精選版 日本国語大辞典 「チャンドラグプタ」の意味・読み・例文・類語
チャンドラグプタ
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古代インド,マウリヤ朝の創始者。在位,前317-前293年ころ。生没年不詳。出自については,ヒンドゥー教の文献がシュードラの血を引くと伝え,仏教の文献がクシャトリヤの出身とするなど,伝説間に一致をみない。ギリシア側の文献は彼をサンドロコットスSandrokottosの名で呼び,卑賤の生れであると伝えている。前317年ころマガダ国の辺境で挙兵し,ナンダ朝を倒して王朝を創始した。彼のこの偉業は,バラモン出身の宰相カウティリヤの策謀に負うところが大きかったという。チャンドラグプタは即位後ただちに軍を西に進め,アレクサンドロスの死後の混乱状態にあったインダス川流域からギリシア勢力を一掃した。また西南インドやデカン地方の征服を進め,インド史上における最初の帝国の建設者となった。さらに前305年ころ,来襲したシリア王セレウコス1世の軍を迎え撃ち,講和の結果500頭の象と交換にアフガニスタン東半を含むインダス川西方の広大な地を獲得している。またこの講和を機に,セレウコスの娘がマウリヤ朝の後宮に入り,《インド誌》の著者として名高いメガステネスが使節として首都パータリプトラを訪れた。ジャイナ教の伝説によると,チャンドラグプタは老齢にいたってジャイナ教に改宗し,王子のビンドゥサーラに位を譲ったあと出家して聖者バドラバーフBhadrabāhuの弟子となり,師に従って南インドに移り,苦行生活を送りつつここで没したという。
執筆者:山崎 元一
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生没年不詳。古代インドのマウリヤ朝の建設者(在位前317~前296ころ)。卑賤(ひせん)な階級の出身といわれているが、確かなことはわかっていない。マガダ国のナンダ朝を倒し、それにかわって、2世紀にわたり進展してきたマガダ国の北インド統一支配の事業を遂行し、さらにアレクサンドロス大王が残したギリシア人勢力を西北インド辺境地方から一掃した。紀元前305年ごろセレウコス朝ニーカトール(セレウコス1世)が東進すると、これと和議を結んで、アフガニスタン南半をも領土とした。かくして彼は空前の大領域をもつインド最初の統一帝国を建設した。この帝国については、セレウコス朝の使節メガステネスの旅行記と、チャンドラグプタの宰相カウティリヤの著作といわれる『アルタ・シャーストラ』(実利論)とに描かれている。それによれば、彼は専制的な君主であって、帝国の支柱は巨大な常備軍と機構の整備した官僚とであった。豊饒(ほうじょう)なガンジス流域は河川によって灌漑(かんがい)され、その発展した農業生産は帝国の経済的基盤となった。また、都市の商工業を管理下に置き、その交易を監督した。
[山崎利男]
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…7世紀以後とされる碑文が多く発見され,そこに見られる伝承で注目される。それによれば,〈チャンドラグプタ(前4世紀末)は老齢にいたりジャイナ教に改宗し,王位を譲り出家し師に従ってマイソールの聖地シュラバナベルゴーラに隠棲し,苦行して断食死をとげた〉という。10世紀以後のジャイナ教諸文献も同じ内容の伝承を伝え,これを論拠に,マウリヤ朝の創始者チャンドラグプタが晩年にジャイナ教に改宗したと推論する学者も多い。…
※「チャンドラグプタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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