エジプト暦(読み)エジプトレキ

デジタル大辞泉 「エジプト暦」の意味・読み・例文・類語

エジプト‐れき【エジプト暦】

前2000年ごろのエジプトで使われていた暦法太陽暦で、1か月を30日、1年を12か月と5日の、合計365日とした。

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精選版 日本国語大辞典 「エジプト暦」の意味・読み・例文・類語

エジプト‐れき【エジプト暦】

〘名〙 古代エジプトの太陽暦。紀元前四二〇〇年以前に始まる。初めは一か月を三〇日、一年を一二か月の三六〇日としたが、紀元前二〇世紀ごろから最後に五日を加え一年を三六五日とした。農業などの必要から、ナイル川氾濫時期を同じくする、シリウス日の出直前の東天出現を元日とし、一年を洪水種まき収穫三季に分けた。

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改訂新版 世界大百科事典 「エジプト暦」の意味・わかりやすい解説

エジプト暦 (エジプトれき)

古代エジプトで使用された暦。古代エジプト人は1年を太陽の運行に必要な周期としてではなしに,彼らの農業生産物を得るのに必要な期間と考えた。雨の降らないエジプトでは,生命はすべて〈ナイルの賜(たまもの)〉なのである。したがってナイルの洪水が彼らにとって最大関心事であった。ヘリオポリス,メンフィス地方では7月下旬よりナイル川の増水が始まり,これと時を同じくしてシリウス(ソプディットSopdit)の日の出直前の出現(ヘリアカル・ライジング)を見ることができた。これは通常ユリウス暦7月19日のことで,この二つの現象を結び付けて古代エジプト人は,イシスに同化されたソプディット女神の涙によりナイルの洪水が起こるものと考え,イシスを年の守護神とし,この日を〈ウプ・レンピット〉すなわち新年とした。古くからヘリオポリスでは太陽の軌道とシリウスの位置について正確な観測がなされ,〈偉大なる観測者〉の称号が高位の神官に与えられた。彼らは1年を4ヵ月よりなる三つの季節とした。第1の季節は,エジプト全土に生命の水があふれ,死せるクムの復活の季節=洪水季(アクト),第2は,農耕地・灌漑水路網の整備,土が堅くなる前に行われる耕作・播種・発芽の季節=播種季(プルト),第3は収穫の季節=収穫季(シュムウ)であった。1ヵ月は30日より構成され,1年は360日,それにオシリスホルスセト,イシス,ネフテュスの5神の誕生日を祭日として付加して365日とした。この暦では4年ごとの閏(うるう)年が計算されなかったので,4年目に天文暦より1日早くなり,365×4=1460年目でこの暦と一致する。これを〈ソティス周期〉といって,後139年にこの一致をみたので,逆算すると前1321-前1318年,前2781-前2778年,前4241-前4238年に両方の暦日が一致することになり,エジプト年代学の礎石となった。また古王朝期の初めより年の単位で記録する方法が行われていたことから,この暦法の導入を前4241-前4238年とする説が有力である。前238年プトレマイオス3世は4年目に5日の祭日にさらに1日を付加すべきことを命じ,暦の調整をはかった。エジプトでは古い時代から太陰暦も用いられていたことは明らかで,月を構成する30日の日の名称からも理解されよう。このほかに祭礼・宗教行事のための奉献カレンダーや吉凶暦などが使われた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エジプト暦」の意味・わかりやすい解説

エジプト暦
エジプトれき

古代エジプトにおいて,は人々の生活,あるいは人間の行為の宗教的意味づけに重要な役割をもっていた。初期エジプトでは太陰暦を用いていた形跡もみられるが,農業に密接な関係のあるナイル川増水の時期を,恒星シリウスが日の出前に初めて現れるときで予測するようになり,そこから洪水と洪水の間を1年の単位とし,365日と数えるにいたった。またグノモンという柱を用いた太陽による観測法も行われ,これらの基礎のうえに太陽暦が使用されるようになった。それは前 4241 (一説に前 2781) 年頃に成立し,年の始りは7月中旬とされた。1日は昼夜各 12時間から成り,1ヵ月は 30日で 10日ずつ3期に分けられる。1年は 12ヵ月,360日とオシリスホルスセトイシスネフテュスの5神の誕生日を祭日として都合 365日とした。また1年は4ヵ月ずつ3季節に分けられ,第1の季節はシャイト (洪水) ,第2はピリト (種まき) ,第3はシェムウ (収穫) と呼ばれた。前 238年にプトレマイオス3世は,4年ごとに閏年をおく法を定めたが,実施されたのは,ローマ時代にユリウス暦が制定されたときからであった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エジプト暦」の意味・わかりやすい解説

エジプト暦
えじぷとれき

古代エジプトで行われた暦。世界各地で暦法が発生した初期の時代、その多くが太陰暦法であったと考えられるが、ひとりエジプトでは太陽暦法であった。初めは1年を12か月、1か月を30日、1年を360日としたが、紀元前20世紀ごろから365日の移動年(年始が年ごとに移動する)とし、30日ずつの月12か月に5日の余日を最後に付加する太陽暦法であった。そしてこれを洪水、種蒔(たねまき)、収穫の3季に分け、各季を4か月とした。

 エジプトではシリウス(おおいぬ座α(アルファ)星)が日の出の直前に東天に昇るころの一定時期に、ナイル川が氾濫(はんらん)し、農業や生活に重大な影響を与えた。そのためシリウスの日の出直前の出現を予知する必要から1年365.25日を知り、シリウスの出現の日は元日とされた。この1年をシリウス年とよぶ。しかしエジプト暦では、年は移動年であるから、季節はしだいにずれていく。1461暦年は1460シリウス年に等しく、季節は1461移動年で元に戻る。この周期をシリウス周期とよぶ。前238年にプトレマイオス3世(在位前246~前221)は4年ごとに1日を歳末に加えるよう法令を出したが、実際には行われなかった。古代エジプト人の子孫であるコプト人の間で使用されたコプト暦は、エジプトと同じ太陽暦で、エチオピアでも用いられた。

[渡辺敏夫]

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