜96年)、トヨタカップ優勝(’96年)。2001年現役を引退、指導者となり、フランス1部リーグ・モナコテクニカルディレクターを経て監督。クラブを欧州CL決勝まで導いた。解説者を経て、2006〜2007年古巣のユベントス監督。2009〜2010年マルセイユ監督となり、就任1年目で18年ぶりのリーグ優勝とカップ戦優勝の2冠。2010〜2011年、2011〜2012年もカップ戦優勝。2012年7月フランス代表監督に就任。2014年W杯ブラジル大会では、グループリーグ2勝1分で2大会ぶりに決勝トーナメントに進んだ。

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最新 世界スポーツ人名事典 「ディディエ デシャン」の解説

ディディエ デシャン
Didier Deschamps
サッカー

サッカー・フランス代表監督
生年月日:1968年10月15日
国籍:フランス
出身地:バイヨンヌ
経歴:現役時代は中盤の要ボランチとして活躍。1985年ナント、’89年マルセイユ、’90年ボルドー、’91年再びマルセイユを経て、’94年イタリア・セリエAのユベントス、’99年イングランド・プレミアリーグのチェルシー、2000年スペイン・バレンシアに移籍。フランス代表としては、1998年地元開催のW杯にキャプテンとして出場し、フランスのW杯初優勝に貢献。2000年UEFA欧州選手権(EURO2000)準決勝の対ポルトガル戦でフランス代表として初の国際Aマッチ通算100試合出場を達成。同大会を制し、史上初のW杯、欧州選手権の連続優勝に貢献。戦術能力が高く、豊富な運動量で中盤の軸として活躍、精神的にも強く、リーダーシップも旺盛で、“将軍”の愛称で親しまれた。マルセイユ時代にフランスリーグ優勝2回、UEFA欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL)優勝(1992〜93年)、ユベントス時代にセリエA優勝3回、UEFAカップ優勝(’94〜95年)、欧州CL優勝(’95〜96年)、トヨタ杯優勝(’96年)。2001年現役を引退、フランス1部リーグ・モナコのテクニカルディレクターを経て監督となり、クラブを欧州CL決勝まで導いた。解説者を経て、2006〜2007年古巣のユベントス監督。2009〜2010年マルセイユ監督となり、就任1年目で18年ぶりのリーグ優勝とカップ戦優勝の2冠。2010〜2011年、2011〜2012年もカップ戦優勝。2012年7月フランス代表監督に就任。

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