イングランド教会(読み)いんぐらんどきょうかい(英語表記)The Church of England

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イングランド教会」の意味・わかりやすい解説

イングランド教会
いんぐらんどきょうかい
The Church of England

16世紀、イギリスにおける宗教改革の結果成立した教会。イギリス国教会、英国国教会、アングリカン・チャーチThe Anglican Church、英国聖公会ともいう。

八代 崇]

歴史

イギリスにおけるキリスト教伝道は、3世紀ごろからローマ教皇の管轄外のケルト系宣教師によって行われたが、597年カンタベリーアウグスティヌス(604没)の渡英以降、ローマ教皇を頂点とするローマ・カトリック教会の一員として再編され、王権教皇権の相克にもかかわらず正常な関係を維持した。

 ヘンリー8世(在位1509~47)は王妃との離婚問題でローマ教皇と対立したことを契機に、1534年「国王至上法」によってイギリスの教会をローマから離反させ、自らその最高首長となり、普遍的な教会のイギリスにおける組織を「国法によって確立されたイングランドの教会」に改編した。1554年、メアリー1世治世下に国教会のローマ・カトリック教会への復帰が実現したが、58年のエリザベス1世(在位1558~1603)の登位とともに、ふたたび「教義的にはプロテスタント、教会政治と礼拝様式上はカトリック」といわれる国教会体制が確立した。

 17世紀に入ると、沈黙を余儀なくされてきたピューリタンは、王政を打倒するとともに、主教制と祈祷書(きとうしょ)による礼拝を廃止し、長老主義、ついで会衆主義を確立したが、1660年、王政復古とともに主教制と祈祷書が回復されると、信従を拒否して非国教徒となり、88年の名誉革命後は自由教会を創設した。

 近世に入ってイングランド教会の信仰復興は、18世紀のメソジスト運動と19世紀のオックスフォード運動によって果たされる。産業革命によって都市に移住した労働者や貧民に救いの手を伸べ、回心と聖化を説いたウェスリーのメソジスト運動は、やがて国教会の外に出て一教派をつくったが、国教会内の福音(ふくいん)主義者(低教会派)に多大の影響を及ぼした。無力な教会首脳部にかわって、教会に必要な改革を上から押し付ける政府に対して反発し、国教会の自己革新と自主性回復を目ざしたキーブル、ニューマンらのオックスフォード運動は、国教会内に生気を取り戻し、礼拝に荘厳さを与え、聖職者の教育および道徳の水準を高め、海外伝道を活発にした。

[八代 崇]

組織

イングランド教会はカンタベリー、ヨークの2管区からなり、現在カンタベリーに39の主教区、ヨークに14の主教区が存在する。ウェールズ教会は、伝統的に国教会と密接な関係を維持してきたが、別の管区を構成している。各主教区は複数の大執事区からなり、各大執事区はさらに複数の教区教会からなる。カンタベリー、ヨーク両大主教はそれぞれの管区の管轄者として聖職会議を招集し、大主教裁判所を主管する。教区主教はそれぞれの主教区で管轄権を有する。

 宗教改革期には、ローマからの離反も、教義、礼拝様式の決定も、すべて議会における立法措置によって遂行されたが、近代に入って、非国教会員も議席を占める議会での教会事項の審議に疑義が出されたため、1919年の「授権法」によって信徒も参加する教会会議が発足し、70年には英国聖公会総会に改組されて今日に至っている。

[八代 崇]

教義と礼拝様式

イングランド教会の教義的立場を表明するものとして『三十九箇条』(1563)があげられるが、これは特定の時代の特定の問題に対処するためにつくられたものであって、イングランド教会を母教会とする他の地域の聖公会を拘束するものではない。聖公会の教義的立場は、1888年のランベス会議で承認され、各管区で受け入れられた『聖公会綱憲(こうけん)』によって示されており、(1)神の啓示としての『旧約・新約聖書』、(2)初代教会によって作成されたニカイア・使徒両信条、(3)救いに必要なサクラメントとしての洗礼と聖餐(せいさん)、(4)使徒継承に基づく主教、司祭、執事の3聖職位の遵守にあるとしている。

 礼拝様式は1549年に作成され、3年後に、よりプロテスタント的方向で改正された祈祷書によって規定されているが、オックスフォード運動以後、日曜日の主要礼拝も聖餐式となり、祈祷書もよりカトリック的方向で改正する努力がなされている。

[八代 崇]

現在のイングランド教会

近世に入ってからのイギリスの海外進出に伴って、イングランド教会の枝も北米、アフリカ、アジア、オセアニアに広まり、現在ではカンタベリー大主教との交わりのうちにある38の管区と4500万の信徒が全聖公会(アングリカン・コミュニオン)を形成している。各管区は独自の教会組織、意思決定機関、教会法、祈祷書を有し、他の管区の干渉を受けないが、『聖公会綱憲』によって、一つの教会としての一体性を保持している。20世紀に入って教会再合同運動が始まると、イングランド教会は、カトリックとプロテスタントとの中間的存在として、諸教会間の話し合いを促進し、ローマ・カトリック教会との間にも「聖公会、ローマ・カトリック教会国際委員会」を設けて、重要教義に関する合意に達している。

[八代 崇]

『塚田理編『イギリスの宗教』(1980・聖公会出版)』

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