ターター財閥(読み)ターターざいばつ(英語表記)Tātā

改訂新版 世界大百科事典 「ターター財閥」の意味・わかりやすい解説

ターター財閥 (ターターざいばつ)
Tātā

ビルラー財閥とともにインドの巨大財閥の双へきの一つ。ボンベイ(現,ムンバイー)のターター父子会社Tātā Sons Pvt.Ltd.という本社・持株会社の下に,ターター鉄鋼社(TISCO)を筆頭に数十社の直系大会社を擁する。その総従業員数は30万人ちかく,資産や売上高でみてインドの全民間企業の約1割を占める。その歴史は長く,ロマンに富む。創立者のジャムセトジー・ターターJamsetji N.Tātā(1839-1904)が1869年に綿花商から綿紡織業へ転進したのが起源。以来新しい技術と経営方式を導入しながら成功をおさめ,20世紀初頭までに三つの大綿業会社を確立した。ついで1907年に,高揚する独立運動の機運をとらえて,全額インド人の資金による一貫鉄鋼所の起業に成功し,さらに10年以降三つの水力発電所を設けた。そうした民族的産業資本の発展を通して,ターターはインドの政治的独立のための基礎を準備した。今日ではそれらの大会社のほかに,車両・トラック工場をもつ巨大会社のターター機械・機関車会社(TELCO)をはじめ,化学,電機,水産,印刷・出版化粧品ホテル,貿易など多様な分野(糖業,建設海運を欠く)で諸社を擁しコンツェルン型の財閥となっている。金融関係の会社は国有化された。全インドにわたって生産拠点をもち,日本の企業とも明治中ごろ以来親密である。
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百科事典マイペディア 「ターター財閥」の意味・わかりやすい解説

ターター財閥【ターターざいばつ】

インド経済の中枢をにぎる最大の財閥。ターターJ.N.Tata〔1839-1904〕が1874年紡績工場を興し,1907年ターター鉄鋼を設立両次大戦を通じて発展し,国内生産の約8割を占めた鉄鋼を中心に電力,機械,綿業,金融などにわたる50余社を支配。戦後の経済開発期にも政府や世界銀行の支援でさらに躍進した。
→関連項目エア・インディア[会社]ジャムシェドプルパールシービルラー財閥

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ターター財閥」の解説

ターター財閥(ターターざいばつ)
Tata

インドを代表する財閥の一つ。パールシーのターター家が,ボンベイの持株会社ターター商会を通じて支配する。創始者のジャムセトジー・ターター(1839~1904)が,1860年代末,アビシニア遠征への補給から得た利益を,綿業に投資して基礎を築いた。1907年にはジャムシェドプルに,全額インド資本によるターター鉄鋼会社を設立,重工業に進出した。民族資本とされるが,鉄の主な顧客が政府や鉄道だったことなどから,植民地政府との関係も深かった。有名なタージマハル・ホテルもターター系列。

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世界大百科事典(旧版)内のターター財閥の言及

【ジャムシェドプル】より

…人口46万1000(1991),大都市域人口82万9000(1991)。ターター財閥が1907年にここにインド最初の製鉄所を建設し,財閥の創始者ジャムシェドジ・ターターにちなんで命名した。20年代から蒸気機関車,車両,鋼管・鋼板,農業機械,被覆電線などの諸工場が主として同財閥によって建設され,重工業都市に成長した。…

※「ターター財閥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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