オルドス(英語表記)Ordos

改訂新版 世界大百科事典 「オルドス」の意味・わかりやすい解説

オルドス (鄂爾多斯)
Ordos

中国の内モンゴル自治区南部のイフジュ(伊克昭)盟に属する地域。西,北,東を黄河によって囲まれ,南は万里長城が境界となっている。黄河にとり囲まれた地域という意味で,中国人は河套(かとう)と称する。南が高く(1500m)北が低い(1000m)高原で,大部分が砂漠と草原の乾燥地帯である。16世紀(明代の中期)からモンゴル族オルドス部の遊牧地となったので,その名が生まれた。モンゴル高原の南延部をなしていて,古くから漢民族と北方遊牧民族との争奪地であった。漢代には匈奴,隋代には突厥(とつくつ)など強力な民族がここを占拠すると,国都(長安)が危険にさらされるので,その撃退に非常な努力を払ったものである。漢民族の勢力が弱かったとき,五胡十六国時代には匈奴系の赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)がここに夏国を立て,宋代にはチベット系のタングート(党項)族が建てた西夏国の領土の一部となった。明代にはモンゴル族が優勢であったが,清代には政府の懐柔策が成功して平和が続き,これに乗じて東部では漢民族が進出して牧地の耕地化が行われた。近年,西部の黄河岸には烏海(うかい)市という市が設立され,付近の桌子山(たくしざん)炭坑の石炭をもとに冶金セメント,化学,機械などを主とする新興工業都市として発展している。また包蘭線(包頭パオトー)~蘭州)が通過し,ここから西に黄河を越えてジャルタイ(吉蘭泰)に至る支線も敷設された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「オルドス」の意味・わかりやすい解説

オルドス

中国,内モンゴル自治区南部,黄河の湾曲に囲まれた草原と砂丘の高原で,南は万里の長城に限られる。漢字では鄂爾多斯。中国人は河套(かとう)と呼ぶ。イフジュ(伊克昭)盟の大部分を占め,東部は雨量も多く,モンゴル人の遊牧地帯をなす。古く南北民族の争奪地となったが,18―19世紀に漢民族の入植が多く,現在は灌漑(かんがい)も行われ農業が盛ん。
→関連項目オルドス文化楡林

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「オルドス」の解説

オルドス
Ordos

モンゴルの部名。中国内蒙古自治区伊克昭(イフジョー)盟の地で,黄河湾曲部の内側の地域。オルドは宮廷を意味し,チンギス・カン廟が置かれたことからこう呼ばれる。16世紀初めに,ダヤン・ハーンが右翼3万戸の一つとし,第3子バルスボロトを分封して以後,その子孫が拠った。1635年に清朝に服属し,七つの旗に編成され,イフ・ジョー盟と称された。清末から漢人による開墾に対して住民による抵抗運動が発生した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「オルドス」の解説

オルドス
Èěrduōsī

中国,内モンゴル自治区南西部,黄河と万里の長城に囲まれた高原地域
古くは河南・河套 (かとう) と呼ばれた。遊牧の適地が多く,古くから北方遊牧民と漢族との抗争があった。秦〜漢代には匈奴 (きようど) がしばしば侵入し,五胡十六国時代には夏,宋代に西夏が建国した。明末期,モンゴルのオルドス部が占拠してからオルドスと呼ばれるようになった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android