ゲッティンゲン大学(読み)ゲッティンゲンだいがく

改訂新版 世界大百科事典 「ゲッティンゲン大学」の意味・わかりやすい解説

ゲッティンゲン大学 (ゲッティンゲンだいがく)

ドイツのゲッティンゲンにある大学。ハノーファー選帝侯ゲオルクアウグスト(のちのイギリス王ジョージ2世)がミュンヒハウゼンGerlach Adolf Freiherr von Münchhausen(1688-1770)の計画にもとづいて1737年に開設した。正式名称はゲオルク・アウグスト大学Georg-August-Universität。ラテン語にかえてドイツ語による授業,実験に基づく自然科学,新人文主義的古典研究により名声を博し,ハレ大学(1694創設)とともに大学史上の一時代を画する重要な役割を果たした。1837年〈ゲッティンゲン七教授事件〉が発生した。アルブレヒト,ダールマン,エワルト,ゲルビヌスグリム兄弟,W.ウェーバーの7教授は,1833年に施行された民主的なハノーファー憲法の廃止に抗議声明を発表。これに対し国王エルンスト・アウグストは7教授を免職,国外追放にした。66年普墺戦争の結果プロイセンの大学となった。1996年現在,神学法学医学哲学理学,林学,農学,経済,社会科学,地球科学,教育などの14学部をもつ。教師数は650,学生数は約3万1000である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲッティンゲン大学」の意味・わかりやすい解説

ゲッティンゲン大学
げってぃんげんだいがく
Georg August-Universität

1737年ハノーバー選帝侯によって設立され、その名を記念してゲオルク・アウグスト大学と称される。ドイツ連邦共和国のゲッティンゲン市にある総合大学。創設時、ハレ大学をモデルに、中世以来の神学部優先を排し、科学の自由研究を重んじ、近代的大学への移行に先駆的な役割を果たした。有名なグリム兄弟を含む七教授Göttinger Siebenが、憲法上の問題でハノーバー王と対立して大学を去ったゲッティンゲン七教授事件(1837)は、大学の自由の歴史に一時期を画した。この大学は新人文主義発祥の地でもあり、ゲスナーJohann Matthias Gesner(1691―1761)らの言語学ゼミナールからは人材が輩出したことでも知られる。1995年現在、14学部(神学、法学、医・歯学、歴史・哲学、数学、物理学、化学、地球科学、生物学、林学、農学、経済学、社会科学、教育学)があり、学生数約3万人、教員数約2000人を数える。

[馬越 徹]

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大学事典 「ゲッティンゲン大学」の解説

ゲッティンゲン大学[ドイツ]
ゲッティンゲンだいがく

正式名は創設者の名前を冠してゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン(ドイツ)。神学,法学,医学,哲学,数学,物理学,化学など13の学部からなる総合大学である。大英帝国の王ジョージ2世としても知られるハノーファー選帝侯ゲオルク・アウグスト,G.によって,1737年にドイツ中部の街ゲッティンゲンに創設された。神学が優位に置かれた当時,ゲオルク・アウグストは啓蒙の精神の下,ドイツで初めてこれを廃し,各学問分野の同権をもたらした。1837年には,グリム兄弟を含む7人の教授が当時の選帝侯の政策に異議を唱えたことで追放または免職処分を受けたゲッティンゲン七教授事件の舞台となり,ナチズム期にはヒトラー政権下で50名の講師・教授が大学から追われるという暗黒の時期を迎えるが,第2次世界大戦後は再び先端研究において輝かしい業績を出している。2000年時点でのノーベル賞受賞者は科学,物理学,医学の分野において44名に上るほか,2007年には卓越した高等教育機関に重点投資を行うエクセレンス・イニシアティブにおいて「エリート大学(ドイツ)」に選ばれている。学生数は3万700人(2016/17年冬学期)
著者: 髙谷亜由子

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲッティンゲン大学」の意味・わかりやすい解説

ゲッティンゲン大学
ゲッティンゲンだいがく
Georg-August-Universität Göttingen

ドイツのゲッティンゲン市にある大学。正式名称はゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン。ハノーバー選帝侯でもあったイギリス国王ジョージ2世により 1737年設立。ハレ大学をモデルにして科学の自由な研究を重視し,大学革新運動の先駆的役割をになった。新人文主義の発祥地ともなり,J.ゲスナーの指導による言語学のゼミナールは多くの人材を輩出し,大学におけるゼミナール制度の起源となった。また,ゲッティンゲン七教授事件 (1837) や,C.ガウス,M.プランクなどの大学者の輩出などで知られる。大学図書館の蔵書は優に 200万冊をこえ,貴重な写本や古版本も多く,ドイツで最も豊富な収集の1つ。現在は神学,法学,医学,数学,物理学,化学,生物学,地球科学,森林学,農学,経済学,社会科学,教育などの学部から成り,ドイツでも有数の大学の1つである。教員数約 700名,学生数約3万 1000名 (1997) 。

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百科事典マイペディア 「ゲッティンゲン大学」の意味・わかりやすい解説

ゲッティンゲン大学【ゲッティンゲンだいがく】

正称はゲオルク・アクグスト大学。ドイツのゲッティンゲンにある大学。1737年に設立。ハレ大学に範をとり,科学の自由な研究を強調。18世紀後半の大学革新運動の先駆となり,その後急激に発展。1837年,国王によるハノーファー憲法の廃止に抗議したダールマングリム兄弟,W.E.ウェーバーらが免職・国外追放に処せられたゲッティンゲン七教授事件が起こっている。1996年現在,神学,法学,哲学,理学,医学など14学部よりなる。学生数約3万1000。
→関連項目ゲッティンゲン

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