アーグラ(英語表記)Āgra

改訂新版 世界大百科事典 「アーグラ」の意味・わかりやすい解説

アーグラ
Āgra

インド北部,ウッタル・プラデーシュ州西端の都市首都ニューデリーの南南東およそ200km,ヤムナー(ジャムナ)川の右岸に位置する同名県の県都で,ムガル帝国時代の古都として有名である。人口127万5134(2001)。16世紀初頭にイスラム教徒でデリーに都したシカンダル・ローディーSikandar Lodīの支配地に入り,この地方の政治・経済の中心地として発達した。ローディー朝を倒したムガル帝国の3代目アクバル帝が,1564-75年の間にアーグラ城を建設した。当時のアーグラ城は,今日,町の中央ヤムナー河畔に残る。これより約2km東に,世界最高のイスラム墓廟とされるタージ・マハルがある。これはシャー・ジャハーンが,愛妃のために1632年から22年の歳月を要して建立したもの。1803年,東インド会社の保護下に入り,1833-58年の間アーグラ管区(後の北西管区)の主都であった。タージ・マハルの東およそ1kmには,1960年代中葉より15年間にわたって続けられた,日本の政府・財界の援助によるアジア救癩センターのインド本部がある。町はインドを代表する観光都市として,国内外の観光客が絶えず,金銀細工,大理石細工などが特産品として有名である。
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百科事典マイペディア 「アーグラ」の意味・わかりやすい解説

アーグラ

インド北部ウッタル・プラデーシュ州,ジャムナ川右岸の都市。商業交通要地皮革製品,ガラス細工,じゅうたん,工芸品などの手工業がある。1566年―1658年ムガル帝国の首都,デリー遷都後衰退。タージ・マハル,モーティ・マスジッド(真珠宮),アーグラ城などインド・イスラム建築の粋が集まっている。アーグラ城は1983年,世界文化遺産に登録。総合大学(1927年創立)がある。176万人(2011)。
→関連項目アクバルアーグラ城塞ファテープル・シークリーレッド・フォートの建造物群

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーグラ」の意味・わかりやすい解説

アーグラ
Āgra

インド北部,ウッタルプラデーシュ州西部,ジャムナ川に面する商業都市。アーグラ県の行政庁所在地。地方行政の中心地。 1566年アクバル帝によって建設され,1658年のデリー遷都まで約1世紀の間ムガル帝国がここを首都として北インドを支配した。この期間は,ちょうどアクバル帝からシャー・ジャハーン帝にいたる,ムガル帝国の最盛期にあたる。 1803年にイギリスの支配下に入ってからも,周辺地区の行政中心地として重視された。陸軍空軍の司令部や兵営がおかれ,軍事上も重要。アーグラ大学をはじめ教育機関も集中。周辺は広大な平野で,道路,鉄道,河川交通の要地。空港もある。農産物や日用品の集散が行われ,大理石細工,綿織物,カーペット,なめし皮,靴などの製造が盛ん。ムガル帝国時代の建築物が多く,イスラム建築の代表といわれるタージ・マハルや,赤色砂岩の大城壁をめぐらすアーグラ城は特に有名。人口 89万 9195 (1991) 。

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