アメリカ文学(読み)あめりかぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アメリカ文学」の意味・わかりやすい解説

アメリカ文学
あめりかぶんがく

アメリカ文学は、いうまでもなく西欧文学の一環をなすものであるが、17世紀初頭イギリス人による植民地建設以来、独自の歴史的発展、社会構造、地理的距離などによって、旧大陸のいずれの国の文学とも異なった新しい文学伝統を形成し、20世紀から21世紀にかけて、世界文学の前衛として無視しがたい影響力をもつようになった。

[渡辺利雄]

アメリカ文学の特質

アメリカ文学に独自の性格を与えたアメリカ社会の特殊な条件を考えるとき、まず第一にあげなければならないのは、その歴史の浅さであろう。積み重ねによる文化伝統の欠如は、かつてはアメリカ文学のハンディキャップとされることが多かったが、やがてこの文化的空白は、夾雑(きょうざつ)物なしに人間と社会のさまざまな問題を純粋かつ根源的に究明する場となり、伝統にとらわれない真に新しい文学を生み出すきっかけとなった。もし旧大陸の文学が過去と伝統に基づく文学であるとするならば、アメリカ文学は未来と夢のうえに成立する文学といえよう。

 第二の条件としては、アメリカの広大な空間をあげなければならない。アメリカの歴史は、19世紀末まで、大西洋岸から始まって、絶えず西へ向かった開拓の歴史といってよいが、開拓地での広大な自然と文明の対立は、アメリカ文学に繰り返し現れる重要なテーマとなった。それは一方では、文明による理想社会の建設を意味したが、他方では、文明を人間の抑圧、堕落とみなし、汚れなき自然に人間性の回復と人間の再生を求める試みでもあった。歴史的な時間や、文化的伝統を欠いたむき出しのアメリカの空間に直面したアメリカの文学者たちは、孤立した自己に目を向け、人間の究極的な存在意義をあくまでも追求しようとした。

 さらに第三には、アメリカは旧世界から移民してきた人々からなる社会であるが、この複雑な人種構成が文学にも反映される。それは、黒人問題のように根深い人種的対立として現れることもあるが、同時に、異なった言語や習慣や文化伝統をもった多様な人間が、アメリカ人という共通のアイデンティティを発見し確立する過程でもある。H・ジェームズは、かつてアメリカ人であることは「複雑な宿命」だといったが、移民の体験を通して、旧世界の人間からアメリカ人に「なる」ということは、何を意味するのか、アメリカ人で「ある」ことは何によって証明されるのか、この疑問によってアメリカ文学はきわめて自己意識の強い文学となった。

 第四としては、移民たちが、旧世界における宗教的、政治的迫害を逃れ、新大陸アメリカに自由と平等と独立を求めたという歴史的背景があり、アメリカ文学は、そうした事情を反映して、旧世界にはみられないアメリカのデモクラシーの思想、階級社会を否定する平等の理念、経済的な自立、安定などを賛美する文学となった。しかしその一方では、旧世界で、ある種の精神的な安定と文化の連続性を保証していた社会的なきずな、つまり血縁、地縁を失った根なし草(デラシネ)の不安がアメリカ人の意識の底にあり、その結果、孤独感、疎外感、あるいは帰属集団を求めての放浪がアメリカ文学の大きな特徴となる。それはわれわれ現代人の置かれた社会状況といってよいものであり、そこにアメリカ文学の現代性と普遍性を認めることができるだろう。

 第五としては、旧大陸ヨーロッパに対する微妙な態度をあげなければならない。このヨーロッパに対する意識は、植民地時代以来、長い間、文化的な劣等感、後進・従属の意識であったが、やがて政治的に独立を達成したあとは、文化的な独立をも訴える声が強まり、ヨーロッパの文化伝統を腐敗し堕落した世界として拒否し、アメリカ社会を、たとえ荒削りであろうと、本質的には無垢(むく)で健全な社会として、その独自性を強調する自己主張となった。ヨーロッパに対するこの揺れ動く微妙な自己意識は、これまた、アメリカ文学に、ヨーロッパ文学にはみられない独自の性格を与えた。

 こうしたアメリカ文学の特徴、傾向は、結局、伝統や、因襲、前例にとらわれない若者の特徴ということができるだろう。アメリカ文学は、本質的には若者の文学であり、ヨーロッパの偉大な文学伝統に挑戦するような形で成立し、発展していった。夢と未来に生きる、伝統をもたないアメリカ。その未来志向性、楽観主義。そして、過去の文化伝統との断絶。文化の中心からの距離。複雑な人種構成。文化の多様性。そうした混沌(こんとん)と変化のなかからアメリカ人は一つの文学伝統を創造し、つねに未来に向かって新しい可能性を追求していったのであり、そこにアメリカ文学の本質と魅力があるといってよい。

 アメリカはすでに独立から200年余。世界はソビエト連邦が崩壊し、ヨーロッパもEU(ヨーロッパ連合)の時代に入っている。そうした国境なき時代に、アメリカ文学の特質をことさら強調することは問題があるかもしれないが、アメリカ文学の歴史を振り返ってみると、やはり、そこにはアメリカ独自の特徴、傾向を認めることはできる。そこで、以下、それぞれの時代に即して、アメリカ文学の流れを概観し、アメリカ的と思われる主題や、技法の特徴を明らかにしていくことにしよう。

[渡辺利雄]

アメリカ文学の歩み

植民地時代――ピューリタニズムと啓蒙思想

イギリス人による北米大陸アメリカの最初の植民地建設は、1607年、南部バージニアのジェームズタウンにおいてであったが、2世紀にわたる植民地時代の文化の中心は、1620年、有名な「メイフラワー号」でマサチューセッツのプリマスに上陸した「ピルグリム・ファーザーズ」たちによって植民が始められた北部ニュー・イングランドであった。もちろん、文化といっても、まだ純文学といえるものはほとんどなかった。厳しい自然のもとで困難な開拓を続ける彼らには、文化的な生活を楽しむ余裕がなかったし、また彼らの宗教ピューリタニズムが純文学に偏見をもっていたからである。さらに文学作品が必要な場合は、イギリスから輸入したほうがてっとり早かったし、質的にも優れていた。したがって、彼らが残したものは、大部分、毎日の生活を記録した日記や、植民地の歴史、旅行記、報告書、説教集、教義に関する論争などであった。しかし、そのなかで、植民地の優れた2人の指導者W・ブラッドフォードとJ・ウィンスロップが記した植民地建設の歴史は、信仰と新しい社会に寄せる植民地人の情熱を、素朴かつ雄勁(ゆうけい)な文体によって記録した文章として、アメリカ文学の事実上の出発を飾るものとなっている。

 このように、想像力による文学作品はほとんど書かれなかったが、ピューリタンたちの信仰に由来する、真摯(しんし)で厳しい自己内省の習慣は、このあとアメリカ文学を強く特徴づける強烈な自己意識につながっていったといってよく、また、彼らの聖書解釈の一つの方法である「予型論(タイポロジー)」は、19世紀のアメリカ・ロマン主義のメタファー(比喩(ひゆ))、アナロジー(類推)、シンボリズム(象徴主義)などによる発想法に少なからざる影響を及ぼした。また、ピューリタンたちは文学をまったく理解しなかったわけではなく、夫婦の愛情を力強く歌ったアメリカ最初の女性詩人A・ブラッドストリート、死後200年たってその遺稿が発見され、現在ではアメリカ有数の詩人とみなされているE・テーラー、地獄の恐怖を鮮明に描き当時の大ベストセラーとなった『審判の日』(1662)で知られるウィグルズワースMichael Wigglesworth(1631―1705)がいたし、この時代の最大の神学者マザーCotton Mather(1663―1728)や、植民地で最初に印刷された書物『マサチューセッツ湾植民地賛美歌集』(1640)なども、文学史上、無視するわけにはいかない。

 植民地時代も18世紀後半に入ると、独立革命の気運が高まり、ヨーロッパの啓蒙(けいもう)思想、合理精神の影響のもとに多くの政治文書が書かれた。アメリカは、かつての神を中心とした信仰の世界から、自然の法則と人間の理性に信頼を置く人間中心の世界へと移り、デモクラシーの理念、人権思想、植民地の自決権などを雄弁に主張したT・ジェファソンの「独立宣言」(1776)やT・ペインの『コモン・センス』(1776)が文学史上でも重要な位置を占める。しかし、この時代をもっともよく代表するのは「すべてのヤンキーの父」と称されるフランクリンで、彼の合理主義と実践的な功利主義のエッセンスは『富へ至る道』(1758)や『自伝』に盛り込まれ、後世に大きな影響を及ぼした。その一方では、かつての宗教的な情熱が年ごとに薄れ、合理的な理神論が有力になるなかで、信仰復活を目ざす「大覚醒(かくせい)運動」が起こり、その指導者であったアメリカ最大の神学者J・エドワーズは、恐怖の説教として有名な「怒れる神の手に捉(とら)えられた罪人たち」(1741)で、急速に世俗化し神を顧みない植民地住民に警告を発した。文学が本来的に、人間の魂の問題にかかわるものであるとするならば、エドワーズのこうした説教や人間の自由意志に関する論考は、19世紀のC・B・ブラウン、ポー、ホーソン、メルビルなどにつながる伝統の源流とみなすことができる。また、フランスに生まれアメリカ生活が長かったクレブクールは『アメリカ農民の手紙』(1782)で「アメリカ人、この新しい人間は何者か」というアメリカについての永遠の問いを最初に問題にし、クェーカー教徒のJ・ウルマンは、自らの内面生活を敬虔(けいけん)に語った『日記』(1774)を残した。

[渡辺利雄]

独立戦争から「アメリカン・ルネサンス」へ

政治的に独立を達成し、社会が安定するにつれて、アメリカにも職業作家が姿を現してきた。日本でも明治時代から『スケッチ・ブック』(1819~1820)で親しまれているW・アービングは、アメリカ最初の文人の一人とされるが、彼は歴史の浅いアメリカ社会よりも、ロマンチックな連想を伴った旧大陸の風物に心を引かれ、イギリスに長く滞在し、その風俗習慣を典雅な文体で描いた。しかしその彼も、アメリカの伝説をもとに「リップ・バン・ウィンクル」を書いて、アメリカの素材によるアメリカ文学の可能性を示している。しかしアメリカの最初の職業小説家という名誉は、彼よりも10歳ほど年長のC・B・ブラウンのもので、彼はアメリカを舞台に『ウィーランド』(1798)などゴシック・ロマンスを書き、現実と幻想の交錯する世界に人間の真実を追求する、アメリカ文学でひときわ目だつ「ロマンス」の伝統を確立した。

 その一方で、当時の読者には女性が多く、そうした女性読者のために家庭を舞台に女性の美徳や、恋愛をめぐるセンチメンタルな小説も少なからず書かれていた。その後、アメリカでは男性作家が主流となり、女性の感傷的な小説はこれまで無視されがちであったが、1960年代末以降のフェミニズム運動の盛り上がりとともに再評価され、アメリカ最初のベストセラー小説とされる『シャーロット・テンプル』(1794)を書いたスザンナ・ローソンSusanna Rowson(1762―1824)などに新しい光があてられるようになった。これらの女性小説は18世紀中葉イギリスのS・リチャードソンの教訓的書簡体の感傷小説の影響を受けているが、アメリカを舞台に保守的な親から独立し、自由な恋愛、自立した生活を求めるヒロインに旧大陸とは違った女性の生き方が認められる。

 この時代のアメリカ文学でより重要な位置を占めるのは、開拓地を舞台に文明と自然の対立、あるいは白人開拓者と先住民インディアンの宿命的な対決を『モヒカン族の最後』(1826)などのロマンチックな冒険物語として描いたJ・F・クーパーである。彼はアメリカの発展のため開拓の必要性を認めつつ、同時に、滅びゆく自然を惜しみ、理想化された自然人ナッティ・バンポーを創造した。また詩人としては、あまりにも有名なE・A・ポーがいる。アメリカ社会からいわば遊離し、疎外された非現実の幻想と美の世界で、彼は、時代と空間の制約を越えた優れた詩を書いただけでなく、作品として最大の効果をあげるため短詩・短編を主張する批評家として、また推理小説の開祖として、後世に計り知れない影響を残した。ボードレールやマラルメを通してフランスの象徴主義運動につながってゆく彼は、アメリカ文学の国際的な一面を示す最初の文学者というべきであろう。

 1830年代に入ると、超絶主義が思想的にアメリカの主流となり、19世紀の中葉にはボストンを中心に、「アメリカン・ルネサンス」と称されるアメリカ・ロマン主義文学がみごとに花を咲かせた。アメリカ文学のもっとも充実した時期の一つが早くも訪れたのである。その中心となったのは「コンコードの哲人」とよばれたエマソンで、1837年に彼が行った講演『アメリカの学者』は、アメリカの「知的独立宣言」といわれるほど、アメリカの知識人に深い感銘を与えた。さらに『自然論』(1836)などの著作で、彼は自然と神と直接交わることの意義を説き、またピューリタニズム以来の暗い人間観を一掃して、人間の内部の神聖さを主張し、この時代の自己信頼に基づく楽観的な精神風土を確立した。彼の思想に共鳴したソローは、自然のなかで孤独な生活を送ったときの記録『ウォールデン――森の生活』(1854)によって現代のエコロジー運動につながるとともに、奴隷制度を容認する政府に抵抗した生き方は、インドのガンディーに受け継がれ、20世紀の反戦運動などの支えともなった。『草の葉』(1855~1892)の詩人ホイットマンも、エマソンの思想を大胆に発展させたといってよく、『草の葉』の初版を読んだエマソンは、彼に祝福と激励の手紙を送った。なお、このエマソンなどの超絶思想が、明治時代から日本にも紹介され、北村透谷など『文学界』の人々に影響を与えたことは周知のとおりである。

 しかし、このエマソン流の無条件の楽観主義は、人間の本質と運命、社会の進歩などにきわめて懐疑的であったN・ホーソンやH・メルビルの反発を招き、彼らはそれぞれの代表作『緋文字(ひもんじ)』(1850)、『白鯨』(1851)で人間の暗い一面と本質的な悲劇を執拗(しつよう)に追求した。この時代は、一面では、産業の発達、西部の開拓の進展などによってアメリカがこれまでになく楽観主義を謳歌(おうか)した時代であったが、その影の部分には、人間について不気味なほどの懐疑がわだかまっており、社会的な慣習や妥協がクッションの役割を果たさないアメリカだけに、幻滅と絶望と自己否定に通じる激しさを伴っていた。しかし、この時代の激しいロマン主義文学は、19世紀の中葉には早くも自らの生命を燃焼し尽くし、そのあとには、H・W・ロングフェロー、O・W・ホームズ、J・R・ローウェルなど、西欧の伝統的な教養を身につけた「お上品な伝統」に属する保守的な文学者がアメリカを支配することになる。

[渡辺利雄]

リアリズムから自然主義へ

南北戦争(1861~1865)は、文学においても、大きな変化を示す境界線であった。この時代のアメリカ文学を新しく担う文学者たちは、エマソンの「知的独立宣言」とほとんど時を同じくして生まれ、南北戦争後、急激に変化するアメリカの現実にリアリスティックな目を向けた。彼らの多くはニュー・イングランド以外の出身で、その意味で、アメリカ文学はようやく全国的なものになった。その代表が、1869年に『赤毛布(あかゲット)外遊記』で一躍有名になった西部出身のマーク・トウェーンであり、それまでひたすら崇拝されてきたヨーロッパ文化を風刺したこの空前のベストセラーの旅行記によって、彼はアメリカの知的独立宣言を大衆のレベルで達成したといってよい。そして、南西部の自然に生きる少年の冒険と成長を新鮮な口語体で描いた代表作『ハックルベリ・フィンの冒険』(1885)によって、真にアメリカ的と称するにふさわしい文学伝統を確立した。彼があくまでもアメリカ的な価値や生き方を肯定した文学者であったのに対して、ニューヨークに生まれ、幼時から旧大陸での体験の豊富なH・ジェームズは、アメリカ文化とヨーロッパ文化を対比的に描く『ある婦人の肖像』(1881)や『使者たち』(1903)など、いわゆる「国際状況」小説を多く発表し、また、技法的にも登場人物の微妙な心理を探り、統一された視点から人間の複雑な意識を克明に記す心理主義リアリズムの道を切り開き、これまた現代文学につながるアメリカ文学のもう一つの伝統を確立した。現在では、この2人ほど高い評価は受けていないが、当時、アメリカ・リアリズム運動の推進役を果たしたのはW・D・ハウェルズであった。マーク・トウェーンもジェームズも彼の庇護(ひご)の下で文壇にデビューしたのであり、彼がいなければアメリカ文学はまた違ったものになっていたであろう。またこの時代は、資本主義が急激に発達して、そのひずみが目だってきた時代であり、トウェーンも晩年はアメリカ社会に懐疑的になり、歴史家H・アダムズは時代に対する絶望を表明した。

 19世紀後半、アメリカ文学はまた地方的な広がりをみせ、ニュー・イングランドの僻地(へきち)や、南部、西部など各地にいわゆる地方色(ローカル・カラー)の文学が現れ、アメリカの地域的な多様性を改めて示すことになった。一方、1890年代にかけては、アメリカでも、自然主義文学への傾斜がはっきりと強まった。『赤色武勲章』(1895)で南北戦争を舞台に、軍隊と戦闘のなかでただ翻弄(ほんろう)されるだけの若い無名の兵士の行動と心理を描いたS・クレーン、『オクトパス(章魚(たこ))』(1901)でカリフォルニアにおける農民と鉄道会社の凄惨(せいさん)な闘争を描いたF・ノリス、『荒野の呼び声』(1903)などで日本に早くから紹介されたJ・ロンドンなどがその代表的な存在である。彼らはゾラなどの理論に影響されているが、いずれも若くして世を去った自然主義作家で、その若さゆえに、人間を支配する自然主義の冷徹な法則に抵抗し、自らの運命を自ら選ぶ人間の自由な選択、決断と成長を重視しており、それが若者的性格をもったアメリカの根強い楽観主義を示すと同時に、アメリカ自然主義の独自の魅力となっている。

[渡辺利雄]

20世紀――モダニズムと抗議の文学

自然主義文学といえば、アメリカ特有の「成功の夢」に取りつかれ、冷酷非情な大都市で自己の欲望の犠牲となる若者の悲劇を、詳細な事実の積み重ねによって克明に描いたT・ドライサーがいるが、彼の長編第一作『シスター・キャリー』はちょうど世紀の変わり目1900年に出版され、アメリカ文学もいよいよ20世紀に入る。そして、彼の代表作『アメリカの悲劇』が出版されるのは1925年であるが、このころになると、彼より二回りも若い「失われた世代」の文学者たちが、次々と話題作、問題作を発表している。F・S・フィッツジェラルドの『偉大なギャツビー』が出版されたのは、その年のことであった。

 かつてヘミングウェイは、すべての現代文学はマーク・トウェーンの『ハックルベリ・フィンの冒険』に由来するといったが、現代アメリカ文学は直接トウェーンにつながっているわけではなく、その間にシャーウッド・アンダーソンとシンクレア・ルイスという2人の中西部出身の作家を入れる必要があるだろう。20世紀初め、アメリカはかつての農業中心の牧歌的世界から急速に工業、商業中心の機械化された世界に変わっていったが、その影響は農村にまで及び、人々は疎外に苦しみ、性的に抑圧されていた。あるいは、画一主義、体制順応主義がアメリカを支配していた。そうした環境でゆがめられた人生を送る「グロテスク」な人々をアンダーソンは『ワインズバーグ・オハイオ』(1919)で共感と同情をこめて描き、ルイスは辛辣(しんらつ)かつ鋭い風刺の筆でアメリカ人の自己満足を暴露した。このルイスは1930年、アメリカの文学者として最初にノーベル文学賞を受賞したが、それによってアメリカ文学は世界文学の一環として認知されたといってよい。第一次世界大戦を挟むこの時期に活躍したほかの文学者としては、ニューヨーク市の名門に生まれ、そこの上流社会を舞台に、洗練された風俗小説を発表して、H・ジェームズの伝統を継承するE・ウォートン、ネブラスカの開拓民のたくましい生活を描いたW・キャザー、南部バージニアのE・グラスゴーの3人の女性作家が従来から知られていたが、1960年代末から1970年代にかけてのフェミニズム、女性解放運動のなかで、それまで事実上忘れられていた南部ルイジアナ州のケイト・ショパンKate Chopin(1851―1904)が、アメリカを代表する女性小説家の一人として、文学史上、重要な地位を占めることになった。恵まれた家庭生活に満足できず、性に目覚め、姦通(かんつう)を犯し、最後は海で死を遂げる女性を描いた代表作『目覚め』(1899)は、アメリカの『ボバリー夫人』と称される。同じように、この運動のなかで再発見され、評価されるようになったギルマンCharlotte Perkins Gilman(1860―1935)もここで紹介しておく。人間としての存在を無視された女性を記録した「黄色い壁紙」(1892)はその方面の古典とされる。

 第一次世界大戦(1914~1918)は、南北戦争とはまた違った意味でアメリカ文学に新しい時代をもたらした。戦争の大義名分を信じて進んで大戦に参加した若い世代の文学者たちは、あまりにも非人間的な戦争の現実に衝撃を受け、幻滅し、既成のあらゆる価値を疑う「失われた世代」として、1920年代、「アメリカン・ルネサンス」と並ぶ一時期を実現させたからである。大戦後の経済的な繁栄と精神的な荒廃のさなかから、フィッツジェラルドは『楽園のこちら側』(1920)によってこの時代の旗手的存在となり、ヘミングウェイは『日はまた昇る』(1926)、『武器よさらば』(1929)で虚無に耐えて生きる若者の姿を彼一流の乾いた文体で描いた。南部では、W・フォークナーが、南部の伝統文化の衰退と現代文明の荒廃を二重写しにした『響きと怒り』(1929)、『アブサロム、アブサロム!』(1936)などの傑作によって、20世紀最大の作家という地位を得た。さらに南部といえば、やや遅れて、トーマス・ウルフも広大なアメリカの空間をすべて文学作品に取り込むかのように、『天使よ、故郷を見よ』(1929)以下の大長編を発表、アメリカでなければ現れない雄大なスケールをもつ巨人作家として知られる。

 彼らの多くは大戦後、ヨーロッパ各地を放浪したり、パリに定住したり、あるいはアメリカにとどまって、1920年代の表現主義、未来主義、ダダイズムなど、いわゆるモダニズムの影響の下で、また旧来の伝統にとらわれないアメリカ文学の伝統に従って、数々の大胆な文学上の実験を行い、サルトルなどの注目をひいた。そうした動きは詩においても顕著にみられた。詩人といえば、19世紀後半に生きながら大半の詩が20世紀に入ってから出版され、時代の制約を越えた特異な詩風で高い評価を得ている女流詩人E・ディキンソン、ニューヨークのブルックリン橋を象徴的に歌い、ホイットマンの伝統につながるH・クレーンなどがいるが、その一方では、ヨーロッパの文化伝統にひかれ、最後はイギリスに帰化したT・S・エリオット、それにE・パウンドの存在も重要である。彼らは、アメリカという国籍などはるかに超える視野をもったモダニスト詩人として活躍し、20世紀の西欧文学に大きな足跡を残した。そのほか、ニュー・イングランドを代表する国民詩人R・フロスト、難解な詩で知られるW・スティーブンズなども忘れられない。

 演劇では、ユージン・オニールが次々と世界的に注目を集める問題作を発表し、批評関係では、南部を中心に、南部の文化伝統を擁護しつつ現代文明の危機に文学を通して対決するJ・C・ランサム、A・テートなどの詩人、批評家が現れ、「新批評」と称する、文学の自律性を重視した分析批評がアメリカに定着した。なおこの南部には、このあと第二次世界大戦中から戦後にかけてR・P・ウォーレン、T・カポーティなどの男性作家と並んで、K・A・ポーター、C・マッカラーズ、E・ウェルティ、F・オコナーなど優れた女性作家が輩出し、「サザン(南部の)・ルネサンス」と称されるまでになった。

 1929年10月の大恐慌をきっかけにして、1930年代のアメリカは急速に左傾化し、社会の矛盾に目を向けて抗議する社会意識の強い文学が目だつようになった。第一次世界大戦批判から出発した「失われた世代」のドス・パソスは、アメリカそのものを批判的かつ総体的にとらえた三部作『U・S・A』(1938)をまとめ、J・スタインベックは『怒りの葡萄(ぶどう)』(1939)でアメリカの革新運動の伝統を受け継いだ。シカゴのスラム街に育つ青年を描いた『スタッズ・ロニガン』三部作(1932~1935)のJ・T・ファレル、南部の貧乏白人(プア・ホワイト)の欲望と悲惨な生活を独自のユーモアを交えて描いた『タバコ・ロード』(1932)のアースキン・コールドウェルなども無視できない。

[渡辺利雄]

第二次世界大戦後の文学

第二次世界大戦後、戦争をさまざまな角度から描いたN・メイラーの『裸者と死者』(1948)や、I・ショーの『若き獅子(しし)たち』(1948)、J・ジョーンズの『地上(ここ)より永遠(とわ)に』(1951)などが現れたが、その一方では、1951年、若者の間で爆発的人気をよぶことになるJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が出版され、その後、若い読者を中心に愛読されるJ・ヘラーの『キャッチ‐22』(1961)、K・キージーの『郭公(かっこう)の巣』(1962)、ボネガットの『スローターハウス5(ファイブ)』(1969)など、一連の若者のバイブルの最初の一冊となった。これらの作品は、若者による若者のための文学伝統がアメリカでいかに根強いかを物語っている。また、この1950年代は「ビート族」の時代で、現代文明を拒否し、セックスと麻薬に生の高揚を求める『路上』(1957)のJ・ケロアックや、詩人A・ギンズバーグが人気をよび、大胆な性描写によって現代文明批判を行うヘンリー・ミラーが正当に評価されるようになった。

 さらに、このころからとくに目だってきた傾向は、アメリカ社会でそれまで文化的に主流から外されていたマイノリティ・グループの文学者の活躍で、多民族からなるアメリカにいかにもふさわしい現象として注目すべきである。つまり、一つには黒人(アフリカ系アメリカ人)作家の台頭である。黒人文学は、奴隷制度下の19世紀前半から、ダグラスFrederick Douglass(1818―1895)の自伝のように優れた作品もあったが、文学を通して黒人が積極的に自らの政治的権利を主張し、独自の文化を示すのは、1940年のR・ライトの『アメリカの息子』によってであり、彼に続く『見えない人間』(1952)のR・エリソンやJ・ボールドウィンは、単なる抗議小説としてではなく、黒人の置かれた状況と彼らの意識を実存主義的にとらえ、現代文学としての普遍性をもつに至った。このあと、1960年代の戦闘的な黒人作家の活躍へと発展してゆく。とりわけ、1970年代以降は、黒人女性小説家の活躍が目覚ましく、映画化されて日本でも評判になった『カラー・パープル』(1982)のアリス・ウォーカーや、1993年にアメリカの黒人女性作家として初めてノーベル文学賞に輝いた『青い目がほしい』(1970)、『ビラブド』(1987)のトニ・モリスンがその代表的な存在である。

 他方では、S・ベローをはじめ、N・メイラー、B・マラマッド、J・D・サリンジャー、P・ロスなど、優れたユダヤ系小説家が輩出し、貧しい移民体験、アメリカ社会への同化とアイデンティティの不安、社会の偏見と差別に対する抗議など、伝統的なユダヤ文化とアメリカ社会の対立を、卓越した技法とユダヤ人特有のユーモアで描き出し、アメリカ文学の主流を占めるに至った。しかも小説家だけでなく、現代アメリカにおいてユダヤ系の詩人、劇作家、批評家、文科系大学教授などが占める割合は計り知れないものがあり、ユダヤ系を抜きにしては現代アメリカ文学を語ることができないといっても過言ではない。過去において社会の追放者として放浪した彼らの体験、アイデンティティの危機などは、すべて、移民からなるアメリカ人、さらには根なし草の状況にある現代人に多かれ少なかれ共通する問題であり、その意味では、ユダヤ系文学はアメリカ文学そのもの、現代文学そのものといってよい意味すらもっている。

 もちろん現在のアメリカ文学は、いま述べた黒人やユダヤ系の文学者によってすべて代表されるわけではない。現代小説の行き詰まり、閉塞(へいそく)状態を打開すべく、さまざまな実験的手法を用いて新しい小説の可能性を追求する、アメリカ文学の次代を担う文学者が、苦しい状況のなかから次々と問題作を意欲的に発表しているからである。現代の不条理性、狂気、混乱、非人間性をグロテスクで残酷なユーモアやパロディーを通して描き出す『酔いどれ草の仲買人』(1960)のJ・バース、『裸のランチ』(パリ版1959、ニューヨーク版1962)のW・バローズ、パーディJames Purdy(1923―2009)など、いわゆる「ブラック・ヒューマー」派の小説家、郊外に住む中産階級の生活を鮮やかに描く『走れウサギ』(1960)のJ・アプダイクやJ・チーバー、現代文明の破壊の恐怖をSF風に描くK・ボネガット、幻想的なR・ブローティガン、D・バーセルミ、J・コジンスキー、現代社会を「エントロピー」と「不確定性原理」に従ってとらえた大作『重力の虹』(1973)のT・ピンチョン、筆力旺盛(おうせい)な才媛(さいえん)J・C・オーツ、本格派で息の長いキャリアをもつ南部のW・スタイロン、文学の道徳的側面を強調するJ・ガードナー、それに、『ロリータ』(1958、パリ版1955)で有名なロシア貴族出身の亡命作家V・ナボコフ、イディッシュ語で創作する異色のノーベル文学賞受賞のユダヤ系小説家I・B・シンガー。このように現代アメリカの文学者たちは、実に意欲的に新しい文学の可能性を求めて多彩な活動を展開している。

[渡辺利雄]

注目すべき最近の動向

アメリカは1960年代を境に大きく変わった。泥沼化するベトナム戦争に対する若い世代の抵抗、反戦運動に始まって、黒人や差別されてきた少数民族の差別撤廃のための闘争、女性、同性愛者など社会的弱者の権利要求運動。そして、広大な領土を誇ったアメリカにおいても自然破壊、環境汚染が進み、それに対するエコロジー運動が活発となる。こうしたなかでアメリカ社会が誇りにしていたデモクラシーの伝統、アメリカの夢、世界政治におけるアメリカの指導的役割などを根底から見直そうとする否定的な傾向が強まる。アメリカ社会はかつて「人種の坩堝(るつぼ)」とよばれ、多様な民族の移民がアメリカ人として統合されるとされていたが、最近ではむしろそれぞれの民族が自らの文化伝統を保ちつつ「サラダボウル」のように共存すると思われてきた。さらには、カリブ海諸国や、アフリカ諸国の文学と共通の「英語圏文学」として連携意識も生まれている。アメリカ文学は、当然、それと連動して変化する。そして表面的には変化しながら、アメリカ文学をアメリカ文学たらしめる伝統をかたくなに守り、新しい時代に新しい衣装をまとって立ち現れてくる。

 そこで、最後に、こうした最近のアメリカで、注目すべき新しい動向をいくつか記しておく。かつてアメリカ・インディアンとよばれていた先住民の作家たちの活動。シルコーLeslie Marmon Silko(1948― )、モマデイN. Scott Momaday(1934―2024)、アードリックLouise Erdrich(1954― )などが知られ、部族の口承伝統の知恵、儀式などと現代アメリカ社会での自分たちの置かれた現実に基づくユニークな作品を発表している。同じように、日系のジョン・オカダJohn Okada(1923―1971)、中国系のエイミー・タンAmy Tan(1952― )、キングストンMaxine Houg Kingston(1940― )、さらには、中南米系のヒスパニック文学者、ゲイ・レズビアンの作家、かつては通俗文学とされていたSF、ファンタジー、ホラー小説、推理小説なども文学史で認知され、注目を集めている。また、バルト、ラカン、フーコー、バフチンなど、旧大陸の批評家の新しい理論に呼応して大学でのアカデミックな文学研究も活性化している。

 そうした新しい文学運動と並行して、その一方では、依然、伝統的な文学を標榜(ひょうぼう)する小説家も活動している。19世紀のディケンズの伝統につながるといってよいジョン・アービングJohn Irving(1942― )は、現代社会のさまざまな社会問題を織り込みながら、独自の語り口で、若者の成長を扱った『ガープの世界』(1978)で話題をよび、一見平易な語り口で混沌(こんとん)とした現代社会の不可思議さを追求するポール・オースターPaul Auster(1947― )などが現れ、翻訳や映画を通して日本の若い読者に大きな影響を及ぼしている。

 科学、テクノロジーが異常に発達した現代アメリカの情報化社会、高度産業社会にあって、文学者の置かれた状況はけっして楽観を許さないものがある。しかし、そうした不利な条件にもかかわらず、因襲や前例にとらわれないアメリカ文学の「伝統をもたない伝統」は依然生きており、さらに新しい文学の誕生が期待される。

[渡辺利雄]

アメリカ文学の日本への影響

アメリカ文学は、明治時代から英語の教科書を通して日本に紹介され、また、エマソン、ソロー、ホイットマン、ポーなどのアメリカ・ロマン主義文学は日本の文学にもかなりの影響を及ぼしている。メルビルの場合は、阿部知二、宇能鴻一郎(うのこういちろう)らに影を落としているし、第二次世界大戦後になると、フォークナーを通して、福永武彦(たけひこ)、中村真一郎、井上光晴(みつはる)などにアメリカ文学の影響は直接間接的に及んでいる。また、小島信夫(のぶお)、大江健三郎、大庭(おおば)みな子、さらには中上健次、村上春樹、高橋源一郎らの若い世代もアメリカ文学の新しい動きをつねに意識しているようにみえる。翻訳もポール・オースターのような新しい作家だけでなく、ホーソンの『緋文字(ひもんじ)』(1850)といった古典にも新訳が試みられ、日本の若い読者の注目を集めている。アメリカ文学はもはや後進の周辺文学ではなく、確実に世界文学のなかに重要な位置を占め、その影響力は無視しえないものになっている。

[渡辺利雄]

『大橋健三郎他編『総説アメリカ文学史』(1975・研究社出版)』『大橋吉之輔著『アメリカ文学史入門』(1987・研究社出版)』『荒竹出版編集部編著『年表 アメリカ文学史』(1988・荒竹出版)』『板橋好枝・高田賢一編訳『はじめて学ぶアメリカ文学史』(1991・ミネルヴァ書房)』『チャールズ・ファイデルスン・ジュニア著、山岸康司訳『象徴主義とアメリカ文学』(1991・旺史社)』『岩元巌・酒本雅之監修『アメリカ文学作家作品事典』(1991・本の友社)』『大橋健三郎著『古典アメリカ文学を語る』(1992・南雲堂)』『折島正司他編『文学アメリカ資本主義』(1993・南雲堂)』『井上謙治著『アメリカ読書雑記』(1993・南雲堂)』『マイケル・オークワード著、木内徹訳『アメリカ黒人女性小説――呼応する魂』(1993・彩流社)』『越川芳明著『アメリカの彼方へ――ピンチョン以降の現代アメリカ文学』(1994・自由国民社)』『高田賢一他著『たのしく読めるアメリカ文学――作品ガイド150』(1994・ミネルヴァ書房)』『小林憲二著『アメリカ文学のいま――人種・ジェンダー・階級』(1995・ミネルヴァ書房)』『ピーター・B・ハイ著、岩元巌・竹村和子訳『概説 アメリカの文学』(1995・桐原書店)』『巽孝之著『ニュー・アメリカニズム――米文学思想史の物語学』(1995・青土社)』『日本アメリカ文学・文化研究所編『アメリカ文学ガイド――論文・レポートを書くための』(1996・荒地出版社)』『渡辺利雄編『読み直すアメリカ文学』(1996・研究社出版)』『マルカム・ブラッドベリ著、英米文化学会編訳『現代アメリカ小説――1945年から現代まで』(1997・彩流社)』『エモリー・エリオット編『コロンビア米文学史』(1997・山口書店)』『上岡伸雄著『ヴァーチャル・フィクション――マルチメディア時代のアメリカ文学』(1998・国書刊行会)』『森岡裕一他著『酔いどれアメリカ文学史――アルコール文学文化論』(1999・英宝社)』『岩元巌・鴨川卓博編著『セクシュアリティと罪の意識――読み直すホーソーンとアップダイク』(1999・南雲堂)』『吉岡葉子著『南部女性作家論――ウェルティとマッカラーズ』(1999・旺史社)』『福田陸太郎他編著『アメリカ文学思潮史』増補版(1999・沖積舎)』『秋山健監修、宮脇俊文・高野一良編訳『アメリカの嘆き――米文学史の中のピューリタニズム』(1999・松柏社)』『別府恵子・渡辺和子編著『新版 アメリカ文学史――コロニアルからポストコロニアルまで』(2000・ミネルヴァ書房)』『ホルヘ・ルイス・ボルヘス著、柴田元幸訳『ボルヘスの北アメリカ文学講義』(2001・国書刊行会)』『多田敏男他編著『アメリカ文学史へのアプローチ――作品100選』(2001・関西大学出版部)』『山下昇編『冷戦とアメリカ文学――21世紀からの再検証』(2001・世界思想社)』『国重純二編『アメリカ文学ミレニアム』1~2(2001・南雲堂)』『エレイン・キム著、植木照代・山本秀行・申幸月訳『アジア系アメリカ文学――作品とその社会的枠組』(2002・世界思想社)』『原真理子編『ジェンダーとアメリカ文学――人種と歴史の表象』(2002・勁草書房)』『早瀬博範・吉崎邦子編『21世紀から見るアメリカ文学史――アメリカニズムの変容』(2003・英宝社)』『巽孝之著『アメリカ文学史――駆動する物語の時空間』(2003・慶応義塾大学出版会)』『巽孝之著『アメリカ文学史のキーワード』(講談社現代新書)』『D・H・ローレンス著、大西直樹訳『アメリカ古典文学研究』(講談社文芸文庫)』『R. E. Spiller et al.(eds.)Literary History of the United States(1948&1974, Macmillan, New York)』『Peter B. HighAn Outline of American Literature(1986, Long man)』『Emory Elliott(ed.)Columbia Literary History of the United States(1988, Columbia U. P.)』

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改訂新版 世界大百科事典 「アメリカ文学」の意味・わかりやすい解説

アメリカ文学 (アメリカぶんがく)

アメリカ文学は17世紀イギリス人の植民とともに始まったことになっているが,荒野に新社会を建設するという困難な仕事をかかえていたから,植民地の報告,年代記,日記,説教などを除けば,文学として見るべきものを多く残すことはなかった。ピューリタンの伝統を特徴とする北部のニューイングランド地方にはA.ブラッドストリート,E.テーラーなどの詩人も現れたが,〈詩の女神は売女となんら変わらない〉というコトン・マザーの言葉に示されるように,一般に文学は危険視される傾きが北部にはあった。南部のバージニア植民地は世俗的な関心が強く,それだけに自らの文学的創造の意欲を現すことはあまりなかった。

 18世紀になるとニューイングランドでは教会の権威が弱まってきたが,その中で宗教の再興をはかろうとしたエドワーズは《意志の自由について》(1754)などの神学的著述によって気を吐いた。しかしこの時代を引っぱったのは,合理主義の精神に実用性と政治性を加え,文学的にもある種の結実を見せたフランクリンであろう。その《自伝》(1771-89執筆,1818刊)は,これまで支配的であったニューイングランドの宗教的伝統を日常的モラルに転化し,自己を例にして人間の可能性を語ったところに意義がある。

18世紀の後半,イギリス本国からの政治的独立に刺激された文人たちは,拠って立つ文学的伝統の希薄な状況において,ヨーロッパの文学の素材や形式を利用しながらも,アメリカという土壌に根ざした国民文学を形成していく。C.B.ブラウンは古城などを舞台にしたヨーロッパのゴシック・ロマンスの伝統を踏襲しながら,古城の代りに西部の荒野やインディアンといったアメリカ固有の背景を導入した。W.アービングは《ニッカボッカーのニューヨーク史》(1809)で,歴史をフィクションに移し,《旅人の物語》(1824)では,深刻さを欠き,短編が多くなる末期型のゴシック・ロマンスを発展させ,ホーソーンやポーを先取りした。アメリカのスコットと呼ばれたJ.F.クーパーは五部作《レザーストッキング物語》(1823-41)において,高貴な開拓者ナティ・バンポーを文明と荒野の接点に置き,アメリカのフロンティアに大ロマンスを展開させた。W.C.ブライアントは大自然をたたえ,〈アメリカ詩の父〉となった。

19世紀初頭のアメリカには,人間が生まれながらに有する善性を強調するユニテリアニズムが興ったが,そこから出発し,神秘主義とデモクラシー発展期の思潮とを融合させたところから,超越主義者(トランセンデンタリズム)と言われるエマソンが現れた。彼は形式に堕した教会を離れ,人間と宇宙の始源的・神秘的関係をもとめ,自然は霊界の象徴であり,言葉は自然の象徴であるとした。そこでは俗なるものも聖なるものとなり,聖と俗の二分法が崩され,詩は霊界からのメッセージとなる。彼に親炙(しんしや)したソローは,エマソンの説を自ら森の中の生活によって実践,その記録《ウォールデン》(1854)で物質主義化したアメリカに警鐘を鳴らした。またホイットマンは詩集《草の葉》(初版1855)で,あらゆるものの中に聖なるものを見るエマソン思想を発展させ,アメリカとアメリカの人間の生命を力強くうたった。この間,超越主義の仲間に一時は加わりながらもピューリタンの伝統に立つところの多かったホーソーンは,《緋文字》(1850)などによって人間の心に秘められた罪の意識の諸相を探り,心理のひだを象徴的に描いた。そのホーソーンへの献辞を添えて出版されたメルビルの《白鯨》(1851)は,海の男の執念を追究することによって,人間の心の,ひいてはこの世の暗黒そのものを掘り下げる。

 当時,上記のような先鋭な作家と違って,常識的な立場から作品を書き,多くの読者をかちえていた作家群もいた。《エバンジェリン》(1847)などの物語詩で有名なロングフェローや,O.W.ホームズ,J.R.ローエルらである。またこの時代,社会から孤立しながら独特の文学世界をつくっていた者もいる。一人はポーで,詩,評論,アービングの流れを汲むゴシック・ロマンス末期型の短編や推理小説の元祖的作品を通じて,美と恐怖の宇宙を創成した。もう一人は生前まったく世に隠れて,きわめて私的な自己の世界を磨き,宝玉のような短詩に表現していったエミリー・ディッキンソンである。

南北戦争(1861-65)から戦後の〈めっき時代〉にかけてアメリカ社会の広範さ,多様さが強く意識され,また人間性の概念が変化した。小説作品が伝記,歴史,哲学上の著作に劣らぬ重要性をもつことを作者が主張するようにもなった。すなわち,かつての小説は絵空事であって,実人生はそのようなものではないことを示すような小説の時代になる。リアリズムの傾向は,ストー夫人の《アンクル・トムの小屋》(1852)や,17世紀セーレムの魔女事件をホーソーンのように神秘的に提示するのでなく,実証的に扱おうとしたJ.W.デ・フォレストの《魔女の時代》(1856-57)に始まり,その後およそ100年間,アメリカ文学の中心を占めることになる。最初の本格的リアリズム作家はクーパーのようなロマンス作家を敵視したマーク・トウェーンであった。彼のデビュー作《カラベラス郡の有名な跳び蛙》(1867)は西部開拓民の間に伝わる〈ほら話tall tale〉の語りの伝統を巧みに文学化した短編である。彼の最高傑作《ハックルベリー・フィンの冒険》(1885)は,自由と秩序,自然と文明などのアメリカ的テーマを集約しつつ無垢(むく)な少年の運命を語り,のちにヘミングウェーをして〈すべての現代アメリカ文学は《ハックルベリー・フィン》という1冊の本に由来する〉と言わしめた。

 リアリズム全盛時代の文壇の大御所はW.D.ハウエルズである。彼は《アトランティック・マンスリー》誌の編集者などとしてトウェーンやH.ジェームズらの作品を世に送り出したばかりか,ノリス,S.クレーンなどの若い作家の育成にも努めた。ジェームズは,ヨーロッパに住むアメリカ人という国際的な状況と,ホーソーン的倫理観とを心理主義的に作品化することに優れ,《ある婦人の肖像》(1881)などを発表した。こうしたリアリズムには,しかし,ヨーロッパのそれとはいささか異なる面があって,それは社会的流動性の高いアメリカのリアリティに根ざす差異であろう。アメリカでは,きのうまで荒野であった場所に,人間の理念に基づいて町が短期間に建設されたり,きのうの乞食がきょうは大金持となったりすることが,ヨーロッパに比べてはるかに容易である。そのためアメリカ人には〈確固たる現実〉という意識が希薄で,文学も,リアリズムといえども現実と非現実の境界が微妙に欠落している世界を対象にすることが多い。トウェーンの《ハックルベリー・フィンの冒険》が夢の中の日常のような感を与えるのも,ジェームズが非現実の存在である幽霊を作品の中に登場させたりするのも,そこにかかわりがある。

 工業化と都市化が進み,都市と農村,資本と労働の対立が表面化する19世紀も終りに近づくと,従来のリアリズムに満足しない新しい作家が出現し,それが自然主義者と分類されたりする。人間は遺伝と環境によって決定されるというゾラの影響を受けたノリスは,《マクティーグ--サンフランシスコの物語》(1899)で都市生活の悲惨な面と動物的な生に先祖返りする人間を扱い,クレーンは《赤い武功章》(1895)で戦場における人間の極限状況を探った。ノリスは自分の自然主義は新しい形のロマンスであると主張し,クレーンは事実の克明な描写をさけて,印象主義的な手法を用いた。そこにアメリカ自然主義の特異性があるが,この流れが20世紀になってW.キャザー,S.アンダーソン,S.ルイスなどに受け継がれ,ドライサーの《アメリカの悲劇》(1925)において最高潮に達したと言えよう。

 第1次世界大戦を経て,戦後のいわゆるロスト・ジェネレーションの作家たちは,1920年代の〈荒地〉的風景において,その名の示すとおり,神の恩寵から見放された人間の状況を書いた。F.S.フィッツジェラルドは《偉大なるギャッツビー》(1925)その他の作品でジャズ・エージの夢が崩壊するさまを書き,ヘミングウェーは《陽はまた昇る》(1926)以下の作品において〈ハードボイルド〉と呼ばれる,タフ・ガイが非情に語るような文体を駆使して現代の空虚に生きる人間を示した。フォークナーも特異な文体家であるが,代表作《響きと怒り》(1929)などにより,南部社会の深層を〈意識の流れ〉の手法の開拓やトウェーン伝来の語り口を通じてみごとに剔出して見せた。ドス・パソスは《U.S.A.》(1930-36)その他でアメリカの政治・社会の状況にメスを入れた。

 29年の大恐慌を境に,頽廃的ムードの中にも繁栄していた1920年代の社会は冷たく暗い幻滅感と危機感をたたえた社会へと変わり,社会的関心を第一とする作品が目につくようになる。ノリス的自然主義者スタインベックは《怒りの葡萄》(1939)で農民の窮境を叙事詩的に語り,コールドウェルは南部の貧しい白人を,J.T.ファレルは都会の不良少年を,黒人作家R.ライトは抑圧された黒人の姿を,それぞれなまなましく描いた。またT.ウルフやH.ミラーは自伝的作品によって原始的生命をもった個性への復帰を示した。

 詩の分野では1912年に創刊された《ポエトリー》誌を中心に,E.L.マスターズやサンドバーグらのシカゴ・グループと呼ばれる詩人たちが中西部の民衆の心を口語的リズムで歌い出した。ニューイングランドの自然と,その自然に対峙する人間の姿を描いたフロストや,長編詩によって人間の激情を示すのを得意としたカリフォルニアのジェファーズも注目に値する。しかし20世紀アメリカ詩で最も注意すべき文学運動は,1910年代E.パウンドによって提唱されたイマジズムおよびボーティシズムの流れであろう。その主張は,描写を排除し,イメージ対イメージによる緊張関係から生じるエネルギーを重視せよ,ということであった。これはT.S.エリオット,W.スティーブンズなどにも影響したが,W.C.ウィリアムズの〈客体主義〉や,詩とはエネルギーの放出であるとするC.オルソンの〈投射詩論〉に発展し,第2次大戦後の詩に大きく影響した。それは詩のみならず,ヘミングウェー,フォークナー,ドス・パソスなどの小説にも反響している。

第2次大戦後の科学・技術の飛躍的進歩は社会にめまぐるしい変化をもたらし,人々の現実感もきわめてとらえ難いものとなり,伝統的なリアリズムの手法によってはすくい取ることができないような世界が現出する。その過渡期的作家として《裸者と死者》(1948)によって戦争の非人間的機構をあばいたメーラーや,《遠い声,遠い部屋》(1948)により現代にゴシック・ロマンス的雰囲気を再生させた感のあるカポーティがいる。やがてK.ボネガット,J.バース,D.バーセルミ,T.ピンチョンなど,いずれもリアリズムの枠を意識的に破った作家たちが登場する。たとえばバースには,アメリカにおけるリアリズムは伝統を逸脱したものだという意識があり,ポーやメルビルを積極的に受け継ごうとする姿勢がある。科学・技術の進歩に対して単純な希望を託し得ないことが明瞭になり,ルネサンス以降西欧文明が不純物として切り捨てつづけてきたものの中にこそ,人間にとって重要なものがあったのではないかという反省も出てくる。小説家ケラワックや詩人ギンズバーグ,スナイダーなどの50年代ビート・ジェネレーションが東洋的なものへの志向を示した理由もそこにある。伝統的なアングロ・サクソン支配の体制がゆらぐにつれ,疎外感をかかえながら生きてきた黒人やユダヤ系の作家たちも,その屈折した心情を文学に結実させることが多くなった。エリソンやボールドウィンは黒人文学を高い位置に押し上げ,サリンジャー,ベロー,マラマッド,ロスなどのユダヤ系作家も,不安な自己の状況を逆手に取って,アメリカ文学の牽引力の一つとなった。

 80年代に入ると,社会の保守化に呼応して,アン・タイラー,アン・ベーティ,レーモンド・カーバーなど,小型ながら洗練された〈新しいリアリズム〉の胎動もあるが,永続性のあるものとは思われない。現在の小説界の沈滞を埋め合わせるかのように詩のジャンルや批評のジャンルにおいては活発な動きがある。メリルJames Merrillの長詩《サンドーバーの変化する光》(1982)は詩における最近の最大の収穫であり,ブルームHarold Bloomの《アゴーン》(1982)は文学批評における成果の一つであるが,いずれも神秘思想の色が濃い点を特色とする。アラブ系の批評家サイードEdward W.Saidの《オリエンタリズム》(1978)も,西欧的テキストの中にのみ存在する〈オリエント〉を西欧がいかにして形成し,それに基づいて,いかに支配の姿勢を維持してきたかを解明した,優れた文明批評の書である。
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アメリカ文学は文明開化時代の日本に,まずその開化の精神のモデルを表現したものとして入ってきた。近代的合理主義を身につけ人間の可能性を自ら証明したフランクリンは早くから日本に紹介されたが,1875年(明治8)ころにはその《自伝》が宮中で講じられ,昭憲皇太后が〈弗蘭克林の十二徳の歌〉をよむようなこともあった。《自伝》は87年ころからたくさん邦訳され,自主独立の人生のすばらしさを教え,正岡子規もそれに感服する一人となった。センチメンタルな詩人のロングフェローは,日本近代詩の嚆矢(こうし)となった《新体詩抄》(1882)に〈人生の歌〉などが翻訳掲載されたが,それも原詩を離れて功名立身の教訓を強調したものになっていた。高邁(こうまい)な超越主義者のエマソンも,この時期にはやはり文明の哲人として翻訳紹介され,徳富蘇峰など多くの知的指導者にもてはやされた。

 明治20年代以降,日本が国粋保存,伝統文化への回帰をするにつれ,人々のあこがれの目は伝統の古いヨーロッパに向き,日本文学の主流が芸術的洗練を重んじだすと,アメリカ文学は低俗粗笨(そほん)として退けられる傾向が生じた。例外としてポーだけはその審美性をラフカディオ・ハーンや上田敏らに推奨され,奇想をめでられて短編の翻訳もなされた。しかし感覚や文章の洗練よりも生きた思想の直接的表現を重んじる反逆的な文学者たちに,アメリカ文学は訴え続けた。エマソンは,北村透谷,国木田独歩,岩野泡鳴らのロマンティック詩人に,霊的な自我の確立者として新しい意義をもった。ひときわ目覚ましいのはホイットマンの影響で,高山樗牛,内村鑑三,ヨネ・ノグチらにより,人間の理想をうたう国民詩人として賛美され,1908年には岩野泡鳴の口語自由詩の実験の手本ともなった。

 大正時代,文壇の主流が重んじたアメリカ作家はいぜんとしてポーくらいのもので,谷崎潤一郎,佐藤春夫,芥川竜之介らが彼の妖異趣味,美的情操,知的技巧を吸収し,江戸川乱歩は彼を探偵小説の師とし,詩人では萩原朔太郎,日夏耿之介らが彼の美学と気分を生かした。しかし文壇の外で,ホイットマン熱はいっそう高まった。白樺派は〈自己を生かす〉態度のモデルに彼を見いだし,民衆詩派はデモクラシー詩人として彼をほとんど神格化し,翻訳紹介もおおいに行い,大正デモクラシーの風潮に助けられて,一時期,彼を詩壇の中央にすえた。そして有島武郎はホイットマンから絶対的自我主義を学びとり,評論《惜みなく愛は奪ふ》(1920)などに彼の思想を生かした。

 昭和初年,デモクラシー熱は去り,左翼文学者たちがJ.ロンドン,U.シンクレア,C.サンドバーグなどの作品を社会主義文学としてうけいれたが,やがて政府の弾圧にあい,アメリカ文学の地位は一般にまた低下した。第2次大戦後,アメリカ文学はようやく世間的にもてはやされるものとなった。アメリカ文化が圧倒的な勢いで日本に流入するにつれ,詩や戯曲から大衆小説までがほとんど同時的に伝えられ,単に思想的に日本人のモデルとなるだけでなく,そのダイナミックな力を知られるようになったのである。しかもヘミングウェー,フォークナー,メーラー,サリンジャーなどの文学は,日本の若い作家たちの感受性そのものを変革する力となった。アメリカ文学はこれからますます,日本文学の伝統の枠を解放する力を発揮する可能性をもっているように思われる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アメリカ文学」の意味・わかりやすい解説

アメリカ文学
アメリカぶんがく
American literature

アメリカ合衆国において英語で書かれた文学作品の総称。17世紀初頭イギリス人による植民地開拓から始まるアメリカ文学の特殊性は,国家形成の歴史と広大な国土による風土の多様性,複雑な人種構成を抜きにしては考えられない。本国に対する拒否と憧憬という矛盾した感情のなかで,本国文学への従属感をぬぐいきれないまま,同時にアメリカ独自の文学を創造しようとする国民意識が高まり,やがて世界文学史上特異な位置を占めるにいたるのがアメリカ文学である。神話や叙事詩の時代を経ずに,宗教書,日記など実用的な散文から始まったこの国の文学は,長く想像文学を生み出さなかったが,アメリカ独立戦争後の文化的自立と西部発展の機運のなかから,アメリカ固有の特徴的な国民性と制度が育つに従って,社会,経済,地理,芸術面における特質を反映した文学が育っていった。テーマのなかには,広大な国土,多様な人々,フロンティア精神を背景に生まれたものもある。
初期のアメリカ文学には,ヨーロッパのものを模範とする小説と詩だけでなく,政治,宗教に関する著作も含まれていた。植民地時代の詩人では,アン・ブラッドストリートとエドワード・テーラーが,イギリスの影響を強く受けた文学性の高い詩で知られる。独立戦争初期には,ベンジャミン・フランクリンとトマス・ペインの政治的な著作が最も影響力を及ぼした。フランクリンはジャーナリストとして出発し,『貧しいリチャードの暦』と題する人気シリーズを発行した。その機知と常識を兼ね備えた警句は,植民地社会に向けた意味深長なメッセージであり,植民地とイギリス間の紛争を吟味するものであった。ペインの小冊子『コモン・センス』(1776)は独立の必要性を説いたもので,彼の著作は独立戦争期を通してアメリカ国民を鼓舞し続けた。
独立をかちとると,アメリカ独自の文学が意識的に模索され始め,19世紀初期には,風刺作品を書いたワシントン・アービングと先住民の生活を描いたジェームズ・フェニモア・クーパーが現れた。西部開拓の機運,アンドルー・ジャクソン大統領に象徴される民主主義(→ジャクソン民主主義),国中にみなぎる希望と冒険の精神に多くの作家が触発され,1830年から南北戦争勃発までの間に,アメリカ文学は最初の隆盛期を迎えた。イギリス文学とは異なって,貴族ではなく平民をテーマにしたロマン主義が興り,『モービー・ディック(白鯨)』(1851)で知られる小説家ハーマン・メルビル,ホラーと探偵小説の創始者エドガー・アラン・ポー,自伝的詩集『草の葉』(1855)で進歩的で因習にとらわれない詩を発表したウォルト・ホイットマンが登場した。この時期にはほかに,詩人のエミリー・ディキンソンや,リベラルな思想家ラルフ・ウォルド・エマソン,『ウォールデン』(1854)で知られるヘンリー・デービッド・ソロー,『緋文字』(1850)などの小説を著したナサニエル・ホーソーンらの超絶主義と呼ばれる一派が現れた。
19世紀の西進運動によって文学の中心地もニューイングランドから中西部へ移り始め,地方色豊かで写実主義的な文学が生まれた。この分野に最も貢献した作家は,『トム・ソーヤーの冒険』(1876)と『ハックルベリー・フィンの冒険』(1884)でミシシッピ川沿いの生活を描いたマーク・トウェーンと,上・中流階級に属する登場人物の心理の動きを取り上げたヘンリー・ジェームズである。19世紀末に近づくと,日常の出来事を現実的に詳細に描く自然主義が登場した。この一派を代表する作家としては,『赤い勲章』(1895)で戦争の恐怖を描いたスティーブン・クレーンや,セオドア・ドライサー,フランク・ノリスがあげられる。食肉缶詰工場の内幕を暴露したアプトン・シンクレアの『ジャングル』(1906)は,自然主義の流れをくむと同時に,社会改革への熱意が込められている。
第1次世界大戦後,戦後社会に対する幻滅を描いて高い評価を得た「失われた世代」と呼ばれる一派の活躍によって,アメリカ文学は世界文学としての独自性を獲得した。代表的な小説家に,F.スコット・フィッツジェラルド,アーネスト・ヘミングウェー,ジョン・ドス・パソス,詩人にエズラ・パウンド,T.S.エリオット,ハート・クレーン,E.E.カミングズがいる。「意識の流れ」という技法の開拓者ウィリアム・フォークナーは,『響きと怒り』(1929),『死の床に横たわりて』(1930)でミシシッピ州の架空の郡を舞台に人間社会の縮図を描き,アメリカ散文の最高峰とされる。
第2次世界大戦後は,多くの傑出した作家が登場し,アメリカ文学は著しい多様性を示した。ノーマン・メーラーとトルーマン・カポーティは処女作で高い評価を獲得し,のちに「ノンフィクション小説」という分野を開拓した。黒人文学も深化をみせ,ジェームズ・ボールドウィンは,エッセーと小説で黒人の立場から人種差別と人種間の関係を描いた。ソール・ベロー,バーナード・マラマッド,ジョン・アップダイク,フィリップ・ロスは,伝統的なアメリカの価値観の衰退を吟味し,その再解釈を行なった。1940~50年代には南部文学が華々しく開花し,カポーティ,ユードラ・ウェルティ,フラネリー・オコナー,カーソン・マッカラーズが活躍した。1950年代後半の「ビート・ジェネレーション」を経たあとは,複雑な人種構成を反映し,ユダヤ系作家や黒人作家など非アングロ・サクソン系の作家による多彩な活躍が目立つようになった。ロシア生まれの小説家ウラジーミル・ナボコフの小説は,アイロニーやパロディ,斬新なことばの使い方が高く評価されている。また,ジョン・バース,トマス・ピンチョン,カート・ボネガットらの作家も,独特の作品で新境地を開いている。詩壇では 20世紀中頃から新しい技法と表現形式が現れ,ウォレス・スティーブンズ,ロバート・フロスト,ロバート・ローエル,セオドア・レトケ,ランダル・ジャレルらが活躍した。戯曲では 20世紀に入ってユージン・オニール,テネシー・ウィリアムズ,アーサー・ミラー,エドワード・フランクリン・オールビーらがアメリカ演劇を確立した。

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世界大百科事典(旧版)内のアメリカ文学の言及

【反ファシズム】より

…ファシズムの何たるかをまぎれもなくみせたこのスペイン内乱のさなかにビットリーニは,《ソラーリア》の後継誌《レッテラトゥーラ》に《シチリアでの会話》を掲載,〈損われた世界〉を前に彷徨する〈私〉の苦悩を新しい文体で描き,パベーゼの《故郷》(1941)とともに(付け加えるならばモンターレの詩とともに),創作での最大限の抵抗を実現し,この2作はネオレアリズモの道標となった。パベーゼ,ビットリーニがともに翻訳・紹介に尽くしたアメリカ文学が,自由な創作の禁じられた30,40年代のイタリア文学に大きな活力を与えたことは注目される。そうして43年のファシズム体制の破産――休戦協定の発効を契機に,広範な大衆の自発的な力に依拠したレジスタンスを戦い抜くなかでイタリア文学は新生をなしとげ,このパルチザンの戦いに同伴する形で歌が,闘争紙が,そして詩が,小説が無名の作者たちにより大量につくられた。…

※「アメリカ文学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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