精選版 日本国語大辞典 「ジョン」の意味・読み・例文・類語
ジョン
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アメリカのプロ野球選手(左投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のクリーブランド・インディアンス、シカゴ・ホワイトソックス、ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・ヤンキース、カリフォルニア・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)、オークランド・アスレチックスで投手としてプレー。野球選手としては困難といわれてきた肘(ひじ)への靭帯(じんたい)移植手術を施し、みごとに復活した左腕投手であり、これにより同様の故障をもつ選手に新たな道を開いた。現在、同手術は「トミー・ジョン手術」とよばれている。
5月22日、インディアナ州テレ・ホートで生まれる。1961年、インディアンスに入団。1963年に大リーグに昇格したが、64年までの2年間で2勝しかできず、ホワイトソックスへトレードされた。1965年に14勝をあげて頭角を現わし、68年まで4年連続2桁(けた)勝利をマーク。1969年は9勝に終わったが、70年からふたたび5年連続2桁勝利をあげた。この間、1972年にはドジャースに移籍した。1974年のシーズンオフ、痛みのひかなかった左肘を手術。翌75年1シーズンはリハビリにあて、76年から復帰した。同年10勝、1977年には初の20勝もマークしてみごとに甦(よみがえ)った。1979年からはヤンキースに移り、80年まで2年連続して20勝を記録した。その後、数球団を渡り歩いたが、1987年にヤンキースで13勝したのが最後の活躍となり、89年限りで現役を引退した。実働年数は投手では歴代2位の記録である。
実働26年間の通算成績は、登板試合760、投球回4710と3分の1、288勝231敗、防御率3.34、奪三振2245、162完投、46完封。
[山下 健]
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イギリスのポップ・シンガー,ピアニスト,作曲家。少年の頃から小さな酒場のピアニストとして働きながら音楽学校に通い,卒業後はブルース歌手の率いるバンドでオルガンを弾いた。作詞家を志すB.トーピンと知り合って作曲に励み,合作した《レディ・サマンサLady Samantha》をジョンが歌って,1969年にシングル盤で発売。続いて初のLP《エンプティ・スカイEmpty Sky》を出して名声を獲得した。初めは,ピアノを弾きながら抒情的に歌うスタイルで,作品も格調の高いものが特徴だったが,たびたびアメリカに公演してファン層が広がるにつれ,作曲も大衆の好みに合わせる傾向が強まり,コンサートでの派手なアクションや奇抜な服装を売物とするようになった。97年には,ダイアナ元皇太子妃の葬儀で《キャンドル・イン・ザ・ウィンドCandle in the Wind》を歌い,その曲のシングルCDは空前の大ヒットとなった。
執筆者:中村 とうよう
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血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
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